77:死者の国に属する生き物
〈さぁ 俺をここから出せ……ッ!!!! 世界の終焉を創めてやる!!!! アウォォォーン!!!!〉
鼓膜を破りそうなほど大きな鳴き声が、扉の隙間から響いてくる。音の振動は岩場全体を揺らし、岩壁から大きな岩が転がり落ちてくるほどだった。
鳴き声に合わせて霧の量もどっと増え、さらに周囲の視界を悪くさせる。ギルさんが結界を張ってくれていなかったら、今頃全身びしょ濡れで、寒さに震えていただろう。
ギルさんは騎乗したまま、考え込むように顎に手を当てた。そしてなにかを呟いている。
「『森の最奥にある岩場にて、〝世界の終わり〟が眠る』……」
「それも噂の男爵家の本に書かれていたやつなの、ギルさん!?」
「はい、そうです。祭事に関する章の最後には、こう書かれていました。『この地の識者曰く、扉の奥には〝世界の終わり〟が眠っているとのこと。それが放つ魔力により『銀の鎖』は腐食していく。『銀の鎖』が腐食する前に必ず交換しなくてはならない。これを怠れば〝世界の終わり〟が目を覚まし、地上へと解き放たれ、最後の戦いが始まるであろう』と」
「つまりこの扉の奥で吠えている狼みたいな生き物が、〝世界の終わり〟ってわけ!?」
「そのようですね」
ギルさんは扉に掛けられた鎖を見つめる。
「つまりこの『銀の鎖』を、早急に作り直さなければならないわけです。この扉の向こうに居る生き物が解き放たれた時になにが起きるかはまだ分かりませんが、良いことではないでしょう。そしてこの白い霧を消すためにも、扉を固く封じなければなりません。そうしなければ僕たちもこの森から出られません」
「ふむふむ。なるほど!」
「ただ、問題があります」
「どんな問題があるの、ギルさん!? その問題を早く解決して、この扉を閉めようよ!」
「『銀の鎖』を制作できるであろうペイジさんが、記憶喪失だということですね」
「そうだったー!!!!」
白い霧のせいで記憶喪失になったのに、記憶を取り戻さないと白い霧を止めて森から脱出することが出来ない。なんて厄介な霧なんだ!!
「それにこの『銀の鎖』の材料を調べ、組み込まれた魔術式がどのようなものなのか探さなければいけません。いつものペイジさんでも解析に時間が掛かります」
「え? 魔術式なら分かるよ?」
私が言ったとたん、ギルさんがこちらにバッと振り返った。
「こういう式でしょ?」
鎖に描かれた魔術式を指で再現しようとすると、ギルさんが真っ青な顔で私を止めた。
「貴女が再現しようとすると絶対に爆破魔術が作動するので、おやめください!!!! しかも今は国土が消失するレベルなので!!!! 紙に!! 紙に書きましょう!!!」
「え、そんなに危ないの。私の魔術?」
「とりあえずリドギア王国が終わります!!!!」
世界の終りというのも恐ろしいが、国がひとつ終わるのだって、十分恐ろしいな。
私は大人しく、紙に魔術式をメモすることにした。
メモしているあいだも、扉の奥では暴れまわる生き物の鳴き声が続いている。
やっぱり狼の鳴き声だ。
〈アウォォォーン!! アウォォォーンッ!! ぶっ殺してやる!! 木々を凍らせ 大地を雪原へと変え 川も海も氷結し 生き物全てを氷漬けにして 大神の喉笛を掻き切ってやる!!!!〉
氷河期でも作る気なのかな?
話し合いでこの生き物の改心を促せないかと思い、声を掛けてみる。
「あのぉ~。地上を氷河期にされると全生物がたいへん困るので、考え直していただけると有難いのですが~」
〈うるせぇ!! 俺に指図すんなっ!! だいたいお前は俺と同じように死者の国に繋がれた魂だろうが! 俺を味方しろ! もう一度生き直してヴァルハラへ行こうだなんて愚かな夢を見んな! この世界を怨み 妬み 嫉み ぶっ壊そうとしてこそ死者の国の魂だろうが!!〉
そういえばさっきも言ってたな。私のことを死者の国に繋がれた魂だって。
ギルさんも最初の頃、私のことを戦争の英雄バーベナの生まれ変わりだとか言っていたっけ。
まさか私は本当に、生まれ変わりなどという非常識な存在なのだろうか?
「この生き物に話しかけるのはおやめください、オーレリア」
私と扉とのあいだに盾となるように、ギルさんが馬を回す。
「扉の奥に居る生き物が本当に死者の国に属しているのなら、貴女にどんな影響を与えるか分かりません。最悪、また死者の国に引きずり込まれます。気を付けてください」
「ギルさん……」
記憶を失ったばかりの時はギルさんの言葉を信じられなかったのに、いまは胸にすとんと落ちてくる。
たった一日一緒に過ごしただけなのに、この人の言葉を信じられてしまう。
まいったなぁ。
生まれ変わりという特異に対してか、記憶を失ってもギルさんに惹かれている自分に対してか分からないけれど、本当にまいったなという気持ちでいっぱいだ。
「クァントレル男爵が祭事を行っていた場所こそが霧の発生場所だと分かりましたし、『銀の鎖』に組み込まれた魔術式も手に入れました。これ以上ここに居ても仕方がありません。一度、小屋へ戻りましょう」
「分かった、ギルさん」
ギルさんの撤退の判断に、私は同意する。
扉の向こうの生き物はまた吠えたが、私たちは馬を操り、岩場から一時撤退することにした。
〈待て!! そこの女!! 俺の封印を早く解け!! アォーーーン!!!!〉
「うわわわっ、岩が上からどんどん降って来る!!」
「どうやら鳴き声で、岩壁を崩壊させる気のようですね。この場から僕たちを逃がさないために」
辺り一帯が激しく揺れ、岩壁からボロボロと岩が剥がれ落ちてくる。
自分の体の何倍もあるような岩が、私たち目掛けて落石して来る恐怖に体がすくんだ。
馬も恐慌状態で、もはや振り落とされそうである。なんとか馬の首筋にしがみつくので精一杯だった。
そんな私の横でギルさんは腕を伸ばし、落石に向かって風魔術をかける。
「だいじょうぶですよ、オーレリア。結界魔術をずっと張っているので僕たちに落石は当たりませんし、いま風魔術で落ちてくる岩をコントロールして退路を確保しますから」
「さすがギルさんんんんん!!」
岩壁からは次々に岩が落ちてくるが、ギルさんのお陰でどうにか道を切り開き、岩場から撤退することができた。
振り返って確認すると、私たちが通ったあとも落石が続いたらしく、扉に続く道は瓦礫の山のようになっていた。
「この揺れで扉が変形したり、『銀の鎖』が切れたりしないと良いのですが」
「ここからはもう、確認ができないね……」
扉の封印がまだ守られていることを願うことしかできない。
「とにかく急いで戻りましょう」
「うん!」
私とギルさんはあとは無言で馬を走らせた。
片道一日半から二日は掛かり、帰り道も同じだけ時間が掛かると思っていた探索は、馬たちのお陰で丸一日に短縮することができた。
夜中に小屋へ辿り着くと子供たちはすでに眠っており、出迎えてくれたペイジさんとメルさんがびっくりした表情をしていた。




