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「今日は目線の練習にしましょうか」
彼女の声が耳に入ってはいるのだが反応が出来ない。彼女の笑顔が本心からのものなのか、疑ってしまう自分が嫌だった。
「ヨルグさん?」
自分を心配してくれる彼女を見てハッとした。彼女を困らせたい訳では無いのだ。大丈夫だと伝えると彼女は小さくガッツポーズをし、今日の訓練を始めた。
俺のために時間を作ってくれている。それを忘れない様にしなくては。
今日の課題は目線を合わせる、という簡単な物だった。
そんな簡単な事で怖がられなくなるのか?
俺は試しにスウェイルの目の前で屈んで見せた。だがいきなりだったので彼女を驚かせてしまった様だ。己の浅慮さが嫌になる。
謝り元の席に着くが、次は彼女の方から顔を近づけて来る。彼女は真面目なつもりなのだろうが、また俺の真似をしているみたいで、眉間に皺が寄っているのさえ何だか可愛く見えた。
「ヨルグさん!今のですよ!」
と言われたが、何のことか分からない。彼女は大進歩だと言っていたが、何か進んだのだろうか?
その日の訓練はそこで終了となった。
「囮!?......ですか?」
後で俺の口から説明しようとしていたのだが、王女自ら事のあらましを告げられた。
彼女は最初戸惑っていたが、王女に頼まれてしまえば断る事は出来ない。半ば諦めた様に彼女は騎士の礼をとった。
囮役の彼女は落ち着かない様で終始ソワソワしていた。アシア様の髪と同じ色のウィッグとドレス、化粧も施しているが、俺は普段の彼女の方が良いな、と思ってしまった。
クレイグ様とスウェイルがガゼボで肩を寄せ合っている。2人は何か話していたが、ここまで会話の内容は届かない。だが2人はやはり気心が知れた仲のようだ。普段俺には見せない顔で喋るスウェイルの隣に居るクレイグ様が少し羨ましかった。
「はぁっっはぁっっ」
全速力で駆ける。剣がガチャガチャと鳴り耳障りだ。
彼女を見失った騎士たちは皆んな、自分でも信じられない、と混乱していた。攫われることも前提でそれなりの人数で見張っていたにも関わらずいつの間にか撒かれてしまったのだ。本来ならあり得ない事だった。
いつもスウェイルと共に働いている騎士たちが全力で周囲を走り回る。
俺たちが彼女を見失った場合、犯人の居場所が分かれば硝煙弾が打ち出される手筈にはなっているが、それは彼女に意識があって自由に動ける場合の話だ。
まだそこまで遠くには行っていないはず。俺は必死に人気が無い場所を中心に駆け回った。
これ以上時間が経つとまずい。そう思っていると空に赤い硝煙弾が飛ぶのを見た。ここからそう遠くない。俺は煙を見失ってしまわない様に何度も空を確認しながら走った。
「スウェイル!!」
俺が辿り着いた時には既にスウェイルは犯人を制圧していたようだった。男に跨る彼女が見えた。
「あ!ヨルグさん!近くに居たんですね〜良かった〜」
ホッとした様な顔の彼女を見て俺も一瞬安心しかけたが、彼女の左腕が明らかに曲がってはいけない方向に曲がっている。
彼女はなぜ笑顔で居られるんだ?
スウェイルが取り押さえている男を見て、俺はすぐにその理由が分かった。
だが話し、もとい説教は後でゆっくりとする事にしよう。今は男の確保と怪我の治療が優先だ。
俺は倒れている男が動き出さないことを確認しながらスウェイルの腕に応急処置を施した。
おかしな方向に曲がっている腕を元の位置に戻した時も彼女は息を乱す事も声を発する事も無かった。
*****
左腕が完璧に折れてしまった私は暫く仕事を休む事になった。数日は救護室に居たのだが、痛みも感じないのにベッドを優先していては心苦しい。私はすぐに自分の部屋へ戻る事にした。
早く救護室を出たのはアシア様がお見舞いに来て謝ってくれた事もある。彼女のせいでは無いと何度も伝えたのだが、彼女は罪悪感を感じてしまっている様で毎日の様に私の元へやって来るのだ。さすがに王女様に毎日救護室に来られては他の者も困ってしまうだろう。
今私は自室でひたすらスクワットを続けていた。誰かに見られたら怒られそうなので隠れてやっている。鎮痛剤も何錠か貰ったが一切飲んでいない。左手が動くようになってきたのでほぼ治りかけのはずだ。首から下げていた布も外し、今はギプスだけになっていた。
「ひ、暇だぁ〜」
ベッドに倒れ込み嘆く。部屋に篭りきりではやる事などすぐに尽きてしまう。
ーーーコンコン
扉がノックされた。私を暇から救ってくれる救世主かもしれない。
「はーーい!」
元気良く扉を開けるが、私はすぐに後悔した。
「ヨルグ......副師団長......」
あの事件以来顔を合わせるのは初めてだ。
「スウェイル。時間はあるか」
「無い......とは言えないですね」
仕事を休んでいるのだ。時間なら売るほどある。
「アレを持って着いてこい」
そう短く言われ、私は部屋の隅に置いてある小箱をチラリと見た。もう彼は全て知っているのだ。私は小箱を握りしめて廊下に出た。
先に廊下を歩くヨルグさんの背中を追う。脚が私より長いのであっちは歩いているのに私は駆け足だ。
数分歩き、彼が足を止めたのは騎士舎の人も普段利用しない少し古い庭園。古ぼけた小さいガゼボが設置してある。だが現在も誰かが手入れしているのか、花はキチンと管理されているようだった。
「座れ」
「はい......」
大人しくガゼボの椅子に座る。誰かに怒られるのはいつぶりだろうか。どこか他人事の様に考える。
「お前はこれが何か分かってるのか?」
ヨルグさんは私が持つ小箱を指差した。
「まぁ、大体は......」
明言するのは躊躇われ、言葉が萎んでいく。
はぁーー、と彼が大きいため息を吐いた。
「それは遥か昔に禁止になった魔道具だ。戦争で多く使われた。痛みを感じないなら最強の兵士が作れると思ったんだろうな」
彼が話しながら手を差し出したので大人しく箱を渡す。
「だがこれを使った国は負けた。何故か分かるか?」
「いえ......」
「痛みを感じなければすぐ死ぬからだ」
彼は怒っている、と言うより泣きそうな顔で私を見た。
「骨が折れても肉が削げても戦い続け、治療していれば助かっていたはずの人間が何千人も死んだ。その戦いからこれは全世界で使用禁止になったんだ」
「全く知りませんでした......」
「まぁその事実を知らない人間は多い。かなり昔の話だからな。だがこれの呪いは他にもある」
他の呪い?私は何かわからず首を傾げた。痛みを感じない様にするだけではないのか?
「痛みを感じなくすると同時にこれは精神にも作用する。自分ではあまり自覚はないかも知れないが、感情が希薄になったり逆に過剰になったりした事があったはずだ」
そう言われてどこかで納得している自分が居た。この世界に来てから全てが一枚膜に覆われている様な感覚だったのだが、それがこの魔道具のせいだったのか?
「これを用意したのはお前か?」
「いえ、母か妹だと思います」
「そうか.....」
それなら大丈夫だな、とヨルグさんが小さく呟いたのが聞こえた。
「腕はもう良いのか?」
なぜ今腕のことを聞くのだろう?私は素直に答える。
「え、あぁもう治りかけだと思いますよ」
「痛んだらすまん。だがこうするのがお前のためだ」
彼は何を言っているのだろう?そう思った瞬間にはもう遅かった。
彼がいつの間にか握っていたロケットはグシャリと彼の手の中で粉々に砕けた。