73:メル・ポイントル
私とギルさんは、元気いっぱいな子供たちとピンク色のボブヘアーの少女に案内されて、小屋の中に入ることになった。
「おじゃましまーす」
「お邪魔します」
「どうぞどうぞ。手前がリビングで、奥に小さなキッチンがあるんですよ」
小屋の中はこじんまりとしていたけれど、床は雑巾がけしたばかりのように艶々で、ちりひとつ落ちていなかった。換気したばかりなのか空気も清々しい。
テーブルは古びているし、椅子は丸太を切り出して作ったのか不揃いだけれど、なんとも居心地の良いおうちだ。
「ねぇイチ、ニ。外にヨンが居るはずだから、連れて来てくれるかしら?」
「わかったわ! 行きましょう、ニ」
「オレの分のお茶も先に淹れておいてね、サン。オレ、猫舌だから」
「ええ、もちろん分かっているわ」
「あたしの分は帰って来てから淹れてね! 熱いのがいいから!」
「はいはい。いってらっしゃい」
子供たちが〝ヨン〟という人物を呼びに外へ駆けていく。
あの二人だけで外に行かせて危険はないのかな、と考えていると、〝サン〟と呼ばれていた少女は私におっとりと微笑みかけた。
「だいじょうぶですよ、オーレリアさん。この辺りは比較的モンスターが少ないんです。ヨンも罠の確認のために近くを見回りしているだけなので」
「なんの罠ですか?」
「猪やウサギなんかを捕まえる罠です。今の季節は脂がのっていて美味しいですよ」
「わぁ、素敵ですねっ!」
「ふふ、ぜひ食べて行ってください」
少女はそう言った後で、ちょっと可笑しげに笑った。
「あら、ぜひ食べて行ってくださいだなんて、ちょっと変な言い方でしたね。どうせ全員、この森からは出られないのですから。この小屋も狭いですが空き部屋もまだ一つありますし、ロストロイご夫婦もここで暮らしましょう」
「え?」
彼女の発言にポカンと口を開けてしまう。
森から出られないってどういうこと……!?
私の隣に立っていたギルさんが、眼鏡の奥の黒い瞳をまるくした。
「もしや、あの白い霧は外側からは入ることが出来ても、内側からは出られないのかっ!?」
「あら。確かめてはいなかったのですね」
少女は気の毒そうな表情で私たちを見た後、「おかけください」とリビングの椅子を示した。
「奥でお茶を入れてきます。詳しいお話はそれからにしましょうね」
▽
あたたかい薬草茶と、森に生えていたというブドウや林檎が運ばれてきた。「食器類はもともとこの小屋にあったんです」とのことで、陶器の器や動物の骨を削って作られたフォークが出てきた。
薬草茶を一口飲むととても美味しい。
「メル・ポイントル。それが君の名前だ」
「あら。ロストロイさんは以前のわたしの知り合いなのですか?」
「君はリドギア王国魔術師団の団員で、僕はその団長です。君が〝ヨン〟と呼んでいる相手は、おそらく副団長のペイジ・モデシットという男性でしょう」
「魔術師団……」
ギルさんの話を聞いたメルさんは、ぽんっと両手を打った。
「ちょっと待っていてください。お見せしたいものがあります」
メルさんはそう言って奥へ行くと、腕に黒っぽい布のかたまりを抱えてきた。そしてテーブルの上に広げる。
それは二着の黒いローブと、キラキラした装飾のついた杖だった。
「もしかしてこのローブや杖って、魔術師団になにか関係あるかしら?」
「魔術師団から支給されているローブと、魔術師用の杖ですね」
「へ~。胸元にあるエンブレム、格好良いねぇ! これが魔術師団の証なの、ギルさん?」
「ええそうです、オーレリア。これは魔術師団上層部のエンブレムです。ペイジさんのローブですね。エンブレムは世界樹と杖を表しています」
「じゃあ、わたしとヨンは本当に魔術師団の人間なのですねぇ」
ギルさんはそれからメルさんに、四人がこの森で行方不明者になっているということを説明した。私とギルさんが迎えに来たことなども。
けれど私も記憶を失っているので、メルさんたちを迎えに来た側だと聞いてもピンと来ない。
「ロストロイ団長が森の外の記憶を持っていて良かったわ。おかげでやっと、わたしたちが誰なのかを知ることが出来ましたもの。この森まで探しに来てくださってありがとうございます」
メルさんはそう言って、ほんわかと微笑んだ。
だけどすぐに眉を八の字に下げた。
「けれど問題は、どうやってこの森を出るかなのですよねぇ。白い霧を抜けて森の入り口まで辿り着けませんし」
「先程もそんな話をしていましたね。あの白い霧には謎の魔力が含まれていて、通る者の記憶を忘却するため、僕らはもう一度中へ入ろうと思わなかったのですが。森からの脱出も妨害しているとは」
「あら、記憶喪失の原因はあの霧だったのですね」
メルさんは何度か森を脱出しようと霧の中に入ったことを話した。
「けれど必ず最後には、この小屋に戻って来てしまうのです。他の三人も試しましたが駄目でした」
「そうですか。分かりました、ポイントル団員。どうやら森から脱出するためにも、この霧の発生を止めるしか無いようですね」
ギルさんは頭が痛いというように眉間のしわを揉んだ。そういう仕草が妙に様になる人だなぁと思った。
記憶を失っているので、自分が誰なのかもよく分からないし、こんなに年の離れた旦那さんがいるという事実に今もびっくりしている。
だけれど、なんでだろう。ギルさんの傍に居れば安心だし、私が記憶喪失でも見捨てたりしないだろうと思ってしまう。
私の心は無条件でギルさんを信頼していた。
「ほかの三人が小屋に戻って来たら、もう一度説明しましょう。そして明日から霧の発生原因を調べたいですね。この霧ももしかすると、クァントレル男爵家が行うはずだった祭事となにか関りがあるのでしょうか……?」
首を傾げるギルさんを眺めていると、小屋の外から三人分の悲鳴が聞こえてきた。
「キャー! 一ツ目羆こわいぃぃぃ!」
「ヨン! その手に持ってる猪を一ツ目羆に投げなよ! 食べ物で気をそらしてるうちに逃げたほうがいいって!」
「嫌に決まってんだろ!? この猪は今夜のごちそうになるんだよ!!」
窓から外の様子を確認する。
先ほど小屋から出て行った子供たちと、ヨンと呼ばれる水色の長い髪の男性が森の中を全力疾走していた。
そしてその後ろには、巨大な目玉を持つ羆が大きな口を開けながら突進してきている。今にも三人に追いついて、ガブリといきそうな雰囲気だった。
「ひゃぁぁぁ!? 一ツ目羆なんて、どう戦えばいいんだろ!?」
「まぁ、たいへん! 三人とも食べられちゃうわ!」
私は暖炉の側に置いてあった火掻き棒を手に取る。はたしてこれで一ツ目羆に勝てるだろうか?
私の横ではメルさんが丸太製の椅子を投げつけようと、頑張って細腕で持ち上げているところだった。
「……この森に居る全員が魔力持ちのはずなのですが。まぁ全員記憶喪失中ですし、致し方ありませんね。オーレリアは魔術禁止中ですし」
ギルさんはなにか呟いた後、腕をかざし、青白く輝く魔術式を展開した。
「氷の槍よ、一ツ目羆の急所を貫け」
魔術式から生成された氷の槍は、凄まじいスピードでまっすぐ飛んでいくと、一ツ目羆の巨大な目を突き刺した。
そして頭から凍りつき始め、巨大な氷像となった。
山の死神と恐れられている一ツ目羆をこんなにあっけなく倒してしまうとは。
私は火掻き棒を構えたまま、ギルさんを呆然として見上げた。
「どうしたのですか、オーレリア?」
ギルさんは不思議そうに首を傾げる。
「どうしたのかって……。ギルさん、とってもお強いんですね!? さすがは魔術師団長……!!」
「一ツ目羆ごとき、ふだんの貴女なら瞬殺ですよ」
「ええ!? 私も本来ならとってもお強いのか!? 私も凄いね!?」
だんだん、なにが凄くて、なにが凄くないのか分からなくなってくる。
そんな私の頭に、ギルさんはポンとやさしく手を置いた。
「貴女が強かろうと弱かろうと、守って差し上げます。僕は貴女の夫ですから」
え? えぇ? なんか真顔で凄いこと言ってくる人だな、ギルさん!?
柔らかく目を細めるギルさんの笑顔を前に、私はなぜか頬が熱くて仕方がなかった。




