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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第三節.夢の同棲生活

「鷹丸、お前助言を聞きに行ったのではないのか?」


 息を切らせながら釣瓶をたぐる鷹丸に富士重が問いかける。鷹丸は振り向きながら道の先を見つめた。


「あぁ、そうなんだけどさ。小助爺が“天女様をこの目で見てみたい”とか言い出しちゃってよ」


「それで長老様は?」


「家を出たときは後ろにいたんだけどな」


「まさか長老様を置いてきたのか?」


「いや、そんなつもりは……」


「……鷹丸、ご高齢の長老様がお前と一緒に走れるわけがないだろう」


「あぁ、それもそうか」


 富士重が呆れたように見つめる中、鷹丸は悪びれる様子も無いままくみ上げた井戸水をうまそうに飲み始めた。


 住み慣れた村の中でよもや大事は無いだろうと思いつつも、富士重は小助を置き去りにして自分一人だけ先に帰った鷹丸の無礼を非難すると、すぐに戻って供をするよう言い聞かせた。鷹丸はあからさまに面倒くさそうな顔をしたが、結局兄に急かされるまま今しがた走ってきた道を気だるそうに戻っていった。


 富士重は「困ったヤツだ……」と小さくつぶやくとカラになった釣瓶を井戸に下ろした。


 ――あんな調子で本当に大丈夫だろうか?


 昨晩熱く語っていた鷹丸の言葉が富士重の脳裏を(かす)めていく。


 ……“兄貴、俺は村を出て各地を回りながら刀一本で食っていくつもりだ!”




 今年十九になる富士重を長男に、一つづつ年を隔てたこの三兄弟は両親の残した田畑を糧に今日までこの村で暮らしてきた。両親については富士重が十五の頃に母親を流行り病で亡くしており、父親はその翌年の秋にふらりと村へやってきた遊女風の女と駆け落ちしてしまっていた。


 働き者でやさしい母親の死は三兄弟の心に失意と深い傷跡を残していたが、父親に至ってはまともに働きもせず頻繁に家を空けていた上、いたとしても野良仕事をするでもなく武士の真似事のように剣術の稽古ばかりに熱を上げていたこともあって、父親がもう戻って来ないと分かった時もようやく邪魔な荷物が消えてくれたと感傷に浸る気すら起こらなかったものだ。幼いころから働かない父親の分まで野良仕事に精を出してきた三兄弟にとって父親の不在は何も変わらない日常の延長でしかなく、むしろ余計な食費がかからない分家計にとっては好都合ですらあった。


 この先どうなるかは分からないがきっと兄弟それぞれが嫁を貰い、今まで通りこの村で百姓をしながら時が来ればこの村に骨を埋めることになるのだろう……深く考えるまでもなく“そういうものだ”として日々を過ごしていた矢先、鷹丸から(くだん)の発言が飛び出した。これには流石の富士重も耳を疑った。


 確かに鷹丸は剣術の腕が立つ。それは周囲の者全員が認めるところであり、あの父親も鷹丸の才能には絶賛していたくらいだ。


 ――鷹丸はあの男とは違う。あんな男とは……


 富士重は父と同じく剣術に強い興味を抱く鷹丸に複雑な思いを感じながらも、鷹丸が家を出る決意を固めるきっかけになったであろう数日前に村へやってきた旅の浪人を思い出していた。


 全国を遊歴中だと言うその男は立ち寄ったこの村で小助に宿を借りると、一宿一飯の恩義とばかりに自身が戦で上げてきた手柄の数々や倒してきた怪物の話、果ては深山幽谷(しんざんゆうこく)で見つけた大昔の遺物や財宝の話などなど、村人が聞いたことも無いような冒険譚の数々を弁舌巧みに語り上げていった。集まった者達が興味深そうに浪人の話しに耳を傾ける中、鷹丸だけは何か強い覚悟を感じさせる目で浪人を見つめていたことを富士重は見逃さなかった。




「兄貴ぃー! 小助爺をお連れしてやったぞぉー!」


 鷹丸の元気な声が遠方より響いた。今度は鷹丸の前を歩く小助の姿も確認できる。富士重は濡れた手を振り上げて答えるが、すぐに水の張った木桶に手を戻すと到着までにもう二、三着くらいは洗えるだろうと洗濯を続けた。


 いよいよ鷹丸達が近づいてくると富士重は洗濯の手を止めその場に立ち上がった。


「長老様、わざわざご足労いただきありがとうございます」


 富士重は(よわい)八十を越える長老の小助に向かって丁重に頭を下げた。


「富士重や、空から天女様が下りてきたと聞いたが本当か?」


 小助の問いに富士重は声を潜めながら答えた。


「はい。それで今後どうしたものかと思案した結果、長老様のお知恵をお借りしようと鷹丸を向かわせた次第です」


「……にわかには信じられぬな……まずはその天女様とやらにお会いしてみようかな」


「それが……どうもご自身の素性を語りたくないご様子でして……」


「ほう?」


「三日ほど前にどこかのお屋敷から駕籠に乗って出発されたそうですが、住んでいた場所や目的地、どうしてこの地に下り立ったのかなどを伺っても歯切れの悪い答えが返ってくるばかりでして」


 小助は伸びるに任せた白い顎髭(あごひげ)をなでながら無言で何かを考え込んでいた。


「……なるほど、話は分かった。ともかく一度会わせてくれるか?」


 富士重は「分かりました」と答えると、家の戸の前に屈み込んだ。


「……姫君、よろしいでしょうか?」


 一同は人形のように動きを止めると固唾(かたず)を呑みながら少女の返事を待った。ところがどれだけ待とうとも家の中から返事の声は聞こえてこない。富士重は一度咳払いをすると再度声高に呼びかけてみたが、まるで屋内には誰もいないかのように家は沈黙を守り続けるばかりであった。


 ――もしや姫君に何かあったのか?


 富士重は妙な不安感に襲われると、「失礼いたします」と言うなり家の戸を軽く開いた。


 家の中を覗き込んだ富士重は無言のまま硬直していた。鷹丸と小助も黙ったまま富士重を注視している。心地よい春のそよ風が家の中に舞い込み、横たわる少女の髪を軽く撫でていく。富士重は不意に小助のほうへと顔を向けた。


「恐らく、お休みになられているのかと……」


 その場の全員が家の中を覗き込むと少女は敷かれた藁の上で横になっていた。小助は富士重をどけながら静かに家の中へ入っていくと、這うように板の間へと上がり高貴な衣裳(いしょう)に身を包んだ花のように愛らしい少女の顔を覗き込んだ。富士重と鷹丸は土間に立ち尽くし小助の様子を食い入るように見守っていた。


 少女から離れた小助を兄弟は不安気な面持ちで迎えると、その口から発せられる言葉を一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで待ち望んだ。


「ふむ、眠っておいでのようじゃ。 ――なるほど、確かに並々ならぬ気品をお持ちのお方じゃな。その上天からいらしたとあれば天女様に間違いあるまい」


「やっぱりそうか!」


 声を上げる鷹丸をなだめながら富士重は改まった表情で小助に問いかけた。


「長老様、我らはどうしたらよいのでしょうか?」


「そうじゃな……」


 小助は再び顎髭をなでながら考え込んだ。


「……相手が相手なだけにわしも早々に判断を下すことができん。数日もすれば喜一郎様がお戻りになるはずじゃから、そのとき共にご判断を仰ぐとしよう」


「では、それまでどういたしましょう?」


「すまんが喜一郎様が戻るまでの間お前達が天女様のお世話をしてもらえんか?」


「我らがですか? しかし……」富士重は難色を示した。


「もちろん必要な物があれば村の衆も協力する。これも何かの縁と思って少しの間だけ頼めんか?」


「……わかりました。小助様がそこまでおっしゃるのであれば」


 そう言いながらも富士重は内心困惑していた。突然やんごとなき御身分の方をお世話しろと言われてもどうしてよいものか想像もつかない。ましてや相手は天上人様だ。我々の常識が通用するのか甚だ疑問である。とは言え状況が状況だけに多少のご無礼があったところでまさか命まで取るほど神様も無慈悲ではないだろう。何しろ鷹丸達は化け物や野生動物が闊歩する危険な山中から天女様を救い出してきたのだから。


 ――救い出して、きたのだよな……?


 山中での実情を知らない富士重は若干の心許なさを感じつつも静かに家を出た。


 小助は「後で食料などを届けさせよう」と言うと、鷹丸の同行を丁寧に断り一人で家へと戻っていった。別れ際に言い残した「決してご無礼の無いようにな」という言葉が富士重の心に重く圧しかかる。鷹丸は深く考える様子もなく「スゲーことになったな!」と興奮しているようだ。富士重は鷹丸を落ち着かせると、茄蔵一人では薪集めも大変だろうからお前も行って手伝ってこいと浮かれる弟を山へと送り出した。


 一人残った富士重は天を見上げた。気が付けば太陽は南中に輝き季節外れの暑さもその度合いを増している。


 ――今日は洗濯ものが良く乾きそうだ。


 富士重は突き刺さるような日光を手で遮ると置き晒しにしてある洗い桶のそばへと向かった。

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