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8:縁談(ギル視点)



 王都の空に冷たい星々が煌めき、街灯に火が点る頃、僕は飾り気のない馬車に乗って屋敷へと帰る。

 普段は魔術師団にある自分の研究室で寝泊まりしているが、戦争の報奨として賜った『ロストロイ魔術伯爵』という爵位のせいで、領地経営の仕事が溜まってしまう。だからこうして時々屋敷に帰り、仕事を捌かなければならない。

 ……本当は魔術師団に入団したばかりの頃のように、ただバーベナと魔術に明け暮れて生きていけたらと、叶うはずのない願いが僕の胸の内側にぽっかりとした穴を開ける。


 夜だというのに最低限の灯りしか点らない、無駄に豪奢な屋敷が見えてくる。これも報奨の一部として賜ったロストロイ魔術伯爵家の屋敷だ。使用人を少人数しか雇っていないため、点る灯りの数も少ないのだ。


 馬車から降りれば、帰宅の物音で出てきた執事が僕を出迎えた。


「お帰りなさいませ、旦那様。すぐに食事の用意をさせましょう」

「いや、研究室で食べてきたからいい」


 魔術師団に毎日やって来るパン屋で買った惣菜パンだが。

 バーベナがあのパン屋のパンが好きで、僕にもよく買ってくれた。そんな他愛のないことばかり思い出す。何年も、何年も。


「執務室で仕事をするから、お茶だけ持ってきてくれ」

「かしこまりました。領地から届いた書類は机の上に整理しておりますのでご確認ください」

「ありがとう」


 執事が玄関扉を開け、中に入る。羽織っていた魔術師団長のローブを手渡し、そのまま執務室へと向かう。


 一人で部屋に入ると、まず目に飛び込んできたのはバーベナの肖像画だった。


「……ただいま帰りました、バーベナ」


 儀式のように肖像画の前に立ち、挨拶をする。

 なんと虚しい行為だろう。

 分かっているのに、貴女が死んでもうすぐ十六年、僕は肖像画の前に立つ度に声をかけることをやめられない。


 肖像画の中のバーベナは屈託なく笑っている。茶色く短い髪に、柔らかく細められたアッシュグレーの瞳。

 ものすごく美人というわけではない。集団の中では埋没するくらい特徴の無い顔だ。

 だけど僕はバーベナの笑顔を見ると、美しいと思わずにはいられなかった。貴女はいつだって生き生きとしていて、閃光のように眩しくて、炎のように魅入られてしまう。愛を捧げずにはいられない。


 ああ、それなのに、僕は。


「……結婚が決まってしまいました」


 その事実を声に出すだけで、心臓が押し潰されてしまいそうだ。

 僕は一生貴女への叶わない想いを引きずったまま、嘆いて暮らしていきたかった。

 けれど貴族になってしまった(しがらみ)が僕を自由にさせてはくれない。


 今日王城で会ったチルトン侯爵との会話が、僕の中で辛く蘇った。





 オズウェル・チルトン侯爵は、僕がロストロイ魔術伯爵の叙爵した時に、貴族としての立ち回り方や領地経営の手腕を気前良く教えてくれた恩人だった。かつて男爵家の庶子であった僕にはそういうことが疎く、奇人変人が跋扈する魔術師団に貴族方面のことで頼れる人間が居なかったから本当に助かった。


 だから彼が相談したいことがあると言ってきた時、これで恩が返せるならばと思ったのがそもそもの間違いだった。


「私の一番上の娘がそろそろ十六歳になるのだがな。これといった縁談の相手がおらんのだ」


 オリーブグリーンの髪を短く整えたチルトン侯爵は、鍛え抜かれた肉体を持つ美丈夫で、年齢を重ねた男の持つ渋さで周囲を圧倒させる人だ。バーベナと同じアッシュグレーの瞳を持っているところも、僕は密かに好感を抱いていた。

 そんなチルトン侯爵の娘ならきっと美人だろう。それなのに縁談の相手が居ないというのは少々不可解だ。


「侯爵の娘ならば、きっと美人なのでしょう?」

「まぁ、親の欲目かもしれんが、見た目は美しい」

「チルトン領と言えば、数年前に古代の磨崖仏が発見されて観光客が押し寄せ、鉱山のダイヤモンドラッシュも起きているではないですか。縁談などひっきりなしなのでは?」

「我が領地の旨味だけを吸いたい連中に、オーレリアは御せんのだよ」


 話が見えない、と思う僕の前で、チルトン侯爵は唐突に頭を下げた。


「ギル君よ、頼む!! どうかうちのオーレリアを嫁に貰ってくれ!!」

「まっ、待ってください!! 僕はもう三十二歳になるのですよ!? そんな男に十六歳の可愛い我が子を嫁がせたい父親がどこにいるのですか!?」

「君は自分の手で魔術伯爵になった地位のある男だし、魔術師団長という立派な職に就いている!! そして何より……」


 チルトン侯爵は『これこそが一番重要だ』というように、溜めを作ってから言った。


「ロストロイ魔術伯爵家の屋敷には、王国一の『結界魔術』が掛けられている!! 何人たりとも屋敷を破壊することは出来ない!! 私のオーレリアの魔術を以てしても!!」


 どれだけ魔術が下手なんだ、貴方の娘は……。


「そんなことで僕に縁談などと……」

「『そんなこと』では決して無い! しょっちゅう屋敷を破壊されれば、どんなにチルトン家の甘い汁を吸いたい一族だって、オーレリアと離縁したがるだろう!!」

「ですが……」

「それにギル君にとっても、悪い話だけではないはずだ!」


 顔を上げたチルトン侯爵は、真剣な表情でこう言った。


「ラジヴィウ家の娘に困っておるのだろう?」

「…………」

「オーレリアはどんな環境でも楽しく生きていける子だ。だが貴族令嬢である以上、結婚して子を産まねばならん。この国はまだまだ人手不足で、『産めよ増やせよ』と我々上に立つ貴族が率先して子育てに力を入れねばならんのだ。

 しかしオーレリアは君の子供を何人産もうと、君にしつこく愛をねだるような真似はせんだろう」

「…………」

「ギル君、子を増やすのは貴族の責務である」


 バーベナ以外の誰かなど、僕には必要はないのに。


 それでも魔術伯爵の地位を捨てられないのは、これが本来であればバーベナが受けとるべき報奨だったからだ。

 貴女が貰うべきだった爵位を、名誉を、称賛を、僕の手で守りたいからだ。


「頼む、ギル・ロストロイ魔術伯爵よ」


 この世界は、貴女の思い出に浸って泣いて生きることさえ、許してはくれない。





「……バーベナ」


 新しい酒瓶を肖像画の前にまた一つ並べながら、僕は項垂れた。


「誰かと書類上の縁を結んだとしても。僕のこの身も、心も、貴女だけのものです」


 どうかヴァルハラから僕を守ってください、バーベナ……。





「オーレリア! 喜べっ! お前の縁談が決まったぞい!!」

「え~? 何かのドッキリですか、お父様?」

「何故私がそんな真似をしなきゃならんのだ」


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