70:謎めく『霧の森』
宿に戻ると、私たちはお婆さんから託された本をさっそく読むことにした。
窓際のソファーセットに並んで座ると、ギルがローテーブルに本を置いてくれた。
青黒い革の表紙は角が擦り切れて丸みを帯びていた。奥付を見ると今から百五十年以上前に書かれた本らしく、中の紙も今とは質が違う。
歳月を経た本特有の黄ばみやシミが浮いていたが、ページは一枚も抜けることなく残っていた。きっとクァントレル男爵家は、この本を代々ずっと大切にしてきたのだろう。
ページに書かれた文字を目で追っていると、私が読み終わるのとちょうどぴったりのタイミングでギルがページを捲ってくれる。
ギルも同じ速度で読み終わっているのかと思ったら、なんと私の目の動きを確認していた。
たいへん有難い気遣いなのですが、うちの旦那は相変わらず愛が重いですね。
「あ、オーレリア。このページ辺りが森の祭事に関係する内容のようですよ」
「どれどれ」
ギルが祭事に関する箇所を指で示してくれたので、声に出して読んでみる。
「え~っと。『森の最奥にある岩場にて、〝世界の終わり〟が眠る。』と。なんだそれ?」
「〝世界の終わり〟とは抽象的ですね。この地の伝説でしょうか?」
「とりあえず、続きを読んでみるね。
……クァントレル領の北にある鬱蒼とした森には、モンスターたちが決して近寄らぬ岩場がある。そこには誰が制作したのかも分からぬ太古から存在する巨大な扉があり、『銀の鎖』をかけて厳重に封印されれている。
我々クァントレル男爵家は、その『銀の鎖』の番人である。かつてこの地で暮らしていた者たちが、我々が番人の役目を引き受けることを条件に、この地の統治を受け入れた。ゆえに未来永劫、この役目を守らなくてはならない。
この地の識者曰く、扉の奥には〝世界の終わり〟が眠っているとのこと。それが放つ魔力により『銀の鎖』は腐食していく。『銀の鎖』が腐食する前に必ず交換しなくてはならない。これを怠れば〝世界の終わり〟が目を覚まし、地上へと解き放たれ、最後の戦いが始まるであろう、と……」
そこで森に関する記述は終わっていた。
私はひとつ頷く。
「うん。『銀の鎖』のほかに〝世界の終わり〟まで出てきちゃったね。もう訳が分かんない!」
「ほかのページも調べてみましょう。解説や注釈があればいいのですが……」
先のページも調べてみたが、魔道具『銀の鎖』に関する説明も、封印されているという〝世界の終わり〟がなにを指しているのかも、まったく記載されていなかった。
私はソファーにぐったりと背を預け、天井を見上げる。
ロストロイ伯爵家の天井の煌びやかさとは比べ物にもならないが、かつて工房の街だったせいか、天井からぶら下がる小振りの照明は最新の魔道具だった。時間や室内の暗さに反応するらしく、勝手に明かりが灯った。
「どこまでが本当のことなのかは分かんないけど、ただの伝説やお伽噺として軽んじるわけにもいかないよねぇ。クリュスタルムの時だって、竜王は本当に存在していたわけだし……」
「ですが、これ以上『霧の森』に関する情報を集めるのも難しいようです。なにより、行方不明者の安否が気がかりです。子供二人が行方不明ですし、ペイジ副団長を連れ帰らなければ、オーレリアの腕に嵌った魔道具も外せませんから。明日からは実際に『霧の森』へ入ってみましょう」
「ジョシュアさんのお弟子さん二人と、魔術師団員と副団長、無事だといいね。今は秋だから、なんとか森の木の実でも食べつつ、生き延びてくれてればいいんだけど」
明日の『霧の森』探索に向けて、私たちは空間魔術式が組み込まれたバッグの中身をチェックし、しっかり睡眠を取るために早めに就寝することにした。
▽
翌朝、私とギルは防寒具を纏って歩きやすいブーツを履き、空間魔術式バッグを持って、領地の北側にあるという『霧の森』へと向かった。
『霧の森』がある場所は、遠くからでも空を見上げるだけで分かった。一帯が霧がかっていて、空も重い雲が垂れこめていたからだ。
「なんだか肌寒くなってきたね。防寒具を持ってきてよかったよ」
「そろそろ霧の中に入ります。オーレリア、濡れると思うのでフードを被った方がよろしいかと」
「分かった」
森の木々の中に入る前から霧が始まっている。
ギルのアドバイス通り、防寒具に付いているフードを被ったが、顔や手など外気に触れる肌はミストを吹きかけられたように霧でどんどん濡れていく。周囲の気温もどんどん下がっていった。
「行方不明者たち、みんな防寒具は持ってるかなぁ? 霧が森の奥まで続いているのだとしたら、体が冷えちゃうよねぇ」
「ペイジさんと、もう一人の団員は大丈夫かと思いますが。特に心配なのは子供たちですね」
「洞窟とか濡れない場所に避難して、火を熾せているといいね」
「ええ」
喋っているうちに、鬱蒼とした森の中に入った。さらに気温が下がる。霧で良く見えないが、木々の上ではたくさんの葉っぱが重なり合っているのだろう。そのせいで日差しが遮られて、ますます寒くなるのだ。
蔦が幹に絡みついた木々が立ち並び、地面には日陰に強い草花や苔などがみっちりと生えている。霧に濡れた下生えは、私たちのブーツや防寒具の裾を重く湿らせた。
「ねぇギル、ペイジ副団長ともう一人の団員ってどんなひと?」
暗くて寒くて霧に濡れていると気分が滅入るので、ギルに問いかける。
ペイジ副団長ともう一人のひとが、楽しいひとたちだといいなぁ。
「そうですね……。ペイジ・モデシット副団長はどう説明すればよいのか、少々難しい方ですね……」
私の前を歩くギルは、霧のせいで曇る眼鏡を何度も拭きながら答えた。
「性格が頑固な感じなの? それとも破天荒な感じで説明が難しいとか?」
「頑固……、破天荒……。どちらの言葉もあながち間違いではない、という気がします。なんというか、独自の美学で生きていらっしゃる方ですね。結界魔術が得意で、魔道具の研究に生涯をかけていらっしゃいます」
「ギルより年下なんだっけ?」
「はい。ペイジさんは二十六歳です。もう一人行方不明の団員は彼の弟子で、メル・ポイントル団員です。彼女はオーレリアより二つ年上の十八歳ですよ」
「え、もう一人の団員は私と年の近い女の子だったんだぁ! メルちゃんか。仲良くなれるといいなぁ」
チルトン領では歳の近い子たちと交流を持っていたけれど、王都に来てからは全然そういう交流がなかったもんなぁ。
ギル狙いの子を二人ほど撃退はしたが。
俄然やる気が出てきた私は、どんどん森の中を進んで行った。
今のところ行方不明者の影も見つからないが、危ぶんでいたモンスターなども現れない。
霧のせいで距離感がいまいち分からないが、もしかしてまだ森の入り口の方なのだろうか?
「……あれ?」
私は唐突に気が付いた。
霧の中になにか、銀色の小さな光が混じっていたことに。
砂粒のように小さな光は、ちょっと見ただけでは自然光にしか見えない。
だけどこれは何らかの魔力だった。
いったいいつから、霧の中に魔力がまぎれていたんだろう?
これは人体にどのような影響を及ぼすのだろうか?
私は慌ててギルの名前を呼んだ。
「ギル! 霧の中に変な魔力が銀色に光ってまぎれてる! 私たちになにか影響があるかもしれない! とりあえず浄化をかけて!」
「承知いたしました、オーレリア!」
ギルが浄化の魔術式を展開したのと同時に、森の奥から突風が吹いた。
ゴォゴォと吹き荒れる風は、ギルの浄化魔術が私に届く前に周囲の霧を晴らしてしまう。
「大丈夫ですか、オーレリア!? 貴女に浄化を掛ける前に霧が晴れてしまい、僕にしか浄化が掛けられませんでしたが……。なにか体調に異変などはありませんか!? いったい何の魔力だったのか、解析できますか?」
「…………」
……私は周囲を見回す。
鬱蒼とした森の中だった。上を見上げても、枝や葉っぱの重なり合いのせいで青空が見えない。地面も色んな植物に覆われている。凄い場所だな。
で、この森はどこ?
そもそも、私は誰?
そう呟いたら、目の前に居た銀縁眼鏡の男性が絶句した。
ていうか、貴方もどなた?




