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美味しい料理を限界までお腹に詰め込んだ私は、凄まじい眠気を感じすぐに元いた部屋に戻りベッドに倒れ込んだ。
「幸せすぎる......」
膨らんだ腹を撫で、この服を着替えた方が良いのかと一瞬思ったが、どうせ夢の中なのだ。それにお腹がいっぱい過ぎてもう一歩も歩ける気がしなかった。
「イヴリン!起きなさい!」
遠くで誰かが叫んでいる。イヴリンって誰?
幸せに浸って寝てるんだから放っておいてほしい。今は父や母が怒っているとしても私は起きる気は無い。
近くにあった布団を掴みみのむしの様に丸くなっていると、いきなり誰かが布団をむしり取った。
「イヴリン!いつまで寝ているの!朝の支度を手伝いなさい!」
急に布団を剥ぎ取られ、冷たい空気に体がブルリと震えた。
「エイミーの朝の支度を手伝うのがあなたの仕事でしょう!?」
なぜ私はまだ夢の中に居るのだろう。眠気が消え去った頭でも全く現状が理解出来ない。
「自分の支度は後にして早くエイミーを手伝いなさい!」
目を擦る私の手を引き、ドレスの女性は私をエイミーとやらの人の部屋へと放り込んだ。
その部屋は私の部屋より一回り大きく、色も鮮やかで目が痛い。ベッドには天蓋が付いていてお姫様が使う様な豪華さだ。
どこもささくれ立って居ない鏡台に座るのは、昨日一緒に食事を取った女の子。エイミーは私の妹の名前だったのか。
「おはよう、お姉様」
少し乱れた髪の毛を早く調えろ、と言いたげに彼女はブラシを私の方へぷらぷらとさせた。
私は訳もわからずブラシを受け取り、彼女の柔らかく細い青みがかった黒髪を梳かした。彼女の母と同じ色だ。エイミーは顔も母と似ていて少しキツそうな美人だが、無邪気な笑顔がそれを中和して何とも魅力的に見えた。
「今日は両側を編み込みにしてくれる?」
ただただ綺麗だなぁと思いながら髪の毛を梳かしていると、妹から注文が入る。どうしようか。編み込みなどやった事がない。
恐る恐るブラシを鏡台に置き、エイミーの髪の毛を手に取る。すると手が自然と髪の毛を適量寄りわけ編み込みをし始める。
さすが夢の中だ。
私は体が動くままにエイミーの支度を整えていく。
「じゃあ私は学校に行ってくるわ」
私にお礼も言わず、エイミーは部屋を出て行った。廊下の先に両親が居たのだろう、行って来ますを言っている声が聞こえた。
学校か。
私は学校が好きでは無かった。父と母が荒れた次の日はどうしても皆んなの注目を浴びたし、何より見て見ぬふりをする大人たちの顔が嫌いだった。
だが夢の中にも学校はあるのだろうか?どんな物なのか少し気になった。
私はエイミーの部屋から出て、ここの両親を探す。2人はどうやら朝食をまだ食べているらしい。食卓がある部屋から会話が聞こえた。
食堂の扉を開け私を2人はチラリと見たが、おはようの挨拶も無い。
「あの、おはようございます。エイミーは学校に行ったんですけど、私は行かなくて良いんですか?」
夢の中の人に敬語で語りかけるのは馬鹿げている気もしたが、普段から年上には敬語だったので自然と丁寧な言葉遣いになってしまった。
問いかけられた2人は目線だけで会話をしている様だった。ため息を吐いた母が怠そうに話し出す。
「えぇ、あなたは行かなくて良いのよ。必要が無いでしょう」
必要無い、とはどう言う事なのか分からなかった。
「はぁ、そうなんですか?」
我ながらチグハグな夢だ。首を傾げていると、こちらを見つめる父と目が合った。
とても気まずい。
あちらから声をかけてくる様子も無かったので、気まずさを打ち消したくてヘラリと笑ったのがいけなかったのか。
父はいきなり立ち上がりこちらに大股で近づいて来た。
「その顔で笑うなとさんざん言っただろう!!」
父は私の顔を平手で勢いよく叩いた。食堂に乾いた音が響く。
子供が叩かれているのに母は素知らぬふりで食事を続けている。
「旦那様、お食事が冷めてしまいますよ」
後ろで控えて居たコック帽を被った男が父を穏やかな声で食卓へと引き戻す。まだ息が荒い父は私に血走った目を向けながら席に着いた。
私は部屋がグワングワンと歪むのが治るのを待ち、静かに自分の部屋へと戻った。まっすぐ歩くのが難しく、壁伝いに歩くので時間がかかる。
やっと部屋へ着き、とりあえず鏡台の椅子へ座る。叩かれた頬を無意識に押さえて居たが、鏡に映る私の鼻から真っ赤な血が流れていた。
「夢...夢だよね?......」
鏡に映る自分に語りかけるように呟くが、誰も返事を返してはくれない。
これが夢じゃ無いなら、私はどうやらまた虐待を行う家族の元に来てしまった事になる。
どうしてこんな事に。そう思ったが、何故かそれほどショックを受けて居ない。元の両親に暴力を振るわれた時ほど悲しくも無い。
「痛く無い......?」
赤く腫れるほど叩かれた頬は、何故か少しも痛まなかった。