51:クリュスタルムの返還10
リドギア王国にトルスマン大神殿の大祭司が来訪した記念の催しとして、陛下主催の夜会が開かれることになった。
本来の目的はクリュスタルムの返還だが、この機会に両国の平和を主張しておきたいのだろう。
諸々の利益や思惑が絡んだ『平和』なのだろうが。
というわけで、侍女のミミリーにおめかしをしてもらう。
私の正装は彼女に任せっぱなしなので、今日も今日とてミミリーが選んでくれたドレスを着せてもらった。
「なんか、今日のドレスはいつもとちょっと系統が違うね?」
いつもはヒラヒラフリフリのプリンセスラインのドレスだったのだが。
今日のはちょっと落ち着いた雰囲気のドレスで、胸元の開き具合が広い。陛下主催の夜会だからか?
「最近、旦那様が……、奥様の胸元をよく盗み見ていらっしゃるので……。こちらのデザインのドレスの方がお喜びになられるかと思い、選ばせていただきました」
おいギル、三十二歳の思春期丸出しで私のおっぱいをチラチラ見てることが、ミミリーにバレてるぞ。
私ももちろん気付いていたが。
目を合わせようとしないくせに、ふとした瞬間に妙に視線を感じるから、いやでも分かるのである。
「可哀そうだから、ギルには指摘してやらないでね」
「はい、もちろんです奥様。そのことは、ジョージさんや庭師や料理長、侍従や侍女全員が心得ております」
おいギル、ロストロイ家の使用人全員にバレてたぞ……。
私は皆の優しさに心から感謝した。
▽
クリュスタルムを斜めかけバッグに詰める。
これはミミリーが新しく夜会仕様に作ってくれたバッグで、チルトン産の小さなダイヤがいっぱい縫い付けられたパーティー仕様である。ちなみにこの小さいダイヤは里帰りした時にお父様から貰ったやつだ。
〈妾に相応しい袋じゃ!〉と、クリュスタルムからも好評である。
ありがとう、ミミリー。ありがとう、お父様。
玄関ホールに向かうと、一ツ目羆をじっと見つめるギルの姿があった。
装飾の多いドレスローブを着たその姿は華やかで、妻の私の目から見ても実に美しい男だと思う。
ギルは私のヒールの音に気が付き、「オーレリア」とこちらを向いた。
さすがに今夜は夜会なので、三十二歳の思春期男子から、大人のロストロイ魔術伯爵に切り替えてくれたらしい。……大人って何だろう?
彼はいつものように私のおめかしを褒めようとして———……ドサッと膝から崩れ落ちた。
私もよく『黙っていれば美人』と言われるタイプの人間だが、ギルもそんな感じだな。
夫婦揃って高貴には生きられないようだ。一応魔術伯爵家なのに。
「うぅ、ああ、わぁぁ……!」
「ギル、もう少し頑張って人間の言葉で喋ってみよう? ね?」
「オーレリアが美しすぎて、この胸で荒れ狂う感情を表す言葉がわかりません……!」
「欲情で良くない? それとも発情?」
「直球過ぎて情緒が無さ過ぎます!! 僕が貴女に捧げた初恋は本当に大切なもので、けして俗物的な欲だけに翻弄されるものではない、いわば僕の宝物で……っ!!!!」
「はいはい、わかったわかった。ギル君の恋はきれいでちゅね~。じゃあ夜会に行くために馬車に乗りまちゅよ~」
しゃがみ込むギルの両脇に私は腕を通して起き上がらせようとしていると、クリュスタルムが〈妾はギルのこういう潔癖さが好きじゃ!〉とバッグの中で言った。
潔癖というか、拗らせてるだけですけどね。
ギルを拗らせてしまった原因が私自身なので、なにも言えないんですが。
▽
王城に着く頃にはギルもシャキッとした表情になった。
馬車の中でももだもだしていたからちょっと心配だったけど、切り替えてくれて良かった。
夜会のために王都中の貴族が集まり、城内はいつもより華やかだ。大広間の壁際にはお高い美術品や肖像画に交じって、大きな花瓶に活けられた花がある。きっと庭師集団が丹精込めて育てた花々なのだろう。
……そういえば昨日、壊した噴水の請求書が届いたな。ギルにお小遣い前借りを頼まないと。
「ねぇ、ギル……」
お小遣い、と言おうとしたその時、国王陛下が大広間へと入場した。
今夜は正室である王妃様もご一緒だ。側妃様はトルスマン大神殿の大祭司たちをもてなすために、そちらの方に付いているようだ。
陛下や来賓が所定の位置につくと、貴族一同、臣下の礼をする。
「あー……、『今宵はトルスマン皇国大神殿の大祭司、アドリアン殿の来訪を歓迎し、』……」
夜会開催の挨拶として、陛下は宰相から渡された紙を読み上げている。
決められた言葉を口にする陛下からは普段のヤンチャさが身を潜め、ちゃんと一国の王に見えてなんだか安心した。
会場内にいるリドギア王国民全員同じ心境なのか、貴族も上層部も、王城の侍女や衛兵たちもホッとしたような表情をしている。
陛下には優雅さはないけれど、戦争という動乱の時代を率いてくださった頼もしい王なので、臣下からの忠誠心は絶大だ。
無事に陛下の挨拶が終わると、大祭司たちの紹介や挨拶に移る。
その中にはクラウス君の姿もあり、私と目が合うとへにゃりと微笑んでくれた。彼の手にはふかふかのクッションがあり、その上にはアウリュムが鎮座している。クリュスタルムのためにもあとで挨拶に行かないと。
その後、夜会が始まった。
侍従が配るグラスを貰い、ザルというより枠のようにワインを飲む。
屋敷で飲んでいるワインも、甘口から辛口、渋みや酸味が違うやつを色々用意してもらって楽しんでいるけれど、王城で出されているのはまた違うバランスでおいしいなぁ。
「これ、どこのワインなんだろうね? 王族御用達のやつだから、一般流通はしてないのかな?」
「では今度、陛下からゆすってきますね。この間、お忍び突撃訪問しに来やがりましたし」
「ありがとう、ギル!」
ほかの貴族たちとも挨拶をかわしていると、ダンスの音楽が始まった。それを合図に次々とダンスフロアへ人が入っていき、楽しそうな笑顔とともに踊り始める。
私はギルの手を引いた。
「私たちも踊ろっか。前にラジヴィウ公爵家の夜会でダンスした時、すっごい楽しかったよね~」
「……」
ギルの目が泳ぎ、半歩後ずさる。
「……ギル」
「今夜の僕は絶対にオーレリアに見とれて、貴女の足を踏んでしまいますので……っ!!」
「大丈夫。自慢の足捌きで回避するって。シュシュッて」
「絶対に僕の足がもつれて転ぶ……!!」
「私がリードするから平気だって。なんならギルを持ち上げて回転とかもきっと出来るし」
「そういう男前なセリフは僕が言いたいんですよ本当はっっっ!!!!」
「とにかく、今夜の貴女とダンスは無理です!!」と言って、ギルが抵抗する。へたれぇ。
イヤイヤ期のギルを前に、どうしようか考えていると。
魔術師団のローブを着た青年が「団長~! 緊急のお知らせっス! マジでヤバいっス~!」と叫びながら現れた。
ギルは一瞬ホッとした表情になった。逃げる気満々だなオイ。
「申し訳ありません、オーレリア。緊急らしいので少し離れます! なのでダンスは無理です!!!!」
「すみません、奥様。すぐにロストロイ団長をお返しするんで、ダンスは大丈夫っスよ~」
「いえ!! ダンスは無理ですから!! 行くぞ、ブラッドリー!」
「え? なんでダンス駄目なんスか、団長? あとで奥様と踊ってあげりゃあいいのに」
「うるさい。君は黙っていろ」
「パワハラ! パワハラ発言っスよ、ロストロイ団長! 労働局に言いつけるっスよ!?」
「新婚休暇中に働かされている僕の方が労働局に駆け込みたい……」
ギルはちょっと遠い目をしつつも、部下のブラッドリー君を連れて逃げて行った。
〈ギルのやつは仕方がないのぉ どうじゃオーレリア 代わりに妾と踊るか?〉
「水晶玉を抱えて一人で踊ってる変わり者のように見られるやつですね」
それも無しでは無いかなぁ。クリュスタルムとお別れする前の思い出作りに。
そんなことを考えていると。
「はわわっ! やっと見つけた、オーレリアさん!」
アウリュムを連れたクラウス君がやって来た。




