53:クリュスタルムの返還12
三人称です。
「ロストロイ夫人、スイーツに合う飲み物もご用意したのですよ。ぜひ飲んでください」
「ありがとうございます、大祭司様。あ、紅茶じゃなくてカクテルなんですね」
「ええ。トルスマン皇国伝統のカクテルなんです。甘いので、特に女性に好まれる味なんですよ」
「へぇー。楽しみです」
大祭司アドリアンが配下の者に視線を向けると、細長いカクテルグラスが運ばれてくる。
透き通った紅色のカクテルがたっぷりと入ったグラスが、ロストロイ夫人の前に静かに置かれた。
(くっくっくっ……!)
アドリアンはほくそ笑んだ。目の前のソファーに腰掛け、何も知らぬ顔でカクテルグラスを手に取ったロストロイ夫人に。
(菓子にはなんの仕掛けもしなかったが、そのカクテルには少々小細工をさせて貰ったぞ、夫人よ)
トルスマン皇国伝統のカクテルというのは噓ではない。
リンゴから作られた酒と、カシスのリキュール、少々の蜂蜜を加えたそのカクテルは、かつて皇国が栄えていた頃にリンゴ栽培が盛んだった東部地方で古くから愛されてきた。
今では土地が疲弊し、あれほど山々を埋め尽くしていたリンゴの木はほとんど無くなってしまったが。
だが今回のカクテルには、『サラマンダーの息吹』というアルコール度数が恐ろしく高い蒸留酒も一緒に混ぜ込んでいる。酒に強いと言われる南方地方の船乗りでさえ、『サラマンダーの息吹』をグラス一杯飲み切る前に、顔を真っ赤にして酔いつぶれると評判だった。
甘く飲みやすいのに度数が高いカクテルというものは、女を陥れる時に使いやすい小道具だ。
酔って警戒心が薄まったところで、クラウスに口説かせるのも良し。
前後不覚にまで陥らせて、隣室にあるベッドでクラウスと共に過ごしてもらうも良し。実際に事が起こらなくても、一定時間を寝室で過ごしたという事実があれば、それで充分ロストロイ夫人の弱みを握れる。
(クラウスに惚れて自ら進んで我が国に来るのでも、弱みに付け込んで無理やり我が国に来させるのでも、どちらでも構わん。大事なのはこの女がクリュスタルム様の巫女姫になること。それだけだ)
アドリアンはそう考え、ロストロイ夫人がグラスに口を付けるのを愉快な気持ちで眺めた。
「どうです、お味の方は?」
「すごく美味しいです!」
「それは良かった。ささ、もう一口飲んでください」
「はいっ」
くくく、素直な女は馬鹿で良いな、とアドリアンはほくそ笑む。
ロストロイ夫人は満面の笑みを浮かべると、ぐいっとグラスを傾け、喉を反らしてカクテルを一気に飲み干した。
(は? この女、『サラマンダーの息吹』を一気飲みだと……っ!? 死ぬ気か!?)
アドリアンは唖然とした。
アルコール度数が高いことを隠したまま飲みやすいカクテルを飲ませようとしたのは自分たちだが、ここまで一気に呷られると、どうしたらいいのか分からない。
自分たちはロストロイ夫人に酒の過ちでクラウスと関係を作って欲しいのであって、夫人を酒で殺したいわけではないのだ。
驚きに声が出せないアドリアンの前で、ロストロイ夫人は空になったグラスを見つめ、こう言った。
「あの、おかわりしてもいいですかね?」
▽
……ロストロイ夫人は恐ろしい酒豪だった。
用意した高級スイーツよりもカクテルの方が気に入ったようで、もう何杯カクテルを飲んだのか分からない。並みの人間ならばすでに死んでいる。
しまいには「作り方を教えて欲しいんですけど~」と言い出し、彼女の目の前でカクテルを作る羽目になった。
もちろん『サラマンダーの息吹』の存在が白日の下となり、夫人は「あのー、この蒸留酒だけで飲んでもいいですか?」と言って、ショットグラスをねだった。しかもチェイサー代わりにカクテルを所望する。予想外のザルであった。
「……お酒、お強いんですね」
「前世の頃からいくら飲んでも酔わない体質なんですよ~」
「は、はは、は……」
アドリアンは額から汗をダラダラと流しながら、乾いた笑い声を漏らした。
ロストロイ夫人は前世などと訳の分からない単語を口にするくらいには酔っているようだが、アドリアンが望んだほどの効果はなかった。
(女のくせに高級スイーツよりも酒で、しかも酒豪とはどういうことだ!? 化け物か!?)
アドリアンは偏屈な七十代で、『女というのはこういうもの』というステレオタイプなイメージから脱却出来ない男であった。
(しかし、まだ手はある! クラウスよ、この女を口説きまくって落とすのだ!)
アドリアンがクラウスに目配せをすると、少年祭司は「はわわ!」という表情で慌ててロストロイ夫人に話しかけた。
「えっと、オーレリアさんに竜王の宝物殿でクリュスタルム様を発見された時の話が聞きたいなぁ、俺!」
〈おお それは我も聞きたいな 発見時のクリュスタルムはとても美しく光り輝いていたのだろう〉
〈妾はよく覚えておるのじゃ オーレリアが妾の中に落っこちて来て 即 死にかけたことを〉
「うん。あれは滅茶苦茶ヤバかったね」
クラウスとロストロイ夫人、そしてクリュスタルムとアウリュムが和気あいあいと話し始めた。
その様子には色恋が挟む余地はまるでなかった。
(この、ぽんこつクラウスめ……! 私は夫人を篭絡しろと言ったが、夫人と仲の良い友達になれなどとは一言も言っておらん!)
女に好かれやすい見た目をまったく活かせていないクラウスに、アドリアンは頭を抱える。
だが次の瞬間、良い考えがひらめいた。
(そっ、そうだっ! クリュスタルム様にお力添えをして頂こう! この女のことを気に入っていらっしゃるクリュスタルム様なら、『ロストロイ夫人を巫女姫にしてはどうか』とお尋ねすれば、喜んで夫人を説得してくださるはずだ。妹に甘いアウリュム様も、きっと話に乗ってくださるはずだ!)
アドリアンはそれとなく話を運ぼうと、口を開いた。
「なるほど、なるほど。クリュスタルム様とロストロイ夫人は、とても仲良しなのですね」
猫撫で声を出すアドリアンに、クリュスタルムは機嫌良く答える。
〈うむ そうなのじゃ オーレリアとギルは……〉
「ではクリュスタルム様、ロストロイ夫人を巫女姫として本国へお連れしてはいかがです? 皆で暮らすのはきっととても楽しいですよ」
〈…………〉
アドリアンのその言葉に、水晶玉の中央の靄が反応した。光が弱まり、靄が掻き消えそうなほど少なくなり———、再び強く発光する。
〈オーレリアは妾の巫女姫にはしないのじゃ! オーレリアとギルは 妾の一生の友達じゃ! 友達は対等な存在であって 世話をしてもらう相手ではないのじゃ!〉
クリュスタルムがはっきりとそう言い切った。
ロストロイ夫人はアッシュグレーの瞳を柔らかく細め、微笑む。
「きみの一生の友達にしてくれてありがとう、クリュスタルム。とても光栄だよ」
〈オーレリアにとっても 妾は一生の友達足りえるじゃろうか?〉
「もちろん。クリュスタルムと過ごした時間は、私にとってもかけがえのない時間だったよ」
〈そうか それなら良かったのじゃ〉
目の前で繰り広げられる友情の一幕に、アドリアンは絶句した。
クリュスタルムからの力添えは期待出来ず、このままでは唯一の巫女姫候補を指をくわえて見逃さなければならない。
(何か他に手札は……)
その時、アドリアンの視界に配下の者が持っている一つの箱が映った。
アドリアンの指示でいつでも出せるようにと、運んできてくれたらしい。
(そうだ。まだあの魔道具があったではないか……)
アドリアンは自分から配下の者に近づくと、その箱を開け、真ん中に鎮座する魔道具を手に取る。
それはミスリルと虹神秘石から作られ、腕輪の形をしている。複雑な魔術式が模様のように彫り込まれていた。
魔術師以外が持っていても無意味らしく、以前アドリアンが興味本位で腕輪をはめたときには体調不良を引き起こした。
それきりしまい込んでいた物だが、魔術師のロストロイ夫人ならこの魔道具が取引材料になるかもしれない。
「……ロストロイ夫人」
アドリアンは内心の焦りをひた隠し、作り笑顔を浮かべてみせる。
夫人はきょとんとした表情で、アドリアンを見上げた。




