第五話「鎖」
アリシアがこの家を出発するのは三日後だ。
外で遊んでいるアリシアをふと見る。
アリシアの無邪気な笑顔を見ると障害に対して何度も憤りを抱く。
どうして、アリシアに、、
こんなにも優しいアリシアになぜ障害がなくてはならないのか疑問に思う。
次にアリシアに会えるのはいつの話になるのだろうか。
この世界にきてまだアリシアとの思い出はほとんどない、できるほど長い時間を過ごしていない。
初めは俺たちも町に行けばいいと思ったが、そうもいかないらしい。
まず、この村は二つの村に隣接している。
うち片方はヘレネスが住んでいる村、もう片方はこの二つの村と違って商業で発達している村だ。
その村に町とつながる鉄道があるという。
しかし、その町も村に隣接しているのにも関わらずとても遠く、そう数時間で着く距離ではないそうだ。それに、大量の金もかかる。
その上、家の仕事を放棄するわけにはいかない。
行けない理由ならいくらでも浮かんでしまう。
そして、アリシアだけが町に行くことになった。
俺も学校があるし、アリシアに会える機会は本当になくなってしまうかもしれない。
そんな中、父がアリシアを連れて俺に出かけないかと声をかけてくれた。
アリシアと別れることを悲しがっている俺のことを気遣ったのだろうか。
今後、アリシアと一緒に出かける機会はほとんどないので、別れる前の最後の機会なので一緒に行くことにした。
「おーい、準備できたか?」
「うん」
「じゃあ、行くぞ」
この時、母は学校の会合があってそこに行っていた。
俺は右手にはまだ小さなアリシアの手、左には大きな父の手を繋いで歩き出した。
この時間はほとんどの人が外に出て農作業をしている。
そういえば、俺は外で父さんの仕事の手伝いをしたことがないな
まだ俺は四歳になったばかりだからもう少し大きくなってからやることになるのだろうか。
でも、俺はすでに両親に勉強に専念したいと伝えてしまっていた。
もしかしたら、俺のことを気遣って今までそのようなことはさせなかったのかもしれない。
普通は農業を継いでほしいと思うだろうが父さんは俺の意見を今までずっと尊重してくれていたのだ。
両親への感謝はいつも精一杯していた。
しかし、このタイミングで感無量になる。
期待に応えられるようにしなきゃ
いつまでも下を向いてられないという前向きな気持ちになれた。
「おや、お散歩かい、パレルソンさん」
「はい、少し気分転換にと」
「大丈夫かい?」
「?」
何が、大丈夫かい、なんだ?アリシアのことか?
少し失礼ではないかと腹が立ったが、父は何事もなかったかのように再び歩き出す。
しばらく歩くと、父が休憩しようと言い出した。
まだ五百メートルぐらいしか歩いていないのに、、アリシアを気遣ったのだろうか
すると、よほど疲れていたのか父が倒れこんだのだ。
少し前から異変は感じていた。
念の為、というかなんとなく父の顔を覗くと父は顔を青くし息を荒げていた。
これは、まずいっ
突然の出来事に、俺は体が動かなかった。
過去、前世の頃の記憶が蘇ってくる。
状況はその時と似ていた。
周りの大人が父を助けようとしていたが、何もすることができなかった俺の。
このまま放置していたら父の命にも影響すると直感していたが、動揺してしまいすぐに行動に移せない。
俺の息も切れてきた。
アリシアを置いて医者を呼ぶにしても知らぬ間にどこかに行ってしまったらどうしようかと思いアリシアを連れて医者を呼びに行こうとした。
しかし、父を一人置いて行くことはしてはいけないと思い結局、行動に移せなかった。
声を精一杯振り絞る。
幸い、父の調子が悪いことに気づいていたようだったさっきのおじさんが最初に気づいてくれ駆けつけてくれた。
おじさんが父を肩車し、セラテア先生のもとに運ぶことになった。
先にセラテア先生を呼びに走ろうかと思っていたが、この世界ではろくに走っていなかったので大人とはいえ、父を一人で抱えているおじさんとあまり変わらない速度だった。
「っ……」
父の命の危機に俺は何もできなかった。
俺が家に着いた頃には母もすでに家に帰っていた。
初めは驚いていたがすぐに状況を飲みこみセラテア先生を呼びに行ってくれた。
「パレルソンさん、大丈夫ですか!?」
きっと近くにいたのだろう。
すぐに駆けつけてくれた。
すぐにおじさんも家に着いた。
しばらく俺とアリシアと父を運んでくれたおじさんは部屋の外で待つことになった。
まず、俺はおじさんに感謝した。
「俺一人では父を起き上がらせることもできませんでした。あのまま、あなたが駆けつけてくれなければ父の命も危なかったかもしれません」
「いいんだよ、坊ちゃん、坊ちゃんが大声で叫んでくれたおかげさ。でも、いつも自分だけで抱え込まずに誰かに頼っていいんだよ」
そして急に俺の頭を撫でてくる。
いつも?なんのことだろうか。
すると母が部屋から出てきた。
「しばらく安静にしていれば大丈夫ですって」
「そりゃよかった。それでは私はここで」
「父を運んでくださり本当にありがとうございました」
おじさんはすぐに帰ろうとしてしまった。
しかし、これだけでは申し訳なくなり俺が呼び止める。
「本当にいいんだよ、坊ちゃん。気持ちだけで十分だよ。それに俺も仕事があるからね」
「……」
立ち去るおじさんの後ろ姿に向かってもう一度お辞儀する。
その後、セラテア先生にどのように倒れたかや直前に前兆があったのかなどの様々なことを聞かれた。
もうすぐ原因もわかるのだという。
俺は父が倒れたのにも関わらず何も行動することができなかったことを後悔した。
こんな俺に医者を務めることはできるのだろうか。
そもそも俺に医者を目指す権利などないのではないか。
そう、俺は最近医者を目指そうとしていた。
あいつに憧れて。
「本当にもう少し遅れてたら君の父の命はもうなかったかもしれない、本当にありがとう」
俺がモタモタしていたせいでギリギリになったんだ。
俺が感謝される筋合いはない。
しかし、セラテア先生は俺がそう言おうとしていることを理解したかのように,俺の話を遮って問いてきた。
「君は彼への自身の感謝がまだ足りないと思っていなかったか?」
まだギリギリ見えるおじさんを見る。
「思いました、父を助けてくださったので感謝してもしきれませんから」
「感謝すること以外でどうやって相手に感謝の意を伝えられる?」
「でも…」
「彼への感謝の意を最大限に伝える方法は直接言葉で伝えることだろう」
こればかりは反論できない。
何か報酬を得ようとして人を助けるわけではない。
ただ、善意で行動していただけ。
おじさんもそうだったのだろう。
「医者になりたいんだって?」
初めからこのことを話したかったのだろうか。
「彼の名前はアネレスと言ってかつて俺と一緒に医者を目指していたんだ。きっと、医者を目指している君のことを応援しているんだよ」
確かにおじさんは俺を優しくしてくれた。
しかし、そもそも面識がない。
もしかしたら、俺が四歳で学校に受かったことで村では少し有名になっていたのかもしれない。
本当は聞くつもりはなかった。
「おじさんはどうして医者を諦めてしまったんですか?」
言ってしまった後に自分の口を押さえる。
自分だって他人の傷口を抉ることをしているではないか。
しかし、セラテア先生は特に気にしたそぶりを見せなかった。
「すみません、、」
「いや、いいんだよ。むしろそのことを話そうとしてたんだ」
笑ってそう応えてくれた。
「彼は精神的な病気になってしまったんだよ」
全然、よくない。
「彼はすぐには諦めなかったけれど、結局この村で安静に過ごすことになったんだ」
「そうだったんですね」
「彼は一人で抱え込みすぎたんだ。だから君に同じような目にあって欲しくなかったんだろう」
勉強のストレス、周りからの期待を一人で受け止めていたのだろうか。
プレッシャーは計り知れないものなのだろう。
「だから、困ったことがあれば一人で抱え込まず周りの大人たちに頼って欲しいんだ。君、最近疲れているだろう。顔を見たらわかってしまうくらいだ」
昨日は俺にそれを話すためだったのか。
相手の話を最後まで聞かず怒り散らかしてしまった俺に対して呆れる返る。
そして、先生に対して申し訳ないと思った。
「いいんだ、俺が君の気持ちをしっかり理解しきれていなかったからこうなってしまったんだ。君が気負うことはない」
本当に頼ってもいいのだろうか?
俺の本音を言ってもいいのだろうか?
「ここに座らないか?」
俺に何か打ち明けたいことがあるとわかっていたのだろう。
夕陽に照らされる井戸にもたれかけている先生の正面の影になっている壁にもたれながら体育座りをする。
「妹の話なんですけど、」
「…うん」
「アリシアを一人で町に行かせることはやっぱり不安です」
「…そうか」
それに一人だと寂しい
自分以外には聞こえないくらい小さい声で話したつもりだったが、ギリギリ聞こえてまったのだろうか、言葉にしなくても伝わっていたのかもしれない。
「…そうか」
俺は前世でもこのような話をしたことがなかった。
「君はどうしたいんだい?」
「無理なことなのはわかっているけれど、アリシアと一緒にいたい」
そう、無理なことだ。今更、変えるわけにはいかない。
いろいろな人たちに迷惑がかかってしまう。
「医者になれる人がどれくらいいるか知っているか?」
「…いえ」
「割合でいうと十分の一程度なんだ。他の国ではもっと少ないのだけれどこの国では各地で魔獣と戦っているから負傷した人の治療に専念した人がたくさん必要なんだ」
「治癒魔法とかはないんですか?」
「ああ、魔法は主に戦闘面でしか発達してこなかったんだ。一つだけその類の魔法があるのだが、いまだにそこから発展していない」
だから、前世の世界のように専門の職業が必要なわけか
「俺とアネレスは途中から町の医療専門学校に通っていたんだ」
いわゆる進学校というやつだろうか?
少し違うのかもしれない。
「君もその学校に行ってみないか?」
「へっ?」
町ならアリシアと一緒に生活できるかもしれない。
このことに一瞬で気がついた。
「もちろんタダで入れるわけではない。しかし、君が六歳になった頃に試験があるんだ」
「でも、お金はどうするんですか?」
淡い希望を抱いたが一旦冷静になって考える。
「受験者の中でも成績が特に良ければ奨学金と言って入学料、受講料を二十年に分割することができる。もちろん簡単ではないが」
奨学金、日本でも度々聞いたことがあった。その頃の俺には一切関係がなかったが、今の俺なら得られるかもしれないチャンスだ。
「生活はアリシアと同じ施設でできるようにする」
それはいいのだろうかと感じたが、またとない機会を得て今は本当に嬉しかった。
「俺が医者になれるんでしょうか?」
「なれるさ、俺が保証してやる」
たった二年、そう思っていた受験勉強がこんなにもきついものだとは思っていなかった。
Αναίρεση:やり直す→アネレス