39:チルトン領の朔月花祭り7
パンとお肉とチーズと豆のペーストと茶色いソースで地層を表現したという『磨崖仏バーガー』は、一切野菜を入れないというとんでもない代物だったけれど美味しかった。
磨崖仏関係無しに、野菜嫌いの人達から高評価らしい。
ギルは『磨崖仏まんじゅう』が気に入ったみたいで、二つも食べていた。
そんなわけで領民から頂いた食料を食べ終わると、私達はようやく磨崖仏へ向かうことにした。
磨崖仏がある山間部へは、乗り合い馬車や普通の馬車、貸し出し用の馬などが用意されている。
馬車を借りてもいいのだが、磨崖仏は全長一キロにも及ぶ大作なので、馬車から降りたあとに歩いて観光するのはまぁまぁ大変だ。
馬は山間部に到着後もそのまま乗れるので、私達は馬を借りていくことにした。
私はバーベナの頃の癖でさっさと馬に乗ると、鞍の後方に下がり、ギルが前に乗れるように前方を開けた。
「ほら、ギル。前に乗っていいよ」
「オーレリア、僕をいくつだと思っているんですか? さすがにもう一人で馬に乗れます!」
「えぇっ」
昔のギルは乗馬が苦手だった。たぶん男爵家では習わなかったのが原因だろう。
戦時中だったのもあり、ギルが一人で乗馬しなければならない時もあったが、見ているこちらがハラハラするような乗り方だった。
そのため私が一緒に移動する時は、ギルを私の馬に乗せてあげていたのだが。
私が居ない間に上手になったのか。偉いなぁ、ギル。
「すごいじゃん、ギル。じゃあもう一頭、馬を借りようか」
「いえ。オーレリアが前に移動してください」
ギルは鐙に足を掛けると、器用に私の後ろへと乗り上げてきた。
「今日は僕が馬を走らせますので、オーレリアは安心して前に乗っていてください」
ギルはそう言って両腕を私の脇腹の横に通し、馬の手綱を握った。
とりあえず私はクリュスタルムが入った鞄の位置を確かめ、揺れで落とさないように注意する。
ギルが慣れたように馬に出発の合図を出すと、馬はスムーズに走り出した。
ギルが本当に危なげなく馬を操っている。
驚きと感動がごちゃまぜになり、私は何度も「ギル、すごい!」「ちゃんと安全に馬を操縦できてるよ!」「成長したねぇ」と、はしゃいだ声をあげてしまった。
馬を御すのに集中しているギルの側でうるさかったかな、と思ったが、彼は満更でもなさそうな声で「今の僕なら、貴女のことをどこへでも連れて行って差し上げられますよ」と答えた。
背中からギルの体温や息遣いが伝わってきて、とても安心する。
なんだかギルにもっとくっつきたくなって、背中をギルの胸板へと押し当てた。
「どうしたんですか、オーレリア? 疲れましたか?」
まだ馬に乗ってからそれほど時間が経っていないのに、ギルはそんな心配をしてくれた。
「ううん、疲れてないよ。ただ頼もしい私の旦那様に、引っ付きたくなっただけ」
私はそう答えた。
「ギルに馬に乗せて貰うのもいいね。背中にギルが居るせいか、後ろから抱き締めてもらえるみたいで、すごく安心する。すっごく幸せ」
「…………」
「あと、十代前半のギルしか知らなかったけれど、こんなに立派な男の人に成長したんだなぁって、ドキドキする」
「…………なんでそういうことを、馬に乗っている最中に言うんですか貴女はっ!?」
「え? 今思ったから、今言っただけなんだけど」
なんだか死にそうな声を出し始めたギルに驚いて、振り向こうとすれば。
「今は絶対に振り向かないでください……っ!!」
と、彼はさらに切羽詰まった声をあげた。
急に何があったんだ、ギルよ。
首を傾げようとして、不意に、手綱を握るギルの手が視界に入った。その男性らしい骨張った手の甲は、真っ赤になっている。
はっは~ん。
私の夫はなんとも可愛らしいことで。
▽
〈この延々続く巨大な像の群れを オーレリアが作ったというのか!? 見事な出来じゃのぉ 実に根気のいる作業だったじゃろう〉
「いや、指示された箇所を爆破魔術でドカーンってしただけだけど」
「オーレリアは爆破魔術しか使えませんが、それを並大抵の者では辿り着けない境地まで極めていますよね」
「気が付いたら爆破のプロになっていて……。あれ? これ、昔『チルトン領のおたより』のインタビューで答えたな」
私達は馬に乗ってゆっくりと道を歩きながら、磨崖仏を見上げた。
リドギア王国が信仰する神々の巨大な像や、聖書に登場するエピソードが盛り沢山に彫り込まれた全長一キロの崖は、制作者の一人である私の目から見ても見事な出来だ。
お父様が学者達に歴史偽造がバレたとおっしゃっていたけれど、学者達もよくこんな立派な磨崖仏を見た上で歴史の捏造に気が付いたなぁ。学者ってすごいんだなぁ。
他の観光客達も磨崖仏を見て、感心した様子で道を進んでいる。
私達のように馬に乗っている人も居れば、歩きの人達もいる。
いつの間にか人力車も導入したらしく、力自慢の若者達が働いていた。
ガイド役も練り歩いており、観光客に質問されると色々答えているようだ。
道の脇には、大通りほどではないけれど観光客向けの飲食店やお土産屋さんがチラホラあり、疲れたお客さんにお茶を出していた。
チルトン領有識者会議で町興しに頭を抱えていた日のことが、本当に遠い昔のように思える。
領地の繁盛っぷりを誇らしく思っていると、道の途中で懐かしい二人組に出会った。
「おや、オーレリア様。チルトン領へ里帰りなされていたのですね。おかえりなさい」
「オーレリアお嬢様……じゃなくて、今はオーレリア夫人だったな! お元気そうでなによりだ!」
「神父様! 地形学のおじいちゃん!」
かつて共に磨崖仏を作り上げた、神父様と地形学のおじいちゃんが居た。
ギルに二人のことを紹介してから、「磨崖仏の管理ですか?」と私は二人に尋ねた。
「いいえ。我々はこの先にある、朔月花の群生地へ向かう予定なのですよ」
「祭りの準備のために集まってるのさ。チルトン侯爵様やお坊っちゃま方もいらっしゃっているはずだぜ、オーレリア様」
そういえばお祭りの開催場所である朔月花の群生地は、ここから少し離れた場所にあるのだった。
私は馬に乗ったまま、ギルに振り返った。
「ねぇギル! 磨崖仏を見終わったら、私達も群生地へ行ってみない? まだ花は咲いていないけれど、お父様達もいらっしゃるし、景色の良い場所だよ」
「もちろん構いませんよ。オーレリアにとって懐かしい人達が集まっているのならばご挨拶がしたいですし、貴女の思い出の場所を僕も知りたいですから」
「ありがとう、ギル!」
「では、また後程」「先に儂らは行っているからな、オーレリア夫人!」と去っていく二人を見送り、私とギルとクリュスタルムは残りの磨崖仏を見ることにした。




