36:チルトン領の朔月花祭り4
昨夜は道中の疲れもあって早めに就寝したが、その分早くに目が覚めた。
ギルもどうやら同じだったようで、私がベッドから上体を起こしたタイミングで彼も起き上がる。
「おはようございます、オーレリア」
「おはよう、ギル。よく眠れた?」
「ええ。ここは王都と違い、夜間が静かでいいですね」
「虫の音や夜行性動物の鳴き声はするけどね」
「風情があって素敵ですよ」
ギルはフィールドワークや戦時中に鍛えられたので、どんな過酷な環境でも睡眠を取ることが出来る。
だがそれを差し引いても、チルトン領の静かな夜は眠りやすかったのだろう。久しぶりに熟睡したという顔をしていた。
夫の顔を両手で挟んでみる。
弟子だった頃のギルはもっとぷにぷにした頬っぺたをしていたような気がするけれど、今は肉が薄い。頬骨の形や滑らかな触り心地の鼻筋、唇、と一つ一つのパーツを確かめるように触れていく。まだまだ張りがある肌だなぁ。
「あ、の、……オーレリアばかり僕に触れるのは狡くないでしょうか……?」
ギルは照れを隠すように、拗ねた表情をしてみせた。
両頬をびろーんと引っ張ってみると、ギルの美貌が変な表情になる。ギルはどんな顔をしててもかわいく感じるので不思議だ。
「オーレリア!」
「わわっ」
ギルの顔で遊びすぎたせいか、私は起き上がったばかりのベッドに押し戻された。
気が付けばギルが私の頭の横に両手をつき、真上から私を見下ろしている。俗に言う、押し倒された状態だった。
すごい、あの奥手なギルが私を押し倒すなんて……!
いざという時は私がすべてリードするしかないと思っていた可愛い年上の夫が、着実に成長していることに私は感動した。
「……オーレリア」
耳に心地好いギルの低い声が、私の名前を呼び、そっと前髪を撫でてくる。
「貴女に、く、口付けを、しても、良いでしょうか……?」
サイドテーブルに鎮座するクリュスタルムは、昨日弟妹達とはしゃぎ過ぎたせいか、まだ静かだ。
水晶玉に休息が必要なのかは分からないが、彼女の意識は眠っているらしい。
邪魔するものの居ない、夫婦だけの早朝の時間だ。夫と初めての口付けを交わすくらい、してもいいだろう。
私は「うん」と頷いた。
「どーぞ」
私は目を瞑り、にやけそうになる唇をなんとか閉じて、ギルからの口付けを待つ。
ギルの大きな手のひらが私の頬に触れ、少しずつ少しずつ、ギルの顔が近づいてくる気配がする。
もうすぐギルと初チューしちゃうぞと思うと、嬉しくて、わくわくして、ついでにソワソワもしちゃって、薄らと目を開けて確認してしまう。
ちなみに以前ギルに口移しで解熱剤を飲ませたことは内緒のままであり、ノーカウントである。
「……オーレリア。恥ずかしいので、ちゃんと目を閉じていてください……」
「はーい」
真っ赤な顔をしたギルにそう言われてしまえば、我慢して目を閉じるしかない。
早く早く、と念じながら待機していると、ギルの吐息が肌に触れた。彼が発する熱が近づいてきて温かい。近づいてくるギルの香りにとても安心した気持ちになってくる。
「では、その、……口付けますね」
私は小さく頷いた。
自分の胸の内側を叩く鼓動の音に耳を傾けながら、その時がくるのを待っていると———……。
「「ハァァァァァァーッッッ!!!!」」
……庭から、お父様と長男が剣術の早朝練習をする声が聞こえてきた。
めちゃくちゃ気合いが入っていますね。
「え!? えっ!? 何事ですかっ!? まさか敵襲ですか!?」
「いや、違うよ……」
ギルはびっくりして跳ね起き、チューする雰囲気が完全に霧散してしまった。
私もベッドから起き上がり、庭に面した窓のカーテンを開けてみる。
元国軍少将であったお父様の鍛練場所であり、嫁入りする前は私の魔術練習場でもあった広い空き地に、今はお父様と並んで剣を振るう十一歳の長男の姿が見えた。
「そんな軟弱な剣では、オーレリア無きチルトン領を守り抜くことは出来ぬぞ!!」
「はい、お父様っ!! オーレリアお姉様の爆破が無くてもチルトン領を守り抜けるよう、精進いたします!!」
「その心意気、実にあっぱれだ!!」
ブォンブォォンと愛用の大剣を振るうお父様と、子供用の剣を一生懸命に振るう弟の大声が、早朝の庭で熱を帯びて響いている。
こんな健康的な光景を見てしまったら、新婚のイチャコラした空気など消えて当然だろう。
「よし。私もお父様達に混じって爆破してこようかな。やっぱり朝の爆破って爽やかで清々しいし」
「それ、領民から苦情が来ないんですか?」
「昔は来たけど、いつのまにか消えたね。そして最終的に、朝を知らせる鐘みたいな役割に変化したよ」
「教会の務めですよね、それ」
「神父様が、鐘より遠くまで響くから私がした方がいいって言ってくれたんだよね」
そんなことを言いながら私とギルはそれぞれ別の部屋に移り、朝の身支度を済ませた。
私がさっそくお父様達の鍛練に混ざろうと庭へ向かおうとすれば、「僕も参加します」とギルもついてくることになった。
そして朝食の時間まで、お父様達と合同訓練をさせてもらった。
私は念願のギルとの魔術対決が叶い、うっかり白熱しすぎてまたチルトン家の屋敷を吹っ飛ばしそうになった。
だけど、ギルが颯爽と結界魔術を展開してくれたので屋敷は無事だった。
屋敷を守り抜いたギルに、お父様は大喜びだ。
「流石はギル君だ! 私がオーレリアの夫にと見込んだだけはある男だ! これからもオーレリアを見捨てないでやってくれ!!」
お父様はギルの両肩をしっかりと掴み、感激した眼差しをギルに注ぐ。
そして長男もギルを憧れの瞳で見上げていた。
「ギルお義兄様はただの愛情が重過ぎて危険な人というだけではなかったのですね! さすがは現役魔術師団長様です! オーレリアお姉様の爆破に耐えうるのはギルお義兄様だけです!!」
私たちの早朝訓練を屋敷の中から見ていたらしい他の家族達や、使用人達が大喜びで庭へと出てくる。
「また屋根くらいは消し飛ぶかと思いましたが、ギル殿のお陰でチルトン家の平和は守られましたわ。ありがとうございます、ギル殿」
「ギルお義兄様、すごいですわ!」
「オーレリアお姉様にぴったりの男性はギルお義兄様だけですね!」
「なにか、キラキラ光るまくがおうちを守ってくださいました!」
「きれいでした! わたし、もう一回見たいです!」
みんな、昨日ギルを受け入れた時の百倍くらいの好意を向け始めたのだが。
屋敷を守ったことで好感度爆上げしちゃったの?
ギルはチルトン家一同からの突然の好意にあたふたしていたが、同時にとても嬉しいらしく、頬を火照らせている。
そんな夫と私の家族を見ていると、私の方まで嬉しくなってくる。
私とギルが将来作る家庭も、チルトン家のように明るい家庭だといいな。
笑顔や好意や許しや慈しみに満ちていて、楽しいことは二倍で、悲しいことは半分に分けることが出来るような家庭だといい。
ううん。いいな、ではなく、そんな家庭を作りたい。お父様やお母様を参考にしながら。
私は自然とそう思った。
それから私達は全員で食堂に移り、朝食を取った。
弟妹達から「クーちゃんはまだおねむなんですか?」と聞かれて、ようやく寝室にほったらかしにしたままのクリュスタルムのことを思い出す。
慌てて寝室に戻れば、クリュスタルムは、
〈妾を置き去りにするとは 呪い殺されたいのかオーレリアァァ!!〉
と、めちゃくちゃお怒りだった。
こんなところでまた闇魔術をぶっ放されると困るので、私はたくさん謝るはめになった。




