48:クリュスタルムの返還7
翌日、クリュスタルムを連れて登城すれば、いつもの部屋にクラウス君が居た。
ほかの祭司達にまぎれながら、アウリュムのお世話をしている。
「おはよう、クラウス君」
「はわわ! ろ、ロストロイ夫人、おはようございます……!」
「タンコブの具合はどうですか? ほかにも不調は出ませんでしたか?」
「あ、はい。タンコブはまだ痛いですけど、ほかは元気いっぱいです! お医者さんも問題はないよって言ってくれて、今朝早く医務室から出れましたっ」
「そっかぁ。巻き込んで本当にごめんなさい。ほかに不調がなくて良かった。あ、これ、お見舞いのお菓子です。皆さんでお早めにどうぞ」
昨日の帰りにギルと貴族街で購入した、プリンの詰め合わせである。ふつうのプリンと、キャラメルプリンと、イチゴプリンの三種類の味を選んだ。
試食したら美味しかったので、屋敷の使用人達の分も購入した。お酒の苦手なジョージはどうやら甘党だったらしく、すごく嬉しそうにプリンを選んでいたし、侍女のミミリーも喜んでいた。
私はお酒のつまみは甘い物でも辛い物でも何でもいいただの呑み助なので、プリンを肴にシャンパンを一瓶空けた。ギルは王道に紅茶を合わせていた。
「はわわわわ! ありがとうございます、ロストロイ夫人! 俺、甘い物大好きなんで、すごく嬉しいです! わっ、わっ、この箱、すごく重いですね!? 祭司の皆さんと分けて食べますね!」
瓶入りのプリンが三十個入った木箱だから、クラウス君のような小柄な少年には重かったかもしれない。私は片手で持てるけど。
クラウス君は木箱を抱え、よろよろとした足取りで奥の部屋へと運んで行った。
▽
〈噴水から虹が出ておるのじゃ 妾はもっと近くで虹を見たいのじゃ!〉
〈虹が反射する我が妹も 実に美しい〉
巫女姫候補者をどんどん落としていくせいで、選定用の肖像画が尽きてしまった。
またトルスマン皇国から新たな候補者の肖像画が送られてくるまでは暇になってしまったので、私はクリュスタルムを、クラウス君がアウリュムを運んで中庭の噴水で遊んでいる。
虹をもっと近くで見たいというクリュスタルムのリクエストに応えて水晶玉を噴水に近づけたら、タイミング悪く噴水の威力が強まって、クリュスタルムがびしゃびしゃになった。
クリュスタルムはまるで水を無理やり飲まされたかのように〈あぼぼがばぁぁ!!〉と悲鳴をあげたけど、え? どこから水を飲んでるんだ? きみ、水晶玉だろ?
〈オーレリア!! 妾を水に濡らすでない! 大変な目に遭ったではないか!〉
「ごめんごめん。よく分かんないけど、本当にごめん」
原理は分かんないけど、クリュスタルムを水につけると駄目な感じなんだな、うん。
アウリュムの世話をしていたクラウス君が、さっとタオルを用意してクリュスタルムを拭いてくれた。
〈さすがは兄上の側仕えなのじゃ 宝玉の気持ちが分かっておる〉
「はわわわわっ、い、いえっ、そんな! 滅相もございませんっ!」
クラウス君はおどおどと答えながらも、手際良くクリュスタルムをアウリュムの上に設置し、噴水の飛沫が当たらない場所に移動させた。
兄妹は虹を間近に見学出来て楽しそうである。
「クラウス君はアウリュムの世話係、長いんですか?」
「え、ええ、まぁ……」
噴水の側に設置されたベンチに私が腰掛けると、クラウス君もとてとてと近付いてきて、隣に座った。
こうして隣り合って座ると、クラウス君の小ささがよく分かる。彼のプラチナブロンドの柔らかそうな髪が風にそよいで、いっそうふわふわして見えた。
「五歳でトルスマン大神殿に入ってすぐに、アウリュム様にお声がけを頂きまして。それからずっと御側近くでお仕えさせていただいてるんです、俺」
「じゃあもう十年以上お役目についているんですね。手際が良いわけだ」
五歳で神殿入りするっていうのは、リドギア王国でいう教会付属の孤児院みたいなものだろうか。ふつうなら親元に居る年齢だし。
そんな私の考えを読んだように、クラウス君は眉を八の字にして微笑んだ。
「お、俺、……戦争孤児なんです。父親が遠征部隊の一員だったそうで、戦地で亡くなりました。母親は赤ん坊の俺を育てるために無理して働いて、そのまま。それでご近所の方が俺を大神殿へ連れて行ってくれたそうです。まぁ、あんまり記憶にない頃の話なんですけど……、あはは」
クラウス君はそう言って、肩をすくめて笑った。
彼のような戦争孤児は、トルスマン皇国にもリドギア王国にも少なくない。
チルトン領にも出兵して父親が帰らなかった家庭はあったし、流れ着いてきた戦争孤児や、戦争によって家庭が崩壊してしまった家の話はよく聞いた。
戦後十六年経っても、リドギア王国にもトルスマン皇国にも深い爪痕が残っている。土地にも、ひとの心にも、人生にも。
ほんと、戦争なんて嫌なものだ。
「だから俺、祭司として国や民の幸福を願い、戦争がない世界を作る手伝いが出来たらいいなって思ってるんです。俺みたいな子供が増えないように」
クラウス君はいい子だなぁ。
戦争のない世界なんて理想論に過ぎないことを、私は知っている。
ずっと続くと信じていた平和は本当はとても脆いもので、ある日突然消え去ってしまう可能性があることを、私はずっと覚えている。
私はまた、どうしても戦争が回避出来ないという日が来てしまったら、私の愛する人たちが居るリドギア王国を守るために戦うだろう。爆破魔術で敵の頭を吹っ飛ばすだろう。
その時はギルも戦場に立つだろうし、お父様も大剣を振り翳して敵を薙ぎ払うだろうな。
だからこそ戦争を回避するための抑止力は、いくつあってもいい。
あればあるだけいい。
トルスマン皇国は大神殿の力が強いというから、クラウス君のような祭司達が平和を願い、戦争がない世界を作るために頑張ってくれたら、そこそこ抑止力になるんじゃないかな。
いざという時の諦めはあるけれど、本当は戦争なんか、進んでしたくはないのだ。
「若いのに立派な考えだねぇ」
「え? えっと、ロストロイ夫人って、俺より年下だよね……?」
そういえばそうだった。ついうっかり、年寄りくさい言葉を口にしてしまった。
「で、でもっ、ロストロイ夫人はなんだか落ち着いていて、大人っぽい雰囲気ですよね。だから俺が子供っぽく見えるのかも……」
「落ち着いた雰囲気だなんて、二回分の人生合わせて初めて言われたかもしれない」
「え? 二回?」
「ありがとうございます、クラウス君」
「え、え、え!? どういたしまして……?」
「ていうか、ロストロイ夫人って呼びにくいでしょう。オーレリアでいいですよ」
「あ、えっと、では、オーレリアさんって呼びますね」
「うん」
そうやって長閑にクラウス君と喋っていたら、
〈ぎゃああああ!! 妾が再び攫われてしまうぅぅ!! オーレリア! 妾を助けるのじゃぁぁぁ!!〉
〈ああ我が妹の美しさに またしても惑わされた下等生物が現れた!!〉
と、どこぞの兄妹が騒ぎ出した。
噴水の方へ視線を向けると、いつの間にか大量のカラスに狙われ、突きまわされているクリュスタルムが見えた。
ピカピカ光ってるもんなぁ、きみ。
「はわわわわわっ!? カラスさんっ、クリュスタルム様とアウリュム様に酷いことしちゃだめぇぇぇ!!!!」
クラウス君は慌てふためきながらカラスの群れに突入して行ったが、彼の髪もまたキラキラのプラチナブロンドなのでカラスの標的にされてしまった。
「いやぁぁぁ、カラスさん、やめてぇぇぇ!!」とクラウス君が泣いている。なんたる大惨事。
私は両手を構えた。
クラウス君は助かったという表情でこちらを見て、「オーレリアさん、結界魔術で守ってくれるんですか? それとも風魔術や植物魔術で追い払ってくれるんです?」と尋ねてくる。
「てへへ。私、爆破魔術しか出来なくてさぁ。頭に気を付けてね、クラウス君!」
「えええぇぇぇー--っ!?」
ドッカーーーンッ!!!!
無事にカラスは追い払われ、噴水が吹っ飛んで大量の水が噴き出し、空中には大きな虹が輝いた。
……やばっ。
▽
いやぁ、前世振りに庭師集団に怒られた怒られたすっごい怒られた。おっかなかった。
でもクラウス君が援護してくれて、トルスマン皇国の祭司達も助けてくれたから、噴水を壊したことの説教は長引かずに済んだ。
弁償費用はかかるけど、ギルからお小遣い前借りするから大丈夫。当分、無駄遣いしないようにしなくちゃね。
「ロストロイ夫人、湯加減はどうでしょうか?」
「極楽です~」
「かゆいところはありませんか?」
「ありません~」
というわけで噴水を壊したせいでずぶ濡れになった私、王城のお風呂で侍女たちに洗ってもらって極楽気分である。
ロストロイ家のお風呂も大きくて気持ちいいけれど、王城のお風呂はさらに広くてお金が掛かっているなぁ。
ここは王族用ではなく客人用らしいけれど、蛇口が獅子の顔をしていて黄金で出来ている。床も壁も天井もピカピカの大理石だ。
バスタブには香りのいい花びらやオイルが浮かび、手際の良い侍女たちのマッサージのお陰で体がポカポカしてきた。はぁぁ、生き返る。
「ロストロイ夫人のお召し物は今日中には乾きませんので、代わりのお召し物をご用意いたしました」
「わぁ、ありがとうございます」
「入浴を終えましたら、お肌の手入れに移りましょう」
「至れり尽くせりだね」
侍女に促されて、浴槽から立ち上がり、大理石の床の上におりる。
侍女の一人が大判のタオルを広げて、私の濡れた体を拭いてくれようとしたその時———。
「オーレリア! 貴女の現在地が客人用浴室になっているのですが、一体どういうことですかっ!?」
ギルがお風呂場のドアを開けやがった。
「ギル、急にドアを開けられると寒いんだけど」
「……」
「ギル、寒いよ?」
「…………」
嫁の素っ裸を見て、そのまま硬直するのはやめてほしい。
せっかくポカポカになった体が、流れ込んできたお風呂場の外の空気で冷えていく。
おおかた、私のピアスの位置を調べたら予想外の場所に居て、驚いて駆けつけてくれたのだろう。
だけどさ、お風呂場だと分かってるんだから、私が入浴中だってことは想像ついただろうに。焦り過ぎて思考が回らなかったのか、ギルよ?
ギルは私の裸、特にぷるんぷるんと揺れているおっぱいをじっと凝視したあと、「……たいへん、失礼いたしました」と呟き、静かにドアを閉めた。
そしてドアの向こうから、ギルの絶叫が聞こえてきた。
「う、うわぁぁぁぁぁ!? オーレリアの体、すごく綺麗だった!!!! ……いや、そうじゃないっ!! 僕はなんてことを!? 見てしまっていいのか!? いいのか!?」
なんか大混乱してるな、うちの三十二歳児。
「あ、あの、ロストロイ夫人……? 魔術伯爵様は大丈夫なのでしょうか……?」
浴室に居る侍女たちが、おろおろとドアの方を向いている。
私は首を横に振った。
「旦那のことは気にしないでください」
ギルは今、自分の速度でゆっくりと成長しているところですので。




