74:霧の森の仲間たち
「イチ、ニ、ヨン! 怪我はないかしら?」
持ち上げていた椅子を床に下ろしたメルさんが、大急ぎで外に出ていく。
私とギルさんも後を追うことにした。
小屋から少し離れたところに一ツ目羆の立派な氷像があり、その周囲に子供たちと男性が居た。
男性は二十代半ばくらいで、腰の長さほどの水色の髪を前髪ごと雑にまとめて結んでいた。上手くまとめることが出来ずに、何本か飛び出ている毛もある。
つるんとした額の下には、形の良い眉と切れ長の瞳や鼻が絶妙なバランスで並んでいる。なんとも綺麗な男性だ。ギルさんと良い勝負かもしれない。
確か、彼はペイジという名前だとギルさんが言っていたなと思い、私はギルさんの方をちらりと見上げた。
ギルさんはペイジさんの方を見つめ、なぜか絶句していた。
「ペイジさんが記憶喪失になると、こんなふうになるのか……!? 僕の目がおかしくなったような気になるな……」
「ギルさん、だいじょうぶ? また顔色が悪くなってるけど?」
「いえ、目が慣れれば大丈夫ですので。ご心配いただきありがとうございます、オーレリア」
ギルさんはこちらを見る心の余裕など無さそうだったが、それでも私の方に手を伸ばし、私の頭を撫でて髪をすいた。
きっと記憶の無い私にも、こんなふうに優しく触れていたのだろう。なんだか変な感じである。
「凄いな、アンタ! 一ツ目羆をこんなに簡単に倒しちまうなんてさ!」
ペイジさんがニコニコした表情で、こちらに手を振りながらやって来た。
「ところであの一ツ目羆の氷って溶かせるか? 二人の歓迎パーティーに、熊鍋にしようぜ。熊掌を食べるとお肌がツルツルになるからさ」
「……そういう記憶は残っていらっしゃるのですね、ペイジさん」
ギルさんは苦笑いを浮かべた。
▽
その夜は小屋の中で熊鍋を囲み、唯一森の外の記憶があるギルさんの話をみんなで聞くことになった。
ちなみに熊鍋には私が採った泥んこ茸もいっしょに入っている。メルさんに泥んこ茸を渡したとき、彼女はニコニコ笑顔を浮かべて、「お鍋に入れると美味しいのですよねぇ、このキノコ」と喜んでくれた。
子供たち———リーナとウィルは自分の帰りを待つ養い親の存在を知り、わんわんと泣き始めた。
「あたしたち、帰れるおうちがあったのね!!」
「おれ、ジョシュアさんってひとに会いたいよぉ……っ!!」
そんなリーナとウィルのことを、付き合いの長いメルさんとペイジさんが抱き寄せる。
「いやぁ、良かったな。イチとニ……じゃなくて、リーナとウィルか。いい名前だな」
「森の外に希望があることがわかって、ホッといたしましたね」
「うん……!! うん……っ!!」
「おれ、はやく森から出たい!!」
「ああ。全員で森から出ような、ウィル。それで団長、俺たちはどうすればこの森から出られるんだ? あの霧を抜ける解決法があるのか?」
ペイジさんに尋ねられたギルさんは、銀縁眼鏡をくいっと指で押し上げてから答えた。
「まずは霧の発生場所と原因を探ろうと思っています。みなさんはこの森の地理をどのくらい把握していますか?」
ギルさんからの質問に、ペイジさんたちは顔を見合わせてから「あんまり知らねーな」と首を傾げた。
「霧が森の奥から流れて来てるっぽいのは俺たちもわかってるんだが、あまりこの小屋の周囲からは離れないようにしてたんだ。こんな森で迷っても困るし、奥の方には一ツ目羆のように強いモンスターがうじゃうじゃいるみたいでな」
「そうですか。やはり霧は森の奥が発生場所の可能性が高いと知れただけで十分です。ありがとうございます」
「お礼なんかいいって。そんなことより団長、俺たちもなにか手伝うことはないか? そりゃ俺たちは記憶喪失で、魔術師団だとか魔道具師見習いだとか言われてもさっぱりだけどよ。アンタにばかり苦労を掛けるつもりはないぜ」
ペイジさんの言葉にリーナやウィルが「あたしも!」「もちろんおれも手伝うよ!」と答える。
私もギルさんの黒い瞳を見つめながら、自分の胸元を叩いて「もちろん私も頑張るよ」と伝えた。
なにが自分に出来るのかもよくわからないけれど、なにかしら手伝えることはあるだろう。
メルさんは「じゃあみんなが頑張っているあいだに、わたしは食事の支度をしていた方がいいわね。薪や水も集めなくちゃいけないし」と、サポートを申し出てくれた。
ギルさんは全員の顔を見てから言った。
「いえ、森の奥へは僕とオーレリアだけで行きます。魔術を使えない状態の貴方がたを連れて行っても、正直なところ足手まといですから。ペイジさんたちはこの小屋にいてください。ポイントル団員の言う通り、食事作りや薪集めなども必要なことですし」
「そうか……。団長の邪魔をするわけにはいかないよな。わかった」
「ギルさん、私も魔術を使えない状態だけど、いっしょに付いて行ってもいいの? 足手まといじゃない?」
「オーレリアは構いません。というか、貴女は僕の妻ですから」
ギルさんは自然な仕草で私の手を取ると、指を絡めた。
あまりになんの躊躇いもない行動だったので、どう反応すればいいのかわからない。
本当は「急になに!?」って驚きの声を上げたいし、すごく恥ずかしいのだけど。ギルさんの態度からは私に対して本当にいつも通り接しているという感じがしたので、過剰な反応をしてしまわないように私は身を固くした。
「貴女が近くに居てくださらない方が不安です。どうか僕の目の届く範囲に居てください」
「……は、はい」
「それに貴女ならいくらでも足手まといになってくださって構いません。僕の命を懸けてお守りいたしますから」
「…………ハイ」
「どうしたのですか、オーレリア? 視線が泳いでいるようですが?」
「ナンデモナイデス……」
私の目を覗き込もうとするギルさんから、一生懸命目を反らす。
もうとにかく無性に恥ずかしい。
私の夫、ベタベタに甘いんですね……!? 以前の私はこれをどうやって耐え抜いて来たんだろう!?
▽
就寝時間になると、私とギルさんは小屋で唯一空いていた部屋に泊ることになった。
「え?? ギルさんと同じ部屋なんですか??」
目をまるくする私に、空き部屋に案内してくれたメルさんがおっとりと答える。
「だってご夫婦なのでしょう?」
「いや、夫婦と言いましても……」
その夫婦期間の記憶をまるごと失っている私なので、心境としては今日出会ったばかりの男性と同衾みたいな気分なのだが。ハードルが高くないか?
「それに、ほかに空き部屋がないんです。わたしはリーナと寝てますし、ペイジさんはウィルと一緒に寝てますし。あと空いているところと言えば、リビングか廊下なのだけれど……」
「リビングと廊下、どっちも大好きです!」
「その二か所は隙間風と雨漏りがつらいのよね。森の中だから朝晩は本当に冷えてしまうの。この部屋は狭いけれど、その点は安心よ」
そんな感じでメルさんにやんわりと却下された。
そこにギルさんがやって来た。
「オーレリア、貴女のバッグの中に寝袋が入っているので取り出してください。僕の分の寝袋と合わせて寝床を作りましょう」
ギルさんがそう話したのを聞いたメルさんは、私がこれ以上部屋割りについてなにかを言う前に、「ではお二人とも、おやすみなさい」と去って行った。
メルさんはおっとりと優しい雰囲気の女性だと思ったけれど、面倒事に対してはドライな感じのひとなのかもしれない。彼女も記憶喪失中なので、記憶を取り戻したら性格が変わるかもしれないが。
仕方なく部屋に入れば、ギルさんが自分の寝袋と留め具を外して、一枚の布の状態にしていた。
ギルさんはこちらを振り返り、「僕の寝袋を敷き布団にして、オーレリアの寝袋を掛け布団にしましょう」と言う。
寝袋にそんな使い方があるのか~と思いながら、私も自分の寝袋を変形させていたが、はたと気が付いた。
「ギルさん、もしかしてこれ、ひとつの布団に二人で寝る感じなの!?」
「そうですが?」
「それぞれ寝袋に潜って眠れば良くない!?」
「ですが、こちらの方がお互いの体温がある分、温かいですよ」
「そりゃそうだけれど!!」
恥ずかしさと混乱で爆発しそうな私を見て、ギルさんは本当に意味が分からないという様子だった。
「ギルさんにとって私は気心の知れた嫁でしょうけど!! 私にとってギルさんは初めて出会ったばかりの男性なんですよ!!!!」
「は……?」
ギルさんはぽかんと口を開けて私を見つめた。
そして「……まさか、嘘ですよね」と言いながら、じわじわと頬を上気させた。
「オーレリアが僕を男性扱いして照れているってことですか……?」
「それがふつうでしょ!?」
「だって貴女、いつも僕をリードする側で……。うわぁぁ、そうか、そうなんですね……」
ギルさんは両手で顔を覆った後、「実に新鮮です……!!」と万感の思いを込めて小さく叫んだ。
それからすぐに嬉しそうな表情を晒して、床に敷いた寝袋製布団をぽんぽんと叩いた。
「だいじょうぶですよ、オーレリア。今の貴女に手を出したりしません。というか今までの貴女に対しても失敗続きですし……、まぁそれは置いておいて。とにかく寝ましょう。今日は森を歩き通しで疲れたでしょう? 寝袋で縮こまって眠るより、ちゃんと足を伸ばして眠った方が疲れが取れますよ」
「それはそうだけど……」
「記憶の無い貴女から信頼されるためにも、僕が貴女を傷付ける男ではないことを証明して見せます。だから寝ましょう」
べつにギルさんのことを信頼していないわけではない。
記憶はないのに、ギルさんの傍に居ればだいじょうぶなのだと、私の心がずっと言っている気がするから。
だから一緒に寝ることで証明しようとしなくていい。
そう言いたいのに、なぜか私の体は私の気持ちに従わず、ギルさんが横たわる布団の方へと踏み出してしまった。
「ふふ、記憶が無い貴女も可愛いですね」
「あんまり見つめられると眠れないんだけど……」
ギルさんの隣に潜り込んだ私はそう言って唇を尖らせた。
心臓がバクバクと鳴って、血液が血管の中をぎゅんぎゅんと駆け回って、私の体の中がとにかくうるさい。
それなのに布団の中はとっても温かくて、体の疲れもあって、瞼が自然とおりていく。
ギルさんの匂いがして、なんだか緊張が解れていく。
「おやすみなさい、オーレリア」
「おやすみ……、ギルさん……」
私は安心感に抗えずに眠った。




