65:初夜part2
「はぁ~、いいお湯だった。さっぱりしたぁ」
この前、王城の豪華なお風呂に入って至れり尽くせりで気持ち良かったけど、我が家のお風呂もやっぱりいいものだ。入り慣れた安心感があるし、石鹸なども私好みのものを取り寄せてもらっているから髪や肌にしっくりくる。
侍女のミミリーがボディークリームを塗ってくれたので、触ると肌がもちもちする。十六歳の肌というだけではちきれんばかりに水分たっぷりだが、ちょっと手を掛けてもらうだけでぷるぷるだなぁ。
前世の十代頃って、私どんな肌とお手入れしていたっけ?
……駄目だ。魔術書を読んで夜更かししていた記憶と、仲間たちと夜通し飲み明かしてる記憶しかない。どう考えてもバーベナの十代より、今の私の方がピカピカの肌をしていると思う。
そんなことを考えながら寝室に戻ると、ベッドの上にすでにギルの姿があった。
珍しい。
最近はベッドの上で見かけるものは布団製の巨大イモムシだけだったから、人間の姿をしたギルは久しぶりだ。封印が解かれたんだな。
ギルは私と同様に入浴を済ませた後で、黒髪が少し湿っていた。そしていつぞや商人と一緒に悪ノリして選んだ赤いハート柄の夜着を着ている。ダサい格好をするとギルの顔の良さが際立つなぁ、という新たな発見を得た。
そしてギルは何故か頭の上に、熊の耳を付けていた。
なんかめちゃくちゃ見覚えがあるフォルムなんですけど。まさか……。
「もしかして、私の嫁入り道具の一ツ目羆の耳を引きちぎった!? ひどいよ、ギル!! あれはロストロイ家の守り神にするって、私、言ったじゃん!!」
私はギルの両肩を掴み、前後にブンブンと揺らすと、ギルの眼鏡がズレた。
ギルは慌てて眼鏡の位置を直す。
「い、いえ、違いますオーレリア! これは一ツ目羆の耳に似せた偽物です! 仕立て屋に作らせたんです!」
「なぁ~んだ。早とちりしちゃってごめんね、ギル」
「いえ、僕も紛らわしいことをして、すみません。まさかオーレリアがそこまで狼狽えるとは予想していなくて……」
「あの一ツ目羆には、子供の頃から持ってるぬいぐるみみたいな愛着があるんだよねぇ」
「なるほど。ではあの剥製は大切にしましょうね」
「うん」
自分が大事にしている物を、夫からも大事にしてもらえるととても嬉しい。
大切な思い出が詰まってる物を大切にしてもらえるなら、なおさら嬉しい。
なんの思い出もない、本当に些細な『好き』という気持ちだけで大切にしている物を夫から大切にしてもらえるなら、やっぱりとてつもなく嬉しい。
きっと自分の大切な物を丁重に扱ってもらえることを通して、私の心も丁重に扱われていると感じられるからかもしれない。
「今度、ギルにも剥製の手入れの方法を教えてあげるね。虫喰いやカビに気を付けなくちゃいけないし、埃を被らないよう毛並みの手入れもしてあげなくちゃいけないし、硝子の目玉もピカピカに磨いてあげないといけなくて。結構繊細なの。あ、今教えようか?」
「いえ、今は教えていただかなくても結構ですよ」
「そっか」
私はようやくベッドに登り、ギルの隣に座り込む。
「それで、なんで熊耳なんか付けてるの?」
実に本物そっくりの熊耳だ。ギルの黒髪より茶色っぽい短い毛で、触れるとゴワゴワと硬い。触り心地まで完璧だった。
どうやって頭にくっついているんだろう、とギルの黒髪を掻き分けてみれば、カチューシャが見えた。こんな立派な物を作ってしまうとは、さすがはプロだ。
熊耳が面白くてじっくり触って確かめていると、ギルは照れたように「以前チルトン領で、シシリーナお義母様が……」と呟いた。
「全裸でケモ耳を付けてベッドで待ち構えるのが夜這いの心得だとおっしゃっていたので……。さすがに全裸は恥ずかしかったので、夜着は着ておりますが」
お母様の悪影響、ここに極まれり。である。
うちの三十二歳児は本当になんでも吸収しようとするので、変な知識を植え付けるのは止めて欲しいです、お母様。
でもまぁ、昨日までは巨大イモムシ状態だったギルが、悩んだ末にようやく覚悟を決めたということらしい。
「……オーレリア」
頬を真っ赤にしたギルが、私の両手を取った。
ギルは私と上手く視線が合わせられないのか、目を伏せている。その長いまつ毛まで微かに揺れているような気がする。
ギルはゆっくりと口を開いた。
「僕は貴女が初めてなので、きっと貴女に辛い思いをさせてしまうかもしれません。上手く出来ないかもしれません。いえっ、閨に関する本をたくさん読んで予習はしたんです! ですが実践となるとまだ初めてですしなんとも言えず、他人からアドバイスを聞こうにも、『とにかくがっつくな』くらいしか答えていただけず、そういう漠然としたことではなくもっとこうピンポイントにオーレリアが悦ぶ方法を僕は知りたかったのですが」
ギルの話はたいへん長かった。
もう話はいいから始めようよ、と何度も喉から出かかった。
ハート柄の夜着をさっさとひん剥いてやろうかと思う程、長かった。
けれど私は耐えた。
これは愛だ。
ギルが私の一ツ目羆の剥製を大切にしてくれたように、私もギルの口から零れる、長くうだうだとした話をちゃんと聞いてあげようと思った。
人生でも恋愛でも仕事でも遊びでもなんでもいいけれど、未経験の物事に飛び込むときに事前情報を聞きかじってうだうだ悩んでも、挑戦した先にしか答えがない。私はそう考えるタイプの人間だ。よって、前振りの長いギルの気持ちがまったく分からない。
この、まったく理解出来ないけど取り合えず話を聞いてあげようとする私の忍耐力は、ギルへの深い愛情から生まれているのだろう。愛ってすごいな。愛は偉大で優しい。ギルの話、もうすっかり飽きたけど、愛してるから頑張って聞こう。
慈愛の眼差しを向けながら、私はギルの話を聞き続けた。
時々あくびを嚙み殺し、時計の針を確認し、このあと本当に始めるとして何回出来るんだろう、とか考えたり。ギルがせめてがっつくタイプの童貞じゃありませんように、と神様に祈ったりした。
「愛しています、オーレリア。貴女の傍にいると僕の感情は毎日、一分一秒ごとに揺れ動きます。楽しくて、ハラハラして、愛おしくて、切なくて……。一生大切にすると約束します。だからずっと、僕と共に生きてください」
よし、ギルの話がようやく最終段階に入った。
話が長い上に共感出来ない部分が多くてたいへん辛かったけれど、耐えられた。愛していなかったらとっくに寝てた。
ギルの大きな両手が私の肩を抱いた。
彼の顔がゆっくりと近付き、石鹸の香りがふわりと鼻先をくすぐる。
「優しくします。それでも嫌でしたら、いつでも言ってください……」
もういいからとっととかかって来いよ! と叫ばなかった私のことを、誰か褒めて欲しい。
私は目を瞑り、ギルの柔らかな口付けを受け入れた。
▽
「ふわぁぁぁ、よく寝た~!」
爽やかな朝である。寝坊するかと思ったけれど、いつも起きている時間とあまり変わらない時間帯にすっきりと目が覚めた。
私はしっかりと伸びをしてから、ギルの方を向いた。
立派な巨大イモムシが出来ている。
そしてシーツのあちらこちらには赤茶色に乾いた血の跡が散らばっていた。
私の血ではない。ギルの鼻血だ。
巨大イモムシの中から、しくしくと涙を零す音が聞こえてくる。泣きつかれた声で、「どうして僕はあんな序盤で鼻血を出して貧血を……」「煙のように消えてしまいたい……」と呟いているのが聞こえた。昨夜の一人反省会を朝までずっと続けていたらしい。
正直ギルのことだからどうせ未遂で終わると思っていたので、私としては『ギル、おっぱい触れて偉かったね!』って感じだったんだけどなぁ。
私は巨大イモムシをゆさゆさ揺らしてみる。
「ギル~、おはよー。朝だよ~。鼻血は止まった? 貧血は良くなった?」
「うぅ……、おはようございます、オーレリア……。鼻血は無事に止まりました……。ご心配をお掛けしてすみません……、僕はもう、オーレリアに会わせる顔がありません……」
「大丈夫だいじょうぶ、ギルには格好いい顔がついてるから大丈夫。私、ギルの綺麗な顔、好きだよー、会いたいな~」
ゆさゆさ揺らしながら励まし続ければ、ギルが布団の隙間からちょっとだけ顔を出した。
「……僕はいつもオーレリアに情けない姿を見せてばかりです」
眼鏡をかけていない目元が涙に濡れて腫れぼったくなっていた。
まぁ確かに、ギルという男はスマートさとはかけ離れている。重いし、ねちねちしてるし、センスがダサいし、話が長い。
でも私はそんなギルのことを愛してしまったので、彼の全部がぜんぶ、可愛いのだ。頭のてっぺんからつま先まで、愛おしいのだ。
私はベッドの上に落ちていた熊耳のカチューシャを手に取り、自分の頭に装着してみる。
「どんなきみでも愛しているよ、私の王子様」
布団の隙間に手を掛け、私はそっとギルにキスをした。
『前世魔術師』の書籍化&コミカライズ決定しました!
皆様の応援のお陰で、GAノベル様から出版していただくことになりました。本当にありがとうございます!!
オーレリアとギルの残念夫婦を、これからもよろしくお願いいたします!
活動報告更新しました!




