71:記憶喪失のオーレリア
「まさか記憶喪失なのですか、オーレリアっ!?」
とつぜん森の中に立っていた私は、目の前に黒髪眼鏡の男性に両肩を掴まれ、ぐわんぐわんと前後に揺すられた。
この人の驚きようから見て、私とこの人は知り合いだったのだろう。そうでもなければ二人で森の中に居るはずもない。この人に誘拐されて殺される直前だったとかならともかく。
「私の名前、オーレリアっていうんですか?」
「オーレリア・バーベナ・ロストロイですよ!? 名前も覚えていないのですね!?」
「とりあえず、揺するのやめてもらってもいいですか?」
「す、すみません、つい動揺してしまいまして……!!」
「まぁ、動揺したんなら仕方がないですよね~」
男性は私から手を放した。そして「記憶喪失の治療法とはいったいなんだ!?」とか「原因は十中八九、霧の中に含まれていた魔力だろう。光属性の魔術で回復できる可能性はあるのか?」とか呟き始めた。
この人も連れが急に記憶喪失だなんてたいへんだよな。だけれど本当になにも思い出せない。
「すみません、オーレリア。魔術で記憶を取り戻せるか確かめさせてください。立っているだけですぐに済みますから。痛みなどもありません」
「よく分からないけれど、どうぞ」
ぽけっと立っていると、男性が杖を取り出し、複雑な模様の魔術式を展開した。そして私に向けて色々な光を当ててくるが、ただ眩しいだけで特に変化はない。
男性は最後には諦めたように杖を下ろし、「やはり難しいようです……」と溜め息を吐いた。
ようやく体が自由になったので、ポケットの中やバッグなどの持ち物を調べてみる。
ポケットから出てきたハンカチには、『オーレリア・バーベナ・ロストロイ』という文字が刺繍がされていた。男性が言っていた通り、これが本当に私の名前らしい。
バッグの中に手を突っ込むと、予想外に内部が広く深かった。私がそのことにびっくりしていると、「空間魔術式の組み込まれた魔道具です」と男性が教えてくれた。なるほど。
最初に掴んだのが手鏡だったので、自分の姿を確認してみる。
アッシュグレーの瞳とオリーブグリーンの髪をした十代の美少女が映っていた。ふむ。いざとなったら、どこかのお店の看板娘として雇ってもらえそうだな。良かった、よかった。
あと、大粒の赤い宝石で出来たハートのピアスや、手首にも高級そうな腕輪を嵌めているので、売り払ってしまえば暫くはお金に困らないだろう。
そのあいだに家を借り、職を見つければ、なんとか生きて行けると思う。
記憶喪失の身で今後どうやって暮らすか考えていた私だが、ふと気が付いた。
魔道具のバッグや高価な装飾品を付けているんだから、私ってもしかしてお金持ちの家の子なのでは?
「あの、すみません。私ってお金持ちの子ですか? そうだとたいへん有難いのですが。今後の生活的に」
「……いえ。子ではなく、妻ですね。ハッキリ言うと、貴女は僕の妻なんです」
「えっ!? 妻!? でも、私もお兄さんも結婚指輪はしてないですよ!?」
「それは今、制作中ですね」
目の前の男性はどう見ても三十代。私と一回りは歳の差があるように見えるのだが。それなのに妻とは?
ハッ……!! もしや……!!
「もしかして私、お金欲しさにお兄さんに近付いた結婚詐欺師なんでしょうか!? 貢がせるだけ貢がせてポイ捨てしようとしたんですかね!? それで怒ったお兄さんに、森の奥で殺されるところなんですか!?」
「……ちょっとお待ちいただいていいですか? オーレリアが記憶喪失になったことに動揺している上に、お金欲しさの詐欺の対象にしかならないと言われたも同然でして……。ちょっと心のダメージが凄すぎて……」
「だってお兄さん、三十代くらいですよね!? あっ、老け顔の二十代だっらごめんなさい!」
「うあああぁぁぁぁ……!!!!」
お兄さんは呻きだし、地面にしゃがみ込んだ。
それから二十分くらい地面と仲良くしていたお兄さんだが、なんとか青い顔で復活した。
私は待っているあいだに近くの倒木に腰掛け、水筒に入っていたウイスキーを飲んでいた。すごく美味しい。水筒は何本かあったが、中身は全部お酒だった。すごく嬉しい。
お兄さんの顔があまりに青いので、気付け薬としてウイスキーを渡そうとしたが断られた。
「まずは僕の自己紹介をさせてください。僕の名前はギル・ロストロイ。貴女の夫で、魔術師団の団長をしています。爵位は魔術伯爵です」
「ギルお兄さんですね。よろしくお願いします!」
「お兄さんと呼ぶのはやめていただけますか? 心がえぐれるので」
「では、ギルさんで」
「オーレリアから年上扱いされる日が来るとは思いませんでしたが……。お兄さんや、ましてやおじさんよりマシでしょう、ええ」
「やだなぁ、ギルさん! いくらなんでもおじさんだなんて、微妙な年頃の方を前にして、思っても口にしませんよ~!」
「僕のことおじさんだと思ったんですか!? 思ってないんですか!? どっちなんですか、オーレリア!?」
「だから口にしませんって~」
それからギルさんは、私たちの関係を説明した。
じつは私は貴族のご令嬢で、数か月前にギルさんと政略結婚したこと。
最初にギルさんが「貴女を愛する気はない」と失言をしたせいで、私が怒ったこと。
なんだかんだあって、夫婦としてやり直すことになったこと。
ギルさんの話を聞いていても、全部他人事のように感じる。だって私にはその記憶が全部ないのだから。
けれどギルさんが嘘を言っているという気もしなかった。ギルさんの仕草や言葉の端々に私を気遣う様子があるせいかもしれない。
記憶喪失になって不安だろうと、彼が心配してくれるのがよく分かった。
「ギルさんの話はだいたい分かった。私とギルさんが夫婦だっていうのも、信じてもいいかなって思う」
「信じていただけて良かったです……!!」
「でも、私がバーベナ? とかいう人の生まれ変わり? っていうのは、ちょっと眉唾物だなぁ」
人は死んだらヴァルハラへ行く。もしくは死者の国へと向かう。記憶喪失になっても、それくらいのことは私だって覚えている。
だから死んだ人間がもう一度地上に生まれ変わるだなんて、ありえない。
「ですが以前の貴女は、かつてバーベナだったときの記憶も持っていました」
「バーベナって人、戦争の英雄だったんでしょ? 戦争の記憶なんか無い方がいいよ。絶対に嫌な記憶のはずだから」
私は水筒の蓋を閉め、椅子代わりにしていた倒木からぴょんと下りた。
「さっ、とりあえず移動しようよ、ギルさん。行方不明者を救出して、この魔道具の腕輪? を外してもらわなきゃいけないんでしょ」
「……あ、はい。そうですね」
森に来るまでの記憶はないけど、まぁなんとかなるでしょ。ギルさんが居るんだし。
私がぐいーっと背伸びをする後ろで、ギルさんが複雑な表情を浮かべたのを私は知らなかった。




