50:クリュスタルムの返還9
クリュスタルムとアウリュムと、そのままテーブルで向かい合っていると。竹ぼうきの訓練に疲れ果てた様子のクラウス君がこちらへやって来た。
クラウス君がよろよろとした動作で椅子に腰掛けたので、水を差し出してあげる。彼は喉を鳴らして水を飲んだ。
「どっ、どうでしたか、オーレリアさん。俺、カラス撃退出来そうですかね……?」
「あ、ごめん。途中から見てなかったや」
「そそそそんなぁ……」
クラウス君はぐったりと肩を落とした。ごめんよ。
しばらくテーブルに沈んでいたクラウス君だったが、ガバッと顔を上げて、
「あのぅ、旦那様のことなんですけど……!」
と、突然話題を変えてきた。
「オーレリアさんは、そのっ、旦那様とは最近どんな感じなんですか!?」
「最近の旦那?」
私の脳裏によぎったのは、ここ数日のギルのよそよそしい態度のことである。
王城のお風呂場で見た私の裸がよほど刺激的だったのか、ギルはここ数日私と目を合わせられないでいる。
私から話しかけても、ギルから返ってくる声がすっっっごく小さい。
彼の眼鏡の奥を覗きこもうとすれば顔ごと反らされ、距離を縮めようとすれば反射のように半歩後退り、自分でもこの態度はヤバいと思うらしく部屋の隅で頭を抱えている。
就寝時などもっと症状が顕著で、一人布団にくるまって巨大なイモムシみたいになって震えている。まだ残暑だぞ。
「息苦しくないのか、ギル?」と尋ねた私に対し、ギルは涙声で「どうしたらいいのか分からないんです……!!」と叫んだ。
「貴女の体を見たいし肌に触れたいし欲望のままに襲い掛かりたいという気持ちと、貴女を大事にしたいしそもそも触れ方も分からないし無様な自分を貴女の前に晒して引かれてしまうかもしれない恐怖で僕、頭がぐちゃぐちゃなんです……!!」
「あ、そう」
それ、一回やっちゃえば解決するやつだな。
「あんまり根詰め過ぎずに早めに寝なよ、ギル。じゃあ、おやすみ~」
「おやすみなさい、オーレリア……!」
そうして私は巨大イモムシの横で眠ったのだが。
夜中の三時頃だったかな? ベッドに巨大イモムシが居ないことに気が付き、心配で廊下へ出た。
そして散々探した挙句、玄関ホールにある一ツ目羆の剝製の前で横たわる巨大イモムシを発見した。
おそるおそる巨大イモムシの中を確認したのだが、発熱や悪寒などの症状もなく、健やかな寝息を立てて眠るギルが居たので、私は安心した。
このまま玄関ホールに寝かせておくわけにもいかないので、巨大イモムシ状態のギルを静かに運び、またベッドに寝かせる。
そして朝が来るとまたギルがぎくしゃくしている……というループである。
ギルは私が初恋だと言っていた。
バーベナが戦時中に自爆しちゃった瞬間からギルの初恋は行き場を失い、そこで彼の中の恋愛経験がすべて止まってしまったんだろう。
そして現在私と結婚し、停止していた恋愛経験がどんどん積み重ねられてしまい、気持ちが追い付かない状況なんだろう。
そんなことを考え、私はクラウス君の前でつい溜め息を吐いてしまう。
「最近はよそよそしい感じかなぁ」
「よ、よそよそしい!? ……や、やっぱり……!」
「一緒に寝るのも駄目みたいで」
「一緒に寝るのも駄目……、新婚なのに……!」
「日中も目を合わせてもくれなくてさぁ」
「ひぇぇぇぇ!? そ、そんな、そこまで……」
クリュスタルムがトルスマン皇国に帰ったら、もうギルを襲って荒治療しちゃった方が正直楽かもしれない。
でも恋愛に『楽さ』を求めるのは何か違うよなぁ。『楽しさ』なら全然いいけど。
こんなこと、急かしてもしょうがないし。
ギルの心が追い付くまでは、私はただ待つことしか出来ない。
やっぱりギルのペースに合わせて関係を進展させていくしかないよな。
私がそんなことを考えている目の前で、クラウス君がぽつりと、
「はわわわわ……! やっぱりオーレリアさん、ロストロイ魔術伯爵様から冷遇されて愛されていないんだ……!」
と呟いたことに、私は気付かなかった。
▽
「た、たたたたたいへんですーっ、アドリアン様ぁぁぁ!!!!」
オーレリアと別れ、アウリュムと竹ぼうきを抱えたクラウスは、急いで大祭司たちが集まっている客室へと駆け込んだ。
客室にはアドリアン大祭司をはじめとしたトルスマン皇国の者たちが椅子に腰掛けており、週末にリドギア国王陛下が開催する夜会への準備について話し合われているところだった。
「一体何事だ、クラウスよ。お前にはあの女を篭絡することに集中しろと言っておいただろう。あの女の件はどうなってるのだ?」
「俺、そのことをお話に来たんですぅ、アドリアン様……!」
クラウスは涙ながらに語った。オーレリアの境遇を。
旦那がよそよそしくて(思春期だから)。
一緒に眠るのも駄目で(思春期だから)。
日中も目を合わせてくれなくて……(思春期だから)。
「オーレリアさんはちょっと変わった魔術師さんですけど、優しくていい人なんです……! それなのに彼女を冷遇して愛さないだなんて、ロストロイ魔術伯爵様はひどすぎますぅぅぅ!!」
「……魔術師?」
アドリアン大祭司が、クラウスの言葉の一つを繰り返した。
「あの女は、魔術師なのか?」
「え? は、はい……。ご本人がそう言ってましたし、俺もオーレリアさんが魔術を使うところを二回見ましたけど……」
「そうか。それなら面白い品であの女を釣ることが出来るかもしれない」
「面白い品ですか?」
「うむ。終戦の頃に魔術兵団幹部だった者が、私に渡して来た魔道具なのだが……」
トルスマン皇国にはかつて魔術兵団と呼ばれる、魔術師のみで構成された軍隊があった。
その大半はかつてリドギア王国魔術師団長だった『爆殺の悪女・バーベナ』に葬り去られてしまい、終戦後にはリドギア王の指示で完全に解体されたが。
魔術兵団では戦争のための魔道具を開発研究する部門があった。
その部門のトップに居た魔術師が、終戦直後にアドリアン大祭司へ『とある魔道具』を渡してきた。
「なんでも、その魔道具には『魔術師の能力を増強させる』効果があるという話でな。魔術兵団はその魔道具の製作に長い時をかけたが、完成したのはそれ一つだけだったらしい。
元幹部は戦犯として裁判にかけられることが決まっておったから、私のもとにその魔道具を預けに来たのだが。結局元幹部は処刑され、魔道具はそのまま私が預かったままなのだ」
アドリアン大祭司は、その魔道具をロストロイ夫人に贈ってはどうか、と話を続けた。
「もはや持ち主の居ない魔道具で、私としてもいい加減処分をしたかった。『魔術師の能力を増強させる』効果があるのなら、あの女の関心が引けるのではないか?」
「プレゼント大作戦ってわけですねっ、アドリアン様!」
「どうせ要らない品だからな。捨てる手間も省ける」
「ありがとうございます、アドリアン様!」
「それにしても、やはりクラウス一人では篭絡に時間が掛かるな……。そろそろ帰国の時も近づいている。クラウスだけでは頼りないから、私も手伝うとするか。なに、私の手にかかればリドギアの女一人篭絡することなど造作もない」
アドリアン大祭司は本国から件の魔道具を持ってくるようにと、配下の者に指示を出した。




