61:クリュスタルムの返還20
アドリアン大祭司たちを近衛兵に引き渡したギルは、さっきまでの苛立った様子から一転、しょんぼりとした様子になって私の元にやって来た。
ギルは私の腕に嵌まった魔道具をじっと見つめ、私の手を取る。ギルは自分の額をそのまま私の手の甲に押し当て、「……申し訳ありませんでした」と呟いた。
「オーレリアが危険な時に傍から離れてしまい、本当に申し訳ありませんでした。いくら貴女の居場所をいつでも把握出来、貴女が敵を躊躇なく吹っ飛ばせる人だからといって、貴方はいつでも無敵というわけではなかったのに……」
「ギル……」
正直、爆破魔術でたいていの危険を吹っ飛ばせる人間を常時心配するのは、無理だと思う。
私自身、治安の悪い場所を一人で歩くことに恐怖を感じたことがないくらい、自分の力を過信しているし。
それでもギルは私を一人の女性として心配し、夫として責任を感じてくれるんだな。それがギルの深い愛情に基づいての言葉だから、とても嬉しい。
「ちゃんとギルは私のピンチに駆けつけてくれたし、助けてくれたよ」
「オーレリア……。けれど僕は、オーレリアのすべてを守りたいんです」
「その気持ちだけで十分嬉しいよ。ありがとう、ギル」
だけど、と言葉を続ける。
「だけど生きていたら、危険なことや嫌なことなんて当たり前に降りかかるものだから。私、自分で振り払える火の粉はどんどん吹っ飛ばしていくよ。それでもし私に吹っ飛ばせない分があったら、またギルが助けてね」
私に欠けている部分を補って貰える人がいるだけで、十分奇跡みたいなものだから。
あんまり自分を責めないで欲しい。
「……今の貴女は、僕をちゃんと頼ってくださるのですね」
ギルは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「バーベナだった頃の貴女は、その心の苦しみや悲しみや負担を、僕に分けてはくださいませんでした。あの頃の僕はそれが悔しくてたまらなかったのですが……。オーレリアは僕を弟子ではなく夫として、頼ってくださるのですね。とても嬉しいです」
これはバーベナが自爆した時の話だろう。バーベナが一番追い詰められていた時にギルを頼らなかったことも、彼の中で傷となっていたんだな。申し訳ない。
バーベナはギルに頼る余裕すら、心になかった。周囲に居る生者にちゃんと目を向けられなかった。
だけどオーレリアの私は、いつだってギルを頼りにしている。私が手を伸ばせば必ず助けてくれる、助けようと足掻いてくれると信じられる。
「当たり前だよ。ギルのこと、いつも頼りにしているよ。死者の国まで迎えに来てくれたし、魔力暴走も止めてくれたし、お酒は樽ごと買ってくれるし。私の面倒をここまで見ようとしてくれる人なんて、ギルしか居ないと思ってる。ギルは私の最高の旦那様ですよ」
「ふふふ」
「あっ! あとっ! お小遣い前借りさせて頂けたら、さらに頼りになる旦那様です! 王城の噴水を爆破しちゃって請求書が届いたんで、なにとぞ……!!」
「……貴女はどうしてこのタイミングで言うんです? いま僕たち、かなり良い雰囲気でしたよね?」
「まぁ、構いませんけど」と、ギルがやっと朗らかに笑ってくれたので、ほっぺに感謝のチューを贈った。
チルトン領に里帰りした時にファーストキス(ギルの認識では)をしたので、頬へのキスではギルもふらつかなくなってきたみたいだ。
ギルの眼鏡の黒い奥の瞳が、柔らかく細くなる。
「ちょっとは気分が回復した?」
「はい」
ギルからもお返しのキスを頬に貰って、気持ちが和む。
やっぱり夫婦のイチャイチャは大事だな。メンタル回復に役立つよ。
そのままギルの腕に引っ付いていると、頭上から『キエエエェェェッ!!』という奇妙な悲鳴が聞こえてきた。
何だろうと思って上を見れば、守護霊になったジェンキンズである。なぁ~んだ。
ジェンキンズは生きている頃もよく突発的に荒ぶる面倒くさい同僚だったが、死んでからもお変わりないようだ。
「どうしたんです、オーレリア? 急に夜空を見上げて」
「何か急にジェンキンズの奴が『キェキェ』鳴き出したから、つい気になって」
「……ああ。そういうことですか」
ギルは納得したように頷くと、満面の笑みを浮かべて夜空を見上げた。
「ジェンキンズ先輩、水龍の姫先輩、リザ元魔術師団長。僕の妻が大変お世話になりました。心より感謝を申し上げます」
守護霊が見えていないので、ギルは全然違う方角へと頭を下げている。面白い。
『なにが〝僕の妻〟だ、このクソガキ……!!』
「ギル、なんかジェンキンズが滅茶苦茶怒ってるよ」
「でしょうね」
『お前なんかオーレリアに地位も財産も全部爆破されて、精魂尽き果てて捨てられるのがオチなんだよ!!』
「ギル、なんかジェンキンズが私の悪口言ってるぞ!」
「え? どうしてですか?」
人を悪女みたいに言うんじゃない、ジェンキンズ!
ギルに喧嘩を売りたいのか私に喧嘩を売りたいのかよく分からないジェンキンズだったが、奴の様子が少しずつ変化していった。
ジェンキンズは性格がアレな割には見目の良い男で、半透明な守護霊の姿になってもハーフアップの金髪とか白い肌とかすごく綺麗だったのだが。
何故か、肌も髪もどんどんどす黒く染まっていく。周囲にもどす黒いオーラを放ち始めている。
ジェンキンズの身にいったい何が起こっているのだろうか。
私がぽかんと見上げていると、おひぃ先輩とばーちゃんが焦り始めた。
『ああっ! 駄目ですの、ジェンキンズ! 正気に戻るのですの!』
『貴方、このままではせっかく取った守護霊資格が……!』
ジェンキンズが黒く染まっちゃうと、なんかヤバいのだろうか?
おひぃ先輩とばーちゃんの声掛けも虚しく、ジェンキンズの全身が真っ黒に染まった———……次の瞬間、ジェンキンズの姿がシュンッと掻き消えた。
『ああぁぁっ! ジェンキンズ! なんということですの!!』
『まったく、愚かな子でしたわ……』
「え? 今のはなんだったんですか、おひぃ先輩? ばーちゃん?」
おひぃ先輩は頭を抱え、ばーちゃんは首を横に振った。
『あれは怨霊化ですの。守護霊は生者を守るために存在するもの。それなのに生者を強く呪うと、怨霊化いたしますの』
「怨霊化!? 怨霊化するとどうなるんですか!? まさか死者の国行き!?」
『いいえ。守護霊の資格を剥奪されて、ヴァルハラへと強制退場です。二か月は再試験が受けられません』
「なーんだ。大したことないんですね~」
ただヴァルハラに帰っただけかよ、ジェンキンズ。人騒がせな奴だな。
『では、わたくし達も帰りますの。また暇な時に会いに来ますの』
『とにかく貴女が無事で良かったわ。腕輪が外せるまでは、軽々しく爆破してはいけませんよ。リドギア王国が消滅してしまいますからね』
「はーい」
『あと、ギル君とちゃんと仲良くするんですよ。子育てというのは本当に大変ですから、体力のある若い時に産むのが一番ですからね。おばあちゃんは曾孫と言う吉報を待っております』
「はいはーい」
ばーちゃんの曾孫話はちょいちょい適当に聞き流しても大丈夫だな。どうせなるようにしかならん問題だし。
ギルにジェンキンズが怨霊化して退場したことと、おひぃ先輩とばーちゃんが帰ることを伝えれば、ギルは丁寧に頭を下げて見送りをする。
私も二人の姿が消えるまで、ブンブンと手を振って見送った。




