76:岩壁の扉
まずは地図に描かれた道を見つけ出そうと、私とギルさんは小屋を出発した。
人が滅多に立ち入らない森の中から道を探すというのは、少々骨の折れる作業だ。そもそも道が今でも現存しているのだろうか?
こんな森の中でも一応獣道くらいは見つかったが、迂闊に歩いているとモンスターが出没した。常に危険と隣り合わせである。まぁ、全部ギルさんが氷漬けにして倒してくれたけれど。
獣道が途切れたので、ふたたび地図を確認し、藪の中を突き進むことになった。
ギルさんが風魔術で邪魔な枝を切り落としてくれたので、ずいぶん歩きやすくなった。
「あっ、ギルさん。森の奥の方からまた霧が発生してきたよ。こっちに流れてくる」
「では結界魔術を使用します。……今さらですが、森に入る前から霧に警戒していれば良かったですね」
森の奥から流れてきた霧は、ギルさんが張った結界にはじかれて私たちの周囲を通り過ぎていく。
白い霧の中には奇妙な銀色の光がチカチカとまたたいていて、綺麗だった。
「見ている分にはキラキラ光って綺麗な霧なんだけどなぁ」
私がそう呟くと、ギルさんはこちらをじっと見つめた。
「記憶喪失になる前のオーレリアが、霧の中に魔力が光って見えたとおっしゃっていました。ちなみに何色に光って見えましたか?」
「銀色」
「やはり、記憶を失ってもオーレリアの目には魔力がハッキリと見えているのですね」
霧の中に混じっていた小さな光は魔力だったらしい。
「ギルさんには見えなかったの? 霧の中の光」
「貴女は昔から特別に目がいいのですよ。魔術の痕跡や魔術式の解読など、一目見ればすぐに読み解いてしまう方ですから。普通はそんなこと無理です」
「ふーん?」
要は、私の視力はかなり良いらしい。
ギルさんは視力が悪いんだろう。眼鏡だしな。
「じゃあ、またなにか発見したらギルさんに教えるね」
「ええ。お願いします」
結界に守られながら霧の中を進んで行くと、ついに地図に描かれた道を発見した。
道には四角く切り出された白い石が埋め込まれて、石畳になっている。石と石のあいだには植物が生え、白い石自体にも苔が生えていた。ずいぶん古い時代に作られたものなのだろう。
「石畳の道だって喜んだのに、この道、ひとつひとつの石の高さが違って、すっごく歩きづらい! 獣道より歩きづらいかも」
「ここらで少し昼休憩を取りませんか、オーレリア。出発してからずっと歩き通しですし」
「うん。ギルさんは何度もモンスターを倒したから、私より疲れてるよね。休もう、休もう。あっ、私が昼食を出すね」
私のカバンには飲み物がお酒しか入っていないので、ギルさんのカバンから水筒を取り出す。出発前にメルさんが持たせてくれた薬草茶だ。
あとは、これまたメルさんが作ってくれた一ツ目羆のクレープ巻きに、携帯食のソルトバタークッキーとドライフルーツを取り出し、石畳の道の端に置かれた奇妙な台座の上に広げた。結構大きな台座なので、テーブル兼ベンチにもなりそうだ。
「ギルさん、昼食の準備が出来たよ」
「ありがとうございます」
昼食を真ん中に置いて、私とギルさんは台座に腰掛けた。そしてしばし昼休憩にする。
「この台座、元々はなにが置かれていたんだろう?」
「動物の石像のようです。ほら、あそこに崩れた瓦礫が山になっていますよ」
「あ、ほんとだ」
ギルさんが指差した方向に、バラバラになった石像が置かれていた。強靭な四肢や太いしっぽ、残っている頭部の形から、狼のように見える。
そういえば小屋の扉についていたドアノッカーも、狼の形をしていたような気がするな。
そんなことを考えつつ、一ツ目羆のクレープ巻きとソルトクッキーを交互に食べていると。
横からぬっと影が差した。
「うわっ! 馬っ!? え? なんで急に馬が現れたの!?」
私の横に現れたのは馬だった。
馬は私が齧っていたクッキーをじっと見つめていたかと思うと、大きな口をぱかりと開けて、私の手からクッキーを強奪していった。
隣で見ていたギルさんの方にも、べつの馬が背後から近寄っていた。よく見ると後ろの木々の中に馬がいっぱいいる。
「なんで森の中に、こんなに人懐っこい馬がいっぱいいるんだ!? 野生馬ならともかく!!」
「……たぶんこの馬たちは、旧クァントレル領に入る前に山賊から逃がした馬だと思います。鞍や鐙もそのままですし。森の中を移動し続けて、ここまで来てしまったのでしょう」
どうやらすでに顔見知りの馬だったらしい。私に記憶はないけれど。
「じゃあこの馬たちは霧の中でも記憶喪失にならず、私たちを覚えていて近寄って来たってこと?」
「単に食べ物の匂いに釣られて近付いてきただけかもしれませんが。馬なので確認の仕様がありません」
「それもそっか」
「ですが、良い移動手段が出来ました。オーレリア、この先はこの馬に乗って進みましょう」
なんと! 棚からカップケーキみたいな幸運である!
私とギルさんは馬にクッキーをと水を分け与えると、徒歩では歩きづらい道を馬で進むことにした。
▽
馬はたくさん居たけれど全部は要らないので、二頭だけ連れて行くことにした。
ギルさんと分かれて馬に乗ったが、記憶を失っていてもやはり体が覚えているらしく、乗馬ができた。
道は地図に描かれた形以上にぐねぐねと曲がりくねり、木の根や植物が生えたせいで石畳の石が浮き上がったり、欠落している箇所もあった。馬無しではこれほど順調に進めなかっただろう。
どんどん進んで行くと、立ち込める霧は強くなり、混じる光の数も多くなる。まるでダイヤモンドの屑を空気中にばらまいたみたいで美しかった。
そして一際濃い霧が立ち込める場所に、険しい岩場があった。
巨大な岩があちらこちらに点在し、剥き出しの岩壁と岩壁のあいだに道が続いている。落石があったのか、道の一部が塞がれている箇所もあった。
「『……クァントレル領の北にある鬱蒼とした森には、モンスターたちが決して近寄らぬ岩場がある』、と本に書かれていましたが、想像以上に険しい岩場ですね。チルトン領の石像群がある山間部がどれだけよく手入れされていたのかが分かります」
「ちるとん領ってどこですかね?」
「あぁ、それも忘れているんでしたね。貴女のご実家ですよ」
「ふぅ~ん」
ギルさんにとって楽しい思い出だったのだろう。馬で細い道を進んでいるのでギルさんの表情を確認することは出来ないが、彼の声は嬉しそうだった。
私とギルさんはどんなふうに出会ったのだろう。
どんなふうに時間を積み重ねて、夫婦になっていったんだろう。
ギルさんから受けた説明だけでは、全然足りない。記憶を思い出せない自分が歯がゆい。
きっと私は、ギルさんのことがもっとちゃんと全部知りたいのだ。とても欲張りなことに。
「あの、ギルさんっ」
せめてもっと会話を広げて、ギルさんのことを知りたい。
そう思って声を掛けたが、私の声を上回る緊迫感でギルさんが私の名前を呼んだ。
「オーレリア!! 前を見てください!!」
いつのまにか道の終着点に辿り着いていた。
いままで両側にあった岩壁が正面で行き止まりになっている。そして行き止まりには巨大な扉があった。森の木々の三倍以上の高さや横幅がありそうだ。
扉には長く太い銀の鎖がぐるぐると巻きつけられていたが、鎖の一部が腐食していた。そのせいで鎖がゆるみ、扉が少しだけ開いていた。
そのほんの少しの隙間から、魔力を含んだ霧が大量に流れている。
「なんなんだ、この巨大な扉は……。『そこには誰が制作したのかも分からぬ太古から存在する巨大な扉があり、『銀の鎖』をかけて厳重に封印されれている』とあったが、これ程のものとは……。古代遺跡の入り口なのか?」
ギルさんが険しい表情で扉を見上げていた。扉には古い紋様がたくさん彫り込まれており、ここにも狼の模様が刻まれている。
ギルさんが馬から下りて扉を調べようとすると。
〈ウオォォォン!!!! ワォォォーン!!!!〉
「なっ、なんだ!? この唸り声は!? 扉から聞こえてくるのか!?」
「狼!? これ、狼の鳴き声じゃない、ギルさん!?」
突然の狼の鳴き声に、馬たちが動揺し出す。慌てて馬の熱い首筋を撫でて落ち着かせながら、扉から離れる。
ギルさんも馬から下りるのをやめて、扉から距離をとった。
〈アウォォォーン!! おかしな魂がそこに居るな!? 俺と同じように 死者の国に繋がれた魂だ!!〉
人ならざる生き物の声が、扉の隙間から聞こえてきた。




