79:守護霊ボブ
ボブの自称二つ名を『漆黒の堕天使』→『闇より生まれし漆黒の支配者』にグレードアップしました。
テーブルの上で歌いながら踊る半透明の男性は、ボサボサの茶色い髪と薄紫色の瞳をしていた。ニヤニヤ笑う口元からは鋭い八重歯が覗いている。
男性が着ているのは、二日前にメルさんが見せてくれた魔術師団のローブに似ていた。
けれど裾や袖が無駄にボロボロで、その中に着ている黒尽くめの服も膝が破けていたり、「そこにベルトを付ける意味なくない?」という箇所に大量にベルトが付いていたりしていた。独特なファッションセンスだなぁ。
彼はひとしきり踊った後で、ビシッとポーズを決めた。
『さぁ、俺様を称えろ、バーベナ!! 『闇より生まれし漆黒の支配者』である俺様ボブ・カラドリアが、ヴァルハラより見参だぁぁぁ!!』
「……えーと?」
『なんだバーベナ、今日はノリが悪ぃな? 先輩命令だぞ、敬え!』
そう言われましても。私には貴方の後輩だった記憶がまったく無いのですが。
私がテーブルの上を見上げながら途方に暮れていると、ギルさんが「どこを見ていらっしゃるのですか、オーレリア?」と訝し気に尋ねてきた。
どうやらギルさんには、この謎の半透明の男性が見えないらしい。
ほかの人たちにも見えていないようで、中空を眺めて困惑している私のことを不思議そうな表情で見ていた。
「ねぇギルさん、以前の私って霊能力とかあった?」
「霊能力ですか?」
「なんかテーブルの上に半透明の男性が突然現れて、『闇より生まれし漆黒の支配者』とか言ってるんだけど。私、自覚がないだけで結構疲れてるのかな?」
「もしや、この場に元上層部のカラドリア先輩がいらっしゃっているのですか!?」
「ええぇぇぇ~? 私、本当に霊能力ある上に、この変な人と知り合いだったのか……?」
『変な人とはなんだ!? バーベナに言われたくねぇんだけど!?』
ボブさんがわぁわぁと喚くのを眺めながら、私はギルさんの説明を聞く。
なんでもボブさんはオーレリアに生まれ変わる前の私の仕事仲間で、戦争で死んじゃったけれどたぶん守護霊検定に合格して会いに来たのだろう、という話だった。
守護霊になると、守護する相手がピンチの時に地上まで助けに来ることが出来るそうだ。すごい話だな。
リーナとウィルとメルさんも一緒に話を聞いていたが、「あたしには見えないけど」「幽霊がこの場に居るの? おれたちのこと、呪わない?」「祟りが起こらないように、なにかお供え物をした方がよろしいかしら?」と周囲をキョロキョロ見回していた。
ちなみにペイジさんはずっと、『銀の鎖』の魔術式が書かれたメモを見たまま、頭を抱えている。
『つぅーかバーベナ、これまた面倒くせぇ魔術を掛けられたなぁ。記憶に闇を掛けられてるぜ。あ? ギル以外全員やられてんじゃん。だっせぇな!』
「ボブさんは私たちが記憶喪失なのが分かるんですか?」
『闇の魔術関連は俺様の得意分野だからな! 当たり前だろ』
「じゃあ、この記憶喪失がどうすれば治るか、ボブさんはご存知ですか?」
『この程度の闇魔術、大天才の俺様の手に掛かれば一瞬で治るけどぉ?』
「え!? 本当に!? ボブさん、すごーい!!」
『ハハハ! なんせ俺様だからなっ!』
あっさりと記憶喪失の解決方法が見つかってしまった。
私はすぐにギルさんにそのことを伝える。
「ねぇねぇギルさん。ボブさんなら私たちの記憶喪失を治せるって! 大天才だから一瞬だって!」
「カラドリア先輩が闇魔術と料理に関して才能が突出しているのは存じていましたが、さすがですね。一目見ただけでオーレリアたちに掛けられた魔術を判断し、解決方法まで分かるとは」
「ボブさんって料理も得意なの? すごーい」
『まぁな! 王城料理人にだってなれるくらいの腕前だったが、国家魔術師の方が支給されるローブがカッケーから魔術の道に進んだわけよ』
「へぇー、そうなんですね」
それなのにローブをボロボロにするんですね? やっぱりセンスが独特だなぁ。
私がそんなことを思いながらボブさんを見上げていると、ギルさんが横からそっと私の手を握ってきた。
びっくりして、首がグギッて音を立てるほどの勢いでギルさんに顔を向けてしまう。
「ですが、貴女は本当に記憶を取り戻しても平気なのでしょうか……?」
近くにあるギルさんの顔にドキドキしていると、彼は眼鏡の奥の黒い瞳を曇らせながら言った。
「記憶を取り戻すということは、戦時中のバーベナの記憶も取り戻すということです。いまのまま、何も覚えていないまま、新しい人生を歩むのもひとつの選択だと僕は思います」
「ギルさん……」
ここはふつう、「自分の記憶を取り戻して、以前の貴女に戻ってほしい」みたいなことを言うべきでは?
妻が自分のことを覚えていないとか、いろいろ不安だろうに。
わたしがそう思って尋ねれば、ギルさんは首を横に振った。
「確かに貴女が僕のことを忘れてしまったのは寂しいですが、オーレリアの心が幸福であることの方が大事です。貴女がもう一度僕にほだされてくださるための算段なら、いくらでもありますし。結界魔術が強化された屋敷や大量のお酒や魔術書を用意したり……」
「ギルさん、私のこと意外とチョロいと思ってるよね?」
とにかくギルさんは、私の気持ちを一番に考えてくれているらしい。
ギルさんはとても苦し気な表情で私を見つめていた。
私が戦時中の記憶を取り戻して傷付くのではないか、と本当に心配しているようだ。
きっと戦争の記憶はとても悲惨で、痛くて、苦しくて、汚くて、この記憶を失えるのならほかの全ての記憶を捨ててもいいと一瞬でも思ってしまうほど苛烈なものなのだろう。
記憶がまっさらな状態になってしまった私でも、そのことは想像に難しくない。
ギルさんの言う通り、このまま何も知らないで生きていた方が、私はずっと能天気に笑っていられるのだろう。
「ギルさん、私、戦争だろうとなんだろうと、つらい記憶なんて一つだって持っていたくないよ。思い出すと楽しくて、嬉しくて、笑顔になるような記憶だけを持って生きていけたら、とっても幸せだと思う」
「オーレリア、では……」
「でもこの先、つらいことが一つもない未来なんて生きられないことも知ってるんだ」
再び戦争が起こるかもしれない。もっと身近な形で、とてつもない不幸なことが起こるかもしれない。
そんなふうにつらいことが起こる度、過去の記憶を全部消去していたら、ギルさんとちゃんと向かい合って生きていけないじゃないか。
「どうせつらいことは避けられないんだから、私、ギルさんと出会った時のこととか、ギルさんと過ごした時間を全部知りたい。私の家族や友達やほかにも大切な人が居るのなら、ちゃんと思い出したい。大事な記憶で心を武装して生きていきたいよ」
きっと以前の私は、ギルさんとかけがえのない時間をひとつずつ積み重ねてきたはずだ。
だってそうでなければ、記憶もないのにこんなにギルさんを信じてしまう私の心を、説明することが出来ない。
「私にギルさんのことを全部教えて欲しい。ちゃんと知りたいんだ」
私はそう懇願してギルさんを見つめる。
ギルさんは頬を赤らめ、「うぐっ」と苦し気に呟いたかと思うと、胸元に手を当てた。
「分かりました。というか負けました。それならばカラドリア先輩に記憶を戻して頂きましょう」
「ありがとう、ギルさん!」
「……記憶を取り戻して、やはり貴女が『思い出したくなかった』と思ったその時は」
ギルさんは真剣な表情で私を見つめた。
「僕が貴女と一緒に泣きましょう。あの頃の僕はバーベナに頼られるのをただ待つのではなく、貴女が泣いているその背中を抱きしめて、自分からも悲しみを共有するべきだった。そうすれば貴女を孤独にすることはなかったのでしょう」
「……過去の私のことはよく分からないけれど、いまの私が孤独になることはそうそうないと思うな。だって、こんなに私のことを考えて、心配してくれて、支えようとしてくれる旦那様が居るんだから。孤独になりようがないでしょ」
だからきっとだいじょうぶ。嫌な記憶に圧し潰されそうになっても、ひとりぼっちで自暴自棄になったりはしないから。
そう念を押せば、ギルさんは穏やかに頷いた。
『話は纏まったか、バーベナ? そろそろ解除を始めるぜ!』
「はい、ボブさん。よろしくお願いしますっ!」
『よし、やっと俺様が本気を出せる時が来たようだな……。神より与えられし俺様の偉大なる力よ! 深淵から真実を暴き出せ! アルティメット・ディコンタミネイト!!!!』
「そのセリフってなにか意味があるんですか、ボブさん?」
ボブさんが意味不明なことを叫びながら両手をかざすと、天井に金色の巨大な魔術式が浮かびあがる。そしてピカッと強い光が降り注いだ。
その光が収まる頃、私はしっかりと記憶を取り戻していた。




