第六話「錘」
朝早く、まだ日が昇り始めた頃に目が覚めた。
今日はなかなか寝付けなかった。
二度寝するつもりは一切なかったのですぐに起きる。
朝はとても静かで床が軋む音しかしない。
すでにみんな起きていると思っていたんだけど、
今日、アリシアは町に行く。
しかし、下に降りるとすでに先生と母は起きていた。
アリシアもすでに下にいたが母の隣で寝ているようだ。
しかし、ここに父の姿はない。
父はあの日から村の療養所にいる。
安静にしていれば大丈夫であったはずだが、何か問題でもあったのだろう。
今日は先生もアリシアと一緒に町に行くことになっている。
荷物を確認しているようだ。
しかし、俺も二年後には町に行くことになる。
アリシアを見送ったらすぐに勉強をしなくてはならない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
父が倒れてしまった日の夜のこと。
「お願いします」
「いいよ」
両親に俺が専門学校に行ってもいいかお願いをしたらすぐに認めてくれた。
父も自分の病気を治してもらいたいしな、と冗談混じりのことを言って、俺の堅苦しさを和ませようとしてくれた。
ただ、最終的には俺が試験に合格しなければ専門学校にも町にも行けない。
この二年間で合格まで俺の成績を引っ張れるのか次第だ。
この二日間はセラテア先生に教えてもらえた。
しかし、その内容だけでも自分が想像していたよりも難しかった。
小学生の内容なら流石に誰にも負けないと思っていたが自分が今までに習ったことのない難易度のものを散々解かされることになる。
それも中学や高校の範囲とはまた違う難しさだったのだ。
俺は合格できるのだろうか
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
アリシアが起きてからしばらくして、とうとう、龍車が家の前に到着した。
龍を初めて見るのがこのタイミングになってしまい複雑な気持ちである。
乗ってみると意外と中は快適だった。
アリシアもこの村と別れることになるのを理解しているのだろうか、外の景色を見て何も話さない。
しばらくすると隣の村に入った。
ところどころ集落のようなものがあり、区画ごとに家が建っているイホス村との違いを実感する。
俺もこの村から出たことはこれが初めてだった。
それからすぐにレンガの道に入りイホス村にはないような造りの建物も多くなってくる。
そして、家を出発してから三十分ほどで駅に着いたしまった。
「アリシア、大丈夫か?」
「うん」
この世界にも鉄道はあるようだ。少し古いデザインをしている。
汽笛がもう鳴ってしまう。もう、出発してしまうのだろうか。
もう少し、時間があるものではないのだろうか。
汽車だったんだ
そう思いながら走り出したアリシアの姿を見ると少し寂しくなってしまう。
もう、別れるのことになるのだろうか。
「勉強、頑張ってね!」
アリシアは突然立ち止まって、振り返りそう言った。
言い終わるとすぐに再び走り出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
セラテア先生も町に行ってしまった今、俺は学校で一人、二限だけみんなとは別の教室でこれまでの授業に色々な先生の専門の科目の授業が加わった。
今まで、五限だけだった授業が七限になった。
授業スケジュールが厳しくなっただけではなく、宿題の量も増えた。
毎日こなすには多すぎるくらいだった。
「ここわからないか?」
しかし、メリットもある。
僕一人のペースで授業が進められるため。わからない部分があれば俺が理解できるまで教えてくれる。
小学校の範囲で理解できないものがあることは俺が前世での勉強不足というよりかは、中学受験のような応用力が求められる問題をあまり解いたことがなかったからだろう。
もちろんデメリットもある。
それは、一緒に互いを高め合える仲間がいないということだ。
セラテア先生の成績が良かったのはアネレスおじさんの影響でもあるのだろうか。
また、勉強の成果を発揮する機会は必要であった。
そこで半年おきにこの国全体で行われるテストに合わせて勉強することにした。
それには周りからの期待を背負いながら受けることになった。
幸い一度目のテストでは全ての教科で好成績を収めることができた。
後から言えばいい成績を取りすぎた。
総合的な順位では一位をとっていたのだ。
するとある日、家に国の役人が来た。
流石に大袈裟だと思ったが俺の父の医療費を払う代わりに俺を国営の何かしらの職業に雇うという取引のようなものを持ちかけてきたのだ。
もちろん、母さんは断ってくれた。
その時は安心したのだが、その役人は何度も家に来たのだ。
その度に大人の闇を知ることになる。
俺も日本では二十六歳まで生きていたが、まだ経験したことがない出来事だったので動揺してしまったのだろうか。
そこから俺の調子が狂い始めた。
二回目のテストでは成績が一気に落ちた。
先生たちはまだ良かった、俺の調子が悪かっただけだと慰めてくれた。
両親も優しく慰めてくれた。
でも、あいつがなぜかまた家に来た。
もうあいつがこなくなるだけマシだったが、子供のメンタルを踏み躙るかのようにして、家を去った。
「この問題はこれを利用するんだったよな?でも、しっかり誘導されていなくて難しかったかもな」
「いえ、このタイプの問題は解法が三パターンしかなかったので冷静に考えればわかる問題でした」
「…そうか」
この日の六限に初めて遅刻してしまった。
たった、数分だったのであまり気にされてはいないだろうか。
期待はずれだな
その日は一日中その言葉が頭を駆け巡っていた。
帰り道、気がついたらいつもとは違う景色に一瞬困惑するが、途中で道を曲がり忘れていたことに気づく。
しかし、もう歩く気力がなくなってしまいすぐ近くの小屋の影に座った。
すると、目から涙がぼろぼろ落ちてきた。
ヒデはこれほどのプレッシャーに耐えてきたのだろうか。
もしかしたら、みんなの前では平気そうに振る舞っていただけなのかもしれない。
脱水症になるのではないかと心配になるくらいに涙が出て、しばらくして泣き止んだかと思ったら嗚咽し始めた。
その時、俺の頭に温もりを感じた。
顔をそちらに向けるとそこにはアネレスおじさんがいた。
今、俺はどんな顔をしているのだろうか。
何も話しかけてこない。でもずっと優しい顔で俺の頭を撫でてくれる。
俺が言葉で言い表せようのないほどの悲痛を抱いていたことを理解してくれたのだろう。
再び俺は下を向きながら、涙を流した。
「話、聞こうか?」
そう尋ねてくれた。
気がつくともう周りも暗くなり始めていた。
「突然、すみませんでした」
「いいんだよ、また何か相談したいことがあればいつでもくるといいよ」
「本当に、ありがとうございました」
翌日の朝、学校に行くと算術の先生が俺を心配しにきてくれた。
俺が数分遅刻したことを気にしていてくれたらしい。
でも、まだ一年あるんだ
色々考えて一番前向きな気持ちになれる言葉を探した結果、まだ自分に余裕があることを言いかせるのが俺の場合は良いらしい。
その日からあまり周りの目を気にせずに勉強できるようになった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ーー 一年後 ーー
試験の日の朝。
この日は、二年前の頃のように早く起きた。
今日の試験でこの試験に受からなければ、医者への道は潰えると考えると自信はいくらあっても不安になってしまう。
ヒデも当日はこのような様子だったのかな
この世界での俺みたいに本調子で臨めば合格できる実力を持っていても、たった一回の試験で人生が左右されてしまうことを理解していると嫌でも緊張してしまう。
試験は一般と特待のようなものの二種類に分かれる。
俺は奨学金を得るために後者の方の試験を受けるが、いずれ返済しないといけないものなので特待ではない。奨学金入試というのだろうか。
前世の頃は家の近くにそのような中学入試の方法をとっていた学校があったので、その影響で最初に特待という言葉浮かんでしまったのだろう。
元々、募集していた人数が少なかったこともあり俺がうける試験の合格枠は成績が最も良かった人のみらしい。
だから、誰にも負けてはいけない。
家から当日に町に行こうとすると間に合わないかギリギリになってしまうので、時間に余裕を持って試験前日からこの宿に泊まっていた。
もしかしたら、慣れないベッドで寝ていたからしっかり寝れずに早く起きてしまったのかもしれない。
「行こっか?」
「うん」
だいぶ早く起きたのにも関わらず、すぐに家を出る時間になってしまった。
試験は五教科あり休み時間を入れて五時間ほどで終わる。
一般は四教科らしい。
教科数の割には昼過ぎに終わってしまうのだ。
一つ目の試験は国語。
もちろん日本語ではなくこの国の言語だ。
一般とは別の教室で行われるが奨学金入試の受験者数は十六人しかいないようだ。
試験時間は一時間あったが、残り三十分を少し過ぎた頃には全て終わっていた。
次第に周りの鉛筆の音も止まりはじめる。
二つ目の試験は算術。
この学校で一番難しいと言われている教科だ。
一個だけ証明問題が出てきた。
さすがに難易度おかしくね?
日本では中一ぐらいなら習っていそうな難易度であったため、俺の前世の知識で解けた。
しかし、この二年間で習ったことのないものが出てきて焦り始めた。
次の問題、またそのつぎの問題はなんかも解いたことのある問題だったので、次第に調子を戻していく。
三つ目の試験は歴史。
国語、算術の流れに乗っていつも通りの実力を出すことができた。
社会という括りはなく、公民のようなものの試験はこの世界にはないらしい。
公民については日常生活でも触れ合うことは一切なく実際どのような政治をしているのかも全く知らない。
歴史は前世とは一切関係なかったので勉強自体は一番苦労した。
みんなもこの頃から疲れ始めてくる。
四つ目の試験は理科。
この世界には魔法があるからなのか物理という教科はない。
他の三つの地学、生物、化学はある。
理科のほとんど前世の中高の頃に習っていたので、あまり記憶がなかったがこの世界で一番興味を持った教科だった。
その甲斐あってか、理科は満点を取れた自信があるほど出来が良かった。
五つ目の試験は道徳。
他の教科よりは試験時間が短くたった三十分しかない。
一ヶ月に一度、道徳の授業をしてくれていたが、あまり出来が良くなかった。
日本では俺って意外と問題児だったりするのかな
もちろん道徳ができないだけで問題児というわけではない。
大丈夫かな?
でも、全ての試験を何のトラブルなく終えることができてほっとする。
あとは結果を待つだけ。
合格者名は翌日に張り出しをされる。
そのためもう一日この町に滞在することになっていた。
もちろん、今日帰ることになっていても初めから行くつもりだった。
「アリシア?いるか?」
二年ぶりにもなると何と言葉をかけたら良いのかわからなくなる。
「あ、お兄ちゃんだ!」
しばらくしてアリシアが反応してくれる。
言葉もだいぶ覚えてきたのだろう。
身長もそこそこ伸びていて安心した。
アリシアの姿が見えると俺も興奮してきてしまった。
セラテア先生もここにいたようだ。
しばらくして、俺とアリシアの会話に一段落つくとアリシアの病状を説明してくれた。
順調だという報告を聞いて、母さんも安心していた。
その日だけ、アリシアは宿に同行することになった。
規則は緩い施設なのかな、と思いつつ二年ぶりにアリシアと一緒に過ごせることに喜んだ。
久しぶりにアリシアと夕食を食べ、お互いにこの二年間での出来事を語り合った。
入試の疲れが残っているはずなのに、全く疲れず会話をすることができた。
むしろ、疲れが吹っ飛んだようだ。
翌日はしっかり寝ることができた。
朝食を食べたらアリシアを送って学校に向かう。
学校にはなぜか同行者が入ることを禁止されていたので、一人で学校にいくことにした。
まだ六歳の子供が二百人以上この場に集まっている。
合格者の提示は名前の順番で一般も奨学金受験者も併せてするようだ。
すると、学校の門が開き生徒が前庭に傾れ込んでいく。
全員が合格者の張り出しの前で立ち止まる。
しばらくすると自分の名前を見つけたのかあるいはないことを確認したのか何人かが群衆の外にで始めた。
俺はあまり来るのが早くなかったので確認するのも遅れてしまった。
それにしても合格してもみんなあまり喜ばないものなんだな
みんな、謙虚なもんだな。
そう思っていると自分の前の人がいなくなりやっと自分の番がきた。
ちょうど見始めた場所がハデスという人でドキッとした。
そこから一人ずつ名前を見ていった。
ハデス、ヒルドル、ヘルミナと続きその次にはヘロス・パレルソンと書いていた。
自分の名前を見つけたのだ。
この時俺はどんな表情をしていたのだろうか。
俺は自分の名前を確認するとすぐに校門を出た。