42:クリュスタルムの返還1
チルトン領から王都のロストロイ家へ、私達は無事に帰宅した。
執事のジョージや侍女のミミリーを始めとしたロストロイ家の皆にあたたかく迎えられ、数日は屋敷でのんびりと爆破したりしながら過ごした。
ギルは優しい笑顔で「新しい防音結界を張っておきましたよ。従来のものより性能が五割増しです」と言ってくれた。
私の夫、出来るなぁ。
「オーレリアのご家族にも無事に挨拶が出来ましたし、現世の貴女が生まれ育ったチルトン領も拝見することが出来ました。実に良い旅行だったと思います」
テラスに出してもらったテーブルとソファーで日向ぼっこをしている最中に、ギルがそう話しかけてきた。
ギルは先日私から貰った組紐を、魔術師用の杖にぐるぐると巻きつけているところだ。
魔術師用の杖は魔術の補佐的な道具で、これがあると大規模魔術や集中力が必要な繊細な魔術が行使しやすくなる。
私も杖は一応持っているけれど、たいてい使い捨てだ。爆破力を最大限引き上げてくれた結果として、杖もいっしょに吹っ飛んでしまうからだ。杖って儚いなぁ。
ギルは組紐の端を複雑な花の形に結ぶと、満足そうな表情をした。器用だな、きみ。
ちなみにクリュスタルムは、テーブルの上に置かれたクッションに鎮座し、太陽光を浴びて光り輝いている。
〈やはり日光浴は良いものじゃ 実に浄化されるのじゃ〉と、水晶玉からうっとりとした声が聞こえてきた。
「僕の休みもまだありますし。次はどこへ行きましょうか、オーレリア?」
「うーん、そうだな~。ロストロイ領は外せないよね。私はまだ行ったことがないけど、どんな感じの領地なの?」
「とても小さな領地ですよ。陛下はもっと広大な領地を押し付け……、いえ、僕に賜られようとしたのですが。魔術師団長としての職務が忙しいので、だいぶ減らしていただきました」
「ああ、土地が余ってるもんねぇ」
栄えている土地を貰えるのならばまだいいのだが、戦場になった土地はまだ復旧が終わっていない。
陛下はそういう土地こそ優秀な者に統治して欲しいと考え、臣下達に賜らせようとしていらっしゃるが。それまで暮らしていた人々もそのほとんどが戦禍に巻き込まれないようにと疎開し、すでに新しい土地に根を下ろしてしまったあとだ。残っている人々の心をまとめあげて統治し、復興させようとしても、戦前の状況に戻るにはまだまだ時間がかかるだろう。
チルトン領やその周辺は幸いにも戦場にはならなかったので、なんだかんだ平穏に暮らしていられた。
だからこそお父様が、余った領地を四つも押し付けられてしまったのだが。
「ロストロイ領は国内で唯一、『神の食べ物』と名高い黄金の林檎が生える地域です。領民達はその黄金の林檎の栽培で生計を立てている家が多いですね。
あと、珍しい場所に教会があります」
「教会?」
「領地には海から直接繋がっている大きな湖があるのですが、その中央に小さな島があり、教会が建てられているんです」
「船で教会に渡るの?」
「もちろん船で渡ることも出来るのですが、海に繋がっているので潮の満ち引きの影響を受けるんです。それゆえ、干潮時には湖の底が顔を出し、歩いて島に渡っていくことが出来るのですよ」
「へぇぇぇぇ~! おもしろそう! 領地に行ったら絶対に行きたい!」
「ええ。必ずご案内しますよ」
ギルとそんな話をして盛り上がっていると、執事のジョージが急ぎ足でテラスへやって来た。
「旦那様! オーレリア奥様!」
「そんなに急いでどうしたんだ?」
「ジョージ、急ぎすぎて汗をかいてるよ。何か飲む? テーブルの上にはお酒しかないけど」
とりあえすエールの小瓶を渡そうとしたが、「下戸ですので」とジョージに断られた。
下戸なんだ。知らなかった。ジョージにアルコールを勧めるのは今後止めた方がいいな、と頭の中のメモ帳に記入しておく。
「たった今、屋敷に国王陛下がいらっしゃいました!!」
「……先触れも無しにか?」
「『お忍びだからもてなしは結構だぜ!』とのことですっ!!」
「そういう問題じゃない、陛下……!!!!」
ギルが頭を抱えたが、来ちゃったものはどうしようもない。
陛下を待たせているという応接室へ、私達は向かうこうとにした。
▽
「クリュスタルムの返還のために、トルスマン皇国大神殿の大祭司達がやって来た?」
「おう。クソジジイどもが今、城に逗留してんだよ。俺、めっちゃダリィ」
お忍びということで平民服を着てきた陛下が、そう言ってソファーにだらりともたれ掛かった。
普通、王族や貴族の変装というものは、服装をどれだけ変えようとも本人の育ちの良さが滲み出て、まったく変装になっていない場合が多い。
だけど陛下の場合は本当に平民に見える。下町で親父の代から続く肉屋を営んで三十年、そろそろ倅に跡を継がせて引退しようか悩んでいるオジサンという雰囲気だ。
陛下のお忍びに合わせてやって来た護衛の方が、高貴に見えるレベルであった。
「つーわけで、ギル、オーレリア。明日クリュスタルムを連れて城に来い。大祭司達と対面だ」
「明日、この悪魔と即刻お別れと考えてよろしいのですか、陛下?」
「大祭司達はそのつもりらしいがな」
陛下は大祭司達の訪問日程を一つずつギルに伝えていく。
私はそれに耳を傾けつつ、膝の上のクリュスタルムに視線を落とした。
「ついにお別れみたいだね、クリュスタルム」
〈うむ 国への帰還は妾の長年の悲願じゃ ……だがオーレリアとギルとの別れと考えると ちと寂しいのじゃ……〉
そう言ったクリュスタルムの光が弱々しくなっていく。
百五十年を孤独に過ごしたあとで私達と出会い、馴染んでしまったものだから、別れが辛くなってしまったのかもしれない。
心を預けてしまった相手との別れは、いつだって寂しい。
それが死に別れではなくとも、喜びと希望に溢れたお別れだとしても、心のどこかに隙間風を感じてしまう。
「私もクリュスタルムに会えなくなるの、寂しいよ」
私がただ肯定すれば、クリュスタルムは〈うむ……〉と静かに頷いた。
その日のクリュスタルムはとても静かだった。