遺品の事情
ネロスは杖を突きながら、ゆっくりとバルコニーの端まで進む。
「ほお……。今宵は庭の空気が澄んでいるな」
そう言いながらネロスはマキシウスとソファイアに向かい、騎士の礼を執った。
「聖女様へ厚く御礼申し上げる。貴方様が我が国へおいでなされた。……神はまだ、我々を見捨てないで下さった証左」
「あの、顔上げてください」
ソファイアは、ネロスに視線を合わせるように、しゃがみ込む。
聖女であっても淑女でない振る舞いに、マキシウスは苦笑する。
「これを、聖女様にぜひ」
ネロスは懐から懐中時計を取り出すと、蓋を開ける。
中には星の様に光る、三角錐の結晶があった。
「そ、それは!」
「そうだ。前聖女の息子よ。お前の母上がいつも祈りを込めていた、聖なる石だ」
ソファイアは小さな結晶を、掌に乗せる。
すると朝焼けのような色を、三角錐は放つ。
「なぜ公爵、あなたが持っている?」
「託されたのだ。ヴィエーネ様に。あの方が病床にいた時に。いずれ、この国が混迷を迎えるだろうと。その時は、次代の聖女に渡して欲しいと」
ネロスの言葉に応えるかの様に、結晶は光の玉を空に飛ばす。
「済まなかった、マキシウス。お前が鉱山に追放された時、わたしは止めなかった。庇うこともしなかった。陛下を諫めることすらしなかった」
「いや、おかげで聖女と縁が出来たから」
「ああ、それを密かに望んでいたのだ。この王宮から一刻も早く、お前を逃したかったからな」
王宮から逃す。
ということは、この王宮内には、やはり諸々の問題があったのか。
「詳しく話す時間がはない。要点だけ伝える。現王妃は王家の闇を自由自在に操れる。陛下もその闇に呑まれて、正常な判断すること能わずだ。闇とは金であり人であり、人外であるもの全てを含む」
「なぜ、公爵はその闇に巻き込まれていない?」
「ヴィエーネ様からお預かりした、その聖なる石によって守られていたようだ。王妃もわたしと直接会うことはない。トールオ殿下を通じて、こちらの動向を探ってはいたが。王妃の血を受けたトールオ殿下が正式に王太子になった。これで、正妃は陛下を引退させるだろう……。この国は邪悪な者たちに支配されてしまう」
「トールオも、闇の支配下にあるのか?」
ネロスは一瞬言い淀む。
「なんとも言えない。間違いなく王妃の血を継いでいるのだが……。マキシウス、聖女様とお前を今回呼んだのは、トールオ本人だ。それが王妃の意向なのか、彼独自の判断かは分からない」
「……そうか」
「公爵殿。国を操るような呪術には、相応の贄が必要だと思いますが、それは……」
「おそらくは、……聖女殿の……」
「あたしの命、ですか」
恐れなど微塵もなく、ソファイアは笑った。
「そんなこと、俺がさせない!」
「頼むよ、マキ兄さん」
あくまでも、ソファイアの表情は明るい。
ネロスは杖の先端をソファイアに向ける。
「ここに、先ほどの聖なる石を」
先端には、三角形の孔がある。
ソファイアは言われた通りに、結晶をはめ込む。
すると、カチリと音がして、杖全体が光を帯びる。
「これもヴィエーネ様が遺した物。いつの日か、息子のマキシウスが成長したら渡して欲しいと」
マキシウスが手に持つと、杖はずっしりと重かった。
先端を左右に引くと、キラリと刃が見える。
「剣、なのか」
「王宮でのパーティに、帯剣は出来ないからな。杖の形にしておいた」
月が翳る。
紺色の夜空は、黒い雲で覆われていく。
いきなり稲妻が走る。
遠雷が聞こえた。
ソファイアの表情が引き締まる。
「来る……」
何が来るのかと、マキシウスは問わない。
それはきっと……。
「さあ行けマキシウス、陛下を探せ。会場に姿を見せていないから、おそらくは王妃と共にいる」
「分かった」
ネロスは再度、深々とソファイアにお辞儀をする。
「他国からお見えになった聖女様。くれぐれも、ご留意を」
思いのほか長くなりました。
あと数話、お付き合いくださいますと嬉しいです。