69:お婆さん
「なんと! どこから来た不審者かと思ったら、チルトン少将様のお嬢様だったんですか! ああ、確かに面影のあるお顔立ちだわねぇ」
高台の廃墟にやって来たのは、かつてクァントレル男爵家で乳母を務め、その後は侍女として働いていたというお婆さんだった。
いまでも男爵家への忠義から、この廃墟を荒らす者が居ないか度々見回りに来ているらしい。
お婆さんは最初、私とギルを胡散臭そうな目で見ていたが、若かりし頃のお父様によく似た私の顔立ちのお陰で誤解がとけた。お父様の徳が高すぎる。
ありがとうございます、お父様!
私たちは廃墟から場所を移し、お婆さんのご自宅でお茶をご馳走していただけることになった。
お婆さんのご自宅は、ガイルズ陛下が作らせたという住宅地にあった。
どれも同じ外観で同じ間取りの小屋が並んでいるが、住人によって小屋の雰囲気が違う。
お婆さんが暮らす小屋は扉が緑色に塗られていて、ハーブの鉢植えが玄関先にたくさん並んでいた。私たちに出してくださったお茶も、手作りの薬草茶らしい。
「本当に格好良かったんだよ、チルトン少将様は。大きな剣をぶんぶん振って、トルスマン皇国の兵士をつぎつぎに葬ってくださってねぇ。あのときは本当にスカッとしたよ。それでトルスマン皇国の連中も、チルトン少将様には敵わないと思ったんだろうねぇ。魔術兵団のやつらが全員束になってチルトン少将様を攻撃したのさ。けれどチルトン少将様は轟く雷の矢をすべて避け、立ちはだかる氷の壁をサイコロステーキのように切断し、大きな炎の龍を刃風で吹き消すと、敵の大将の首をはねたんだよ。ポーンとね」
「キャー! さすがはお父様ー! かっこいいー!」
「あのときアタシは六十歳だったがね、チルトン少将様には久しぶりにときめいたもんだよぉ」
「老若男女問わずたらしこむお父様、さすがー!」
お婆さんと私でお父様の武勇伝で盛り上がっていると、ギルが「すみません、ご婦人」と、話の腰を折った。
「僕たちは『霧の森』での行方不明者捜索のために、この地へやって参りました。森の情報を集めているのです。
クァントレル男爵家が二十年に一度、魔道具師と森で行っていた祭事に関して、なにかご存知のことは無いでしょうか? 貴女は男爵家に長く務めていたのですよね。なにか心当たりは?」
「……森かね」
お婆さんはテーブルに置かれた薬草茶のカップに視線を落としながら、ギルに答えた。
「正直、クァントレル男爵様も、あの森の祭事について、深く知っていたわけではないとアタシは思いますよ」
お婆さんの話はこうだった。
「あの森に魔道具師を連れて祭事を行うっていうのは、実はクァントレル男爵家がこの地に住まうよりもずっと昔から行われてきた風習だったらしいですよ。祭事の時期が来る度に男爵様はボヤいていたからね。『あんな怖い森に入りたくない。なんで二十年ごとに行かなければならないんだ』って。じゃあもう止めたらいいんじゃないですか、そんな訳のわからない祭事なんてって、アタシが男爵様に言ったことがありました。けれど男爵様は首を横に振って、『やめるわけにはいかない』っておっしゃるんです。『代々クァントレル男爵家は銀の鎖の番人を務めてきた。この家が生まれるより前からあった、この地の祭事だ。本当の理由が分からなくても、長年続いてきたものを私の代で終わらせるなんて恥だ』って。だから男爵様自身、森での祭事について深く知ってたわけじゃないとアタシは思うよ」
なんとも困った話だ。祭事を行っていたクァントレル男爵でさえ、理由も分からず行っていたのだから。
「クァントレル家が出来るより前からある祭事かぁ……。なにか残ってないのかなぁ。この地の歴史書とか、風土に関するような書物とか……」
「男爵様が残した、クァントレル男爵家に関する本ならあるよ」
頭を抱えていた私に、お婆さんはあっけらかんと言った。
「男爵様たちが皆殺されちまって、屋敷の中もめちゃくちゃに荒らされちまってね……。せめて男爵様たちが生きていた証をなにかひとつでも残してやらなくちゃと思って、アタシは敵兵に見つからないように必死で屋敷の中に侵入して、回収したんだ。クァントレル男爵家の家系図が載っている本を」
「お、お婆さん……!」
「本当は余所者になんか見せるつもりはなかったけれど、お嬢様はチルトン少将様の娘さんだからね。特別に見せてあげるよ」
「ありがとうございます、お婆さん! そしてお父様……!」
お婆さんは部屋の中にある小さなチェストから、古びた一冊の本を取り出した。青黒い革の表紙で、金色のインクで『クァントレル男爵家』と書かれていた。
辞書のように分厚い本だ。本をめくると、埃っぽい紙とインクの匂いがした。
「ねぇお婆さん。この本、私たちがしばらく借りてもいい? 王都に帰る前には必ず返しにくるから」
「いんや、返さなくていい。というか、お城の図書室の本棚にでも紛れ込ませてきてくれないかい?」
「え? なんで? この本、お婆さんにとって大切な本でしょ。本当は私たちにだって見せるつもりがなかったくらい」
「本当はね、アタシが男爵家の本を持っていても仕方がないことはずっと分かっていたんだよ。でも踏ん切りがつかなかった。だけど今日、チルトン少将様のお嬢様がこの地にやって来た。そしてお嬢様はこの本を必要としている。これはついにこの本を世に送り出す時が来たんじゃないかと思ってね。このリドギア王国には領地を守るために最後まで戦ったクァントレル男爵様という立派な御方がいらっしゃったんだってことを、たくさんの人に知ってほしいんだよ」
「お婆さん……」
忘れないで。かけがえのない大切な人の命が戦争で失われたことを。
知ってほしい。こんなに素晴らしい人がかつて同じ地上に生きていたことを。
考えてほしい。戦争がなければ今でも大切な人が隣で笑ってくれていたかもしれないということを。
ギルがバーベナ魔術師団長の名前を後世に残そうとしたように、お婆さんもまた、クァントレル男爵の名前をリドギア王国に残したいのだ。
「分かりました、お婆さんっ! 私が必ず、深夜の王城の図書館に忍び込んで、この本を本棚に紛れ込ませてきます!」
「ありがとう、お嬢様。チルトン少将様にそっくりなお嬢様なら、きっとお城の警備を掻い潜ってやりおおせることが出来るはずだよ」
「オーレリア、普通にガイルズ国王陛下に、この本を図書館に置かせていただけるよう交渉しましょう。それがいちばん簡単です」
お婆さんから託された本を持ち、私とギルは宿に戻った。




