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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第四節.堕ちた天女

 西の空が茜色に染まり家々から炊煙が上がり始めても少女は依然として眠ったままだった。小助の使いと名乗る男が届けてくれた食材を使い富士重が夕食(ゆうげ)の準備を進めていると、山から戻ったばかりの鷹丸が驚いた顔で眠る少女を見つめた。


「姫様はまだ寝てるのか?」


 鷹丸の言葉に声を抑えるよう手振りで示しながら富士重が答える。


「あぁ。長老様がいらしたときからずっと眠っておられる」


「ずっと? どこか具合でも悪いんじゃねぇのか?」


「そうは見えないがな……きっと旅の疲れが溜まってらしたのだろう」


 二人が(かまど)の前で話していると茄蔵が「あー、疲れたぁ」と肩を押さえながら家の中へと入ってきた。茄蔵は話し込む兄達を尻目に土間を抜けると、板の間に上がるなり不思議そうに少女の顔を覗き込んだ。


「姫さん、メシの時間だで」


 肩を揺らしながら少女を起こそうとする茄蔵。富士重が慌ててそれを制止し、「夕食(ゆうげ)の支度が済むまで無理に起こさないでおこう」と告げた。そして「気安くお体に触れるんじゃないぞ」とも付け加えた。


 丁度その時、外から「ごめんくだせぇ」と声がかかり茄蔵は少女のそばを離れ外へと出ていった。何やら外で話し声が聞こえたあと、茄蔵は屋内に戻り富士重の元へと近寄った。


「富士兄ぃ、行商さんが長老様に頼まれたとかで姫様にって、――これ」


 茄蔵の手には素焼きの小さな壺が乗せられていた。富士重は不思議に思いながらもそれを受け取り蓋を開けてみた。


「これは――梅干しか」


 富士重は壺の中から朱色の塊を一つ取り上げ口に運んだ。程よい酸味と強い塩気が口の中に広がり下顎の辺りにひきつるような感覚を覚える。


「これは良い品だ……よし、これも夕食にお出ししよう」


富士重は満足そうにうなずくと、梅干しの種を竈の脇に吐き捨てた。



 眠る少女の前に小助が貸してくれた朱塗りの折敷おしきが置かれ、そこに蒸し上がったばかりの玄米が盛られた椀が乗せられた。すぐに味噌を溶かし込んだ汁物が運ばれ、次いで山菜の和え物、干し魚の焼き物とが並べられる。最後に先程受け取った梅干しを乗せた小皿が添えられ、富士重は膳に向かい満足げにうなずいた。


 見慣れぬ食品を次々と用意する兄の手際に弟二人は手放しで称賛の声を上げるが、富士重は「以前寺で読んだ書物に書いてあったことを見よう見まねで作っただけだ」と照れながら答えた。それでも二人は「さすが兄貴だ!」「これなら姫さんも喜んでくれるに違ぇねぇよ」と誇らしげに兄を褒めちぎった。


 兄弟の夕食も用意され各々が板の間の隅に腰を下ろす。そろそろ頃合いだろうと富士重は咳払いを一つすると少女に向かって呼びかけた。


「姫君、夕食の用意が整いました。お目覚めください」


 少女は眠ったままだった。富士重は再度呼びかけてみたが、やはり少女が目覚める気配は感じられない。


「姫君」「姫様!」「おーい姫さん!」


 三人が何度か呼びかけていると少女は突然目を開き、無表情のままゆっくりと上体を持ち上げると、寝覚め直後とは思えぬ快活さで「どうされましたか?」と三人の顔を見回す。その何とも言えぬ奇妙な様子に一同は言葉を失いながらも、富士重は再度咳払いをし「姫君、夕食の用意が整いました。大したものはございませんがどうぞお召し上がりください」と、恭しく頭を下げた。


「まぁ、そうでしたか。それではみなさんでいただきましょう」


「それでは」と、富士重が頭を上げ合掌する。弟達もそれに倣った。


「いただきます!」


 兄弟達は声高に食事の挨拶を済ませると、少女の様子をうかがいながら欠けた椀に盛られた雑穀をぎこちない上品さで口元へと運んだ。ところが少女は三人の姿を呆然と見ているばかりで一向に食事をとる素振りを見せない。不思議に思った富士重は食事の手を止めた。


「申し訳ありません。お気に召しませんでしたか?」


「あ、……いえ、」


 そうつぶやくと、少女は兄弟の椀に少量盛られている雑穀と床に置かれている貧相なおかずらしきものを見つめ、次いで自分の前に用意された料理に目を落とした。


「あの、どうして私の食事だけこんなに違うのでしょう……」


「え?」


 困惑する富士重の脇で鷹丸と茄蔵も食事の手を止めた。


「どうしてと言われましても……」


 富士重が口ごもっていると茄蔵が不思議そうに「姫さんは偉い天女様だからだよ」と言った。


「天女……それは食事も皆さんとは違うものなのでしょうか?」


 すかさず鷹丸が「そりゃそうですよ、姫様が俺達と同じ食べ物だなんて恐れ多くて」と答える。


「もしそうであっても、私は皆さんと同じものが良いです……」


 少女は料理の乗った折敷を前に押し出すと、「これは皆さんで分けて食べましょう。代わりに皆さんの食べ物を私に分けてください」そう言って富士重に淡い笑顔を投げかけた。困ったのは富士重である。まさか百姓が口にするものを天女様に食わせ、献上した膳を我らがつつくなどそんな罰当たりなことができるはずがない。何とか少女の機嫌を損ねずに断ることはできないかと富士重は知恵を働かせた。


「おほぉ! 俺、こんなご馳走初めてだよ!」


 言うが早いか茄蔵は少女のそばにすり寄ると、箸で玄米を一塊持ち上げ自身の口へと運ぶ。そしてえぐれた玄米の山を埋めるように自分の雑穀を貼り付けた。


「米、うんめぇ!」


「お、おい!」


 驚きながらも少女の表情を覗き見る鷹丸。少女は微笑んでいた。


「……そ、それじゃぁ俺も」


 鷹丸も少女に近づくなり玄米山の一角を一口に頬張る。


「んんん! やっぱり米はうめぇなぁ!」


「お前達……」


 呆れる富士重を余所に弟達の暴挙は続いた。菜っ葉をどうぞ魚をいただきます、それなら俺は汁物を一口。和え物もいい味付けだ、梅を一つ拝借……稲穂に群がるイナゴさながらに少女のために用意された御膳は鷹丸と茄蔵によって見るも無残に食い荒らされていく。それでも少女はその様子を嬉しそうに眺めているようだった。


「みなさんがうれしいと私もうれしいです」


「姫さんはいい子だなぁ。やっぱり天女様ともなると、ちんまくてもしっかりしてるんだなぁ」


「何失礼なこといってんだよ茄蔵! ほら、姫様も食べてくださいよ」


 散々ついばまれた膳を鷹丸が勧めると少女は笑顔で「はい」と答え箸を手に取った。そして一通り食品に目を走らせた後に袖を押さえながら梅干しを一つ掴み上げた。


「これは何ですか?」


「知らねぇのか? 梅干しってんだ。ちょっと酸っぱいで気ぃ付けてな」


 三人が見守る中、少女は恐る恐る梅干しを口に含んだ。途端に少女はまぶたを食いしばり、花がつぼみに戻るかのように強く顔をしかめる。


「すっ!……」


 その様子を見ていた鷹丸と茄蔵の顔から笑みが漏れる。少女は梅の酸味に身を震わせながらも口元を大いに強張らせて嵐が過ぎ去るのを必死に耐えているようだった。


「姫様大丈――」


「っぺ!」


 不意に少女の口からまだ実の付いた梅干しが矢のように飛び出し、喋りかけた鷹丸の眉間を直撃した。三人が唖然あぜんとする中、梅干しは重力に任せて落下すると鷹丸の持つ椀へと着地する。


「……あの……そんなに酢っぱかったですか?」


 心配した富士重が声をかけるも少女は顔をしかめたまま硬直している。何とも言い難い微妙な空気が場を包み、不意の狙撃を受けた鷹丸も眉間を拭うことすら忘れ呆然としていた。ややあって少女は薄っすらと目を開くと、酸味と怒りに身を震わせながら予想外の怒号を上げた。


「誰だ、私に梅干しなぞ食わせたのは?!」


 大喝一声(だいかついっせい)。先程までとは別人のような剣幕に三人は声を出すことも忘れて少女を見つめた。少女は不審そうに周囲を見回すと、怒りを顔に残したまま不思議そうに喋り始めた。


「……なんで私はこんな(うまや)で梅干しを食わされているのだ?」


「あの、姫君?……」


 恐る恐る問いかける富士重。少女は富士重の方に目を向けるとその整った面立ちに醜悪な笑みを浮かべた。


「お前の仕業か?……よもやただで済むとは思っておるまいな?」

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