前日の事情
ソファイアがフォレスター国へマキシウスを同行させるつもりでいることなど、マキシウス自身は全く与り知らぬことであった。
ある朝、複数の気配に飛び起きたマキシウスは、いきなり布を口に当てられ意識を失う。
次に目覚めた時は水中にいた。
川か?
池?
いや、人肌以上に周囲の水は温かい。
いつの間にかマキシウスは、全裸で適度な温度の湯の中にいた。
何処だろう、ここは。
周囲を見渡すと、鉱山周辺の樹木と同じ種類の木々に囲まれている。
鉱山の近くであるのは間違いない。
視線を感じて目を向けると、子猿が何匹か木の上にいた。
なんとなく、ソファイアに似た猿だなと、マキシウスは笑う。
よく分からない状況だが、湯浴みも久しぶりだ。
からだの節々が喜んでいる。
マキシウスは肩まで湯に浸かり、手足を伸ばす。
ザバ――ン!
いきなり水飛沫が上がる。
立ち上がるマキシウスの前で、ソファイアが手を振っていた。
「どう? あったかい?」
「あ、あったかいじゃないだろ! ここに連れてきたのはお前か!」
「えっへへ。うん。まあ、部下だけど」
ぶか?
この子猿に部下などがいるのか。
「まあまあ、細かいことは気にしない気にしない。ずっと湯浴みしてないでしょ?」
「……ああ」
「せっかくだから、身綺麗にしてもらおうと思ってね」
何がせっかくなんだろう。
悩むマキシウスの背中を、ソファイアはペチペチ叩く。
「背中、洗うから石のトコに座って」
硬めの布で、マキシウスの背は擦られていく。何やら花の香りがする。
「このところ、マキ兄さんと一緒に寝られなかったけど」
「誤解を招く言い方、よせ」
「いいじゃん。婚約者同士なんだし」
「え? 誰が?」
「兄さんとあたし」
「…………」
「…………」
「なんだってええええ!!」
思わず振り返ったマキシウスは、背を流すソファイアの、肌の露出に狼狽えた。
「……すまん」
「あ、いいよいいよ、婚約者だし」
「だから、いつ、俺とお前がそうなった」
「兄さんは、あたしが婚約者じゃ、嫌なの?」
「そういう話じゃないって」
ソファイアはマキシウスの背中にぺたりと身を寄せる。
「十五になったら、結婚できるんだ、ウチの国は」
「お前、幾つだよ、今」
「十四。年が明けたら十五になる」
マキシウスは赤い顔を誤魔化すように、湯を掬い顔を洗う。
もっと、年下だと思っていた。
十五なら、フォレスターでも婚姻可能な年齢だ。
「ちなみに、お前の国ってどこなんだ?」
「リスタリオ」
マキシウスの頭に、何かの割れる音が響いた。
リスタリオ国。
この鉱山の遥か向こう。
母の笑顔。
一緒に遊んだ女の子。
『マキ兄たん』
揺れていた、水晶の欠片……。
マキシウスの口から出た言葉は一つだった。
「聖女……」
ソファイアはにっこりと笑う。
「そう。あたしはリスタリオ国第一王女であり、現聖女のソファイアなんだ」
情報過多により、のぼせ気味になったマキシウスが湯から上がると、真新しい衣服が一式置いてあった。
それは久しぶりに見る貴族の衣服。
袖を通すと気分が落ち着いた。
衣服を身に着けたマキシウスを見て、ソファイアはキャッキャッと笑う。
やはり子猿か。
「さすが、腐っても王子! 似合う似合う」
「腐ってないから」
マキシウスは切り株に腰かけ、伸びた髪を縛る。
「で、俺に何をさせたいんでしょう。王女様」
「ああ、ええと、いつも通りの口調でお願い」
ソファイアはフォレスター国の儀式に、マキシウスを連れて行くことと、長らく抱えていた疑問を明らかにすることを告げた。
「なるほどね。俺がお前の婚約者として、同行すると。でも俺は、フォレスターから追放された人間だぞ」
「その点は問題ないわ。リスタリオでの戸籍を作ってあるから」
「へえ……」
問題ありそうな気がしたマキシウスだったが、口にはしなかった。
それよりも、ソファイアが明らかにしたいこととは何なのだ。
「お世話になった、『聖女代行』ヴィエーネ様の、死の真相」
マキシウスの瞳が大きく開く。
それは、彼自身がずっと知りたかったこと。
長らく蓋をされてきた王家の闇だ。
「そ、それは、俺も知りたい。俺自身のことなんかよりもずっと……」
「でしょう? だから行くの」
「いつ出発する?」
「明日!」
「え……」
また馬車で一週間も過ごすのかと、少々憂鬱になるマキシウスにソファイアは言う。
「あ、ウチからフォレスター国の側までは、転移門で行くから、すぐ着くよ」
なるほど、蛮族が住むというリスタリオには、確かに魔術が残っているのだった。
ざまぁもの、だと思います。
もう少々のお付き合いを……。