38:チルトン領の朔月花祭り6
というわけで、私とギルが大通りを歩けば、領民達に話しかけられ構われて、デートという雰囲気にはならなかった。
例えクリュスタルムが一緒に居なくても、『夫婦水入らずの観光』ではなかっただろう。
ギルは銀縁眼鏡の縁に指を当てながら、「こういうわけだったのですね……」と遠い眼差しをした。
「そういえば、バーベナが居た頃の魔術師団も、こんな感じでしたね。誰も彼もが貴女を信頼していて、気安く接し、貴女がいつも話題の中心にいました」
「私、なんでか舐められやすいタイプっぽいんだよねぇ」
「舐められるというのとは、少し違う気もしますけどね。だってオーレリアは爆破魔術という武器を持っていますから」
「じゃあなんで皆あんな感じに私に接するんだろう?」
「きっと誰もが貴女を好いているのでしょう」
大通りを進む度に、声をかけてきたり手を振ってくる領民達を見て、ギルは言った。
「オーレリアと一緒に居ると楽しいですから。次は一体どんなことをやらかしてしまうのだろうと、見ていてヒヤヒヤすることもありますけど。一緒に居て楽しくて、おかしくて、笑顔になってしまうような相手って、人生でそんなに多く出会えるものではないです」
「おお。そう言われると、私って結構すごい人みたいに感じるね」
「僕は貴女のことを凄い方だと思っていますよ、昔から」
ギルは私の手を取り、両手でぎゅっと握った。
「……妬けてしまいますね。貴女は昔から、僕だけの喜びでは居てくださいません。他の誰もが貴女と居ることを楽しいと感じ、貴女の傍を求めるのですから」
そう言って拗ねたように目を細めるギルが———めちゃくちゃ可愛かった。
正直、ギルが何をそんなに妬いているのかはよく分からない。
領民に好かれているからと言って、それ、恋愛的な意味じゃ全くないし。愉快なお嬢さん的意味合いだし。
バーベナの頃は普通に彼氏作ってたけど、現世では一人も作ってない上に、すでにギルと結婚している。焼きもちを焼く要素が一つもなくない? と思う。
こんな訳分かんないことで妬かれてたら、バーベナだったら絶対面倒くさがっていただろう。
でも、今の私はこんなギルを何故か許せてしまう。
私の旦那、可愛いなぁ、とニヤニヤしてしまう。
なんだろう、この気持ち。これが新婚というものだろうか?
胸の真ん中から込み上げてくる気持ちのせいで、足元がふわふわする。
私はギルの腕にぎゅっと抱きついた。
「妬く必要なんてまったくないぞ、ギル! 誰が私と一緒に居たがろうと、私の隣はギルにあげたから!」
私の一番近くにある特等席はきみのものだ、ギル。
そんな気持ちでギルを見上げれば、ギルは真っ赤な顔をして別の場所を見ていた。
「おい、ギル。愛しの嫁が良いこと言ったんだから、私とちゃんと目線を合わせなよ」
「……いえ、その……っ!」
何がそんなに気になるんだ、と思ってギルの視線を追えば、自分の腕と、その腕を挟む私の胸の谷間を見ていた。
「ギル、これは本来きみが見たり揉んだりしても何の問題のないものだから、そんなに過剰に反応しなくてもいいんだ」
「現時点では全く見たことも揉んだこともないので、そう仰っても無理ですね……」
眼鏡のレンズが若干曇ってしまったギルが、辛そうに言う。
私達の関係の進展を目下阻んでいるクリュスタルムが、斜めかけバッグの中から叫んだ。
〈こんな往来でイチャつくのはやめるのじゃ! 清純が減ってしまうのじゃ! そんなことよりも 妾はもっとこの町が見てみたいのじゃー!〉
クリュスタルムの言う通り、こんな往来で妙な雰囲気になっている場合ではないのは確かだ。
私は取り合えずギルの腕にしがみつくのを止めて、彼の手を取った。
ギルは残念な気持ちと安堵の気持ちが入り交じった、非常に複雑な表情を浮かべたが、静かに私の手を握り返す。
〈まずはあの青い屋根の店が見てみたいのじゃっ〉
「はいはい」
クリュスタルムがねだる方向へと、私達は足を進めることにした。
▽
私の右手には魚の串焼きが二本、左手に磨崖仏まんじゅう。ギルの右腕には磨崖仏バーガーの紙袋が抱えられ、左手には磨崖仏クレープを器用に二つも持っている。
クリュスタルムの望む方向へ散策していたら、領民達から「これ、オーレリア様が嫁いだあとに販売開始したやつ! 食べてみて!」「今はこれが旬だから持っていきなよ」「磨崖仏の形をした焼き印を押しただけで、まんじゅうの売り上げが上がったんですよ~」などと言われ、次々に食べ物を頂いてしまった。
「オーレリアは本当に領民に好かれていますね」
「磨崖仏の発案者だから、お裾分けしてくれたんだと思う」
大通りにはたくさんの観光客が行き交い、賑やかだ。磨崖仏と銘打たれたお土産品や食べ歩きグルメが、どんどん売れていっているようだ。
中には『あの国王陛下が絶賛したグルメの店!』という看板を掲げたお店も、十五軒ほど見かけた。
陛下、食べすぎじゃないですか?
活気に溢れたチルトン領を見るとホッとする。
私はもうこの領地から嫁いだ身だけれど、皆が生きて笑ってたくましく生きていてくれるのを、今でもちゃんと知ることが出来て嬉しい。
「このクレープ、早めに食べないとクリームが垂れそうですよ」
「確かあっちにある果汁水のお店の前に、テーブルやベンチがたくさんあったと思う」
〈休憩するのなら 妾をバッグから出してほしいのじゃ!〉
「喋る水晶玉が出てきたら、領民達の腰が抜けてしまわないだろうか? いや、皆メンタル強そうだからきっと大丈夫」
私の記憶の通り、果汁水のお店の前にはパラソル付きのテーブル席がたくさん設置されていた。観光客や地元のお客で賑わっている。
「では僕が飲み物を注文してきます」とギルが果汁水を買いに出掛け、私は空いているテーブル席を探すことにした。
「あー! オーレリア様!?」
「あれ、もしかしてメアリー? 大きくなったね」
かつて一ツ目羆を仕留めたときに、白い貝殻のイヤリングを落とした少女メアリーが、テーブル席に居た。
十四歳くらいに成長したメアリーは、すでに白い貝殻のイヤリングはしてはいなかったが、今は花の形の可愛らしいイヤリングをつけている。それを微笑ましい気持ちで眺める。
するとメアリーは、
「どうしたんですか、オーレリア様。そのとんでもないピアス」
と私の耳元を見て言った。
私のハートのピアスに関しては放っておいてくれ。ダサさに比例して、夫の愛が詰まっているのだ。
「メアリー達は何してるの?」
旦那と里帰り中だと説明し終わったあとで、私はメアリーに尋ねた。
メアリーが座るテーブル席には他に少女が三人居て、果汁水の入った木製カップが人数分と、たくさんの糸が散らばっていた。メアリー達は私と話している間もずっと熱心に手を動かし、糸を編んでいる。
「何って、もちろん組紐作りですよ。もうすぐ『朔月花祭り』ですからねっ」
「ああ、その組紐かぁ」
古来の若者達の出会いの機会であった『朔月花祭り』は、今では若者達の告白イベントに変化している。朔月花が咲く群生地で意中の男性から告白された場合に備えて、メアリー達は返事の代わりになる組紐を編んでいたのだ。
「ユージーンに告白されたらどうする?」
「あたしは絶対にエディに告白されてみせるわ! それでエディの瞳と同じこの水色の組紐を渡すのよ」
「雑貨屋に勤めてる娘も、エディ狙いだって聞いたよ? しかも編んでる組紐も水色だって」
「やだぁ、ライバルじゃん」
メアリー達は恋の悩みを口にしては、頭を抱えたり、慰め合ったりと忙しい。それでも決して組紐を編む手は止めなかった。
皆、なんともまぁ可愛らしいことだ。
斜めかけバッグの中のクリュスタルムも〈生娘の真心というわけじゃな! なんとも愛らしいのぉ〉と、うっとりとした声を上げている。
「え? 今、オーレリア様の鞄から声が聞こえてきた!?」
「あたしも聞こえたっ! 小さな女の子みたいな声!」
メアリー達が騒ぐので、クリュスタルムを取り出してみる。
クリュスタルムはうら若き乙女達を見上げ、
〈生娘であることは尊いが 妾の好みではないのじゃ〉
と、地獄みたいなことを言い出した。
「やだー、なにこれー、すっごく可愛い!! メアリー、こういう綺麗なもの、好き!」
「キラキラして、ちっちゃな女の子がお婆ちゃんみたいな喋り方してる! ウケル!」
「王都ってこういう水晶玉が流行りなんですか、オーレリア様!?」
「あたしもペットの代わりにこういうの欲しい~」
皆、スプーンが転がっても可笑しいお年頃のようで、クリュスタルムの暴言などなんのその。楽しげに笑っている。
「オーレリア様は作らないんですか、組紐」
「私が? もう既婚者なんだけど」
「もちろん旦那様にですよ! この時期に里帰りするなら、お祭りに参加するんでしょう?」
メアリーにそんなことを話し掛けられていると、果汁水店から飲み物を買ってきたギルがやって来た。
「席は見つかりましたか、オーレリア? この辺りのテーブルはすでに埋まっているようですが」
「ごめん、ギル。まだ見つけてない」
私はクリュスタルムを回収し、手が止まってしまったメアリー達に声を掛ける。
「じゃあ私、席を探さなきゃいけないから、またね。組紐作り頑張って」
「……あ、はい」
「……お気をつけて」
「……さようなら」
「……お元気で」
メアリー達は呆然とギルを見上げたまま、小さく手を振っていた。さっきまでのあの、十代女子パワーはどこに消えてしまったのかという静かさだった。
どうしたんだろう、メアリー達。
急に静かになって心配だな、と思ったが、私とギルが離れてから歓声が上がった。
「きゃぁぁぁぁ!! オーレリア様の旦那様見たっ!? すっごく格好良い!! 優しそう!!」
「チルトン侯爵様並みに素敵じゃない!?」
「目の前に現れただけでめちゃくちゃ緊張しちゃった!!」
「あんなカッコいい人、チルトン領に居ないよ~!!」
彼女達のかしましい声が聞こえてくる。
なるほど。それで静まり返ったのかと納得して、やはりメアリー達は可愛らしい乙女なのだなぁと、私は微笑ましい気持ちになった。