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23:ラジヴィウ公爵家の夜会②



 ナタリージェ様は背筋をぴんと伸ばし、ゆっくりと私の元へ歩いてくる。その一歩一歩がこれぞ令嬢の鑑という感じで、私は感心してしまった。貧乏田舎暮らし令嬢(しかも前世は生粋の庶民)という私には醸し出せない気品であった。


「どうぞ、オーレリア様」


 ナタリージェ様は両手それぞれにグラスを持っていた。グラスの底からプチプチと気泡が立ち上ぼっては弾ける。たぶんシャンパンだろう。


 これ、手を伸ばそうとしたら中身をドレスにぶっかけられたり、毒入りとかじゃないよね? と、私は一瞬疑ってしまう。

 なにせ向こうは長年ギルを慕っていたという格上の令嬢で、こっちはぽっと出の癖にギルの妻になった女だ。キャットファイトを吹っ掛けられる可能性があり過ぎる間柄である。


 そんな私の気持ちが分かったのだろう。ナタリージェ様は妖艶に微笑んだ。


「わたくしから渡される飲み物が不安なら、こうしましょうか」


 ナタリージェ様はそう言って、二つのグラスをシャッフルし、大理石の手摺の上に二つ並べた。

 もし毒入りだとしてももうどちらのグラスかは分からないし、ナタリージェ様の手から離れた以上、私のドレスにシャンパンを掛けることは出来ないというわけだ。


「お好きな方をお選びください」

「……では、こちらを」


 どちらのグラスも毒入りというパターンもあるので、私はグラスを選んだあと、ナタリージェ様がシャンパンを口にするまでは警戒して飲まなかった。

 そしてナタリージェ様が飲んだあとでようやくグラスに唇を寄せる。警戒しすぎてちょっと申し訳なかったな、と思いつつシャンパンを飲むと———。


「うっ……!」


 私は口許を押さえ、ナタリージェ様の方を慌てて見た。

 彼女は「うふふ」と桃色の唇で笑みを作る。


「ノンアルコールですわ」

「ひ、ひどすぎますっ、ナタリージェ様……っ!!!!」


 ダンスをたくさん踊ってカラカラの喉に、ノンアル!!

 お酒を美味しく飲める状態の体に、ノンアル!!

 ひどいぞひどいぞひどいぞ!! 魔術師団の皆からだって、こんなに意地悪な仕打ちを私は受けたことがないぞ……!!


 ショックで呆然としている私に、ナタリージェ様は話し始めた。


「わたくし、オーレリア様のことをたくさん調べたのですよ。貴女に、最高の意地悪をして差し上げようと思って」

「こんなにひどい苛めを受けたのは初めてです!」

「実に愉快だわ」


 ギル、早く美味しいお酒を持ってきて。ノンアル、つらい。


「わたくし、貴女に意地悪が出来て嬉しいわ。少しでも貴女を凹ませてやりたいと、ずっとずっと思っていたの。だって本当に、何故貴女がロストロイ閣下に選ばれて、わたくしが選んでいただけなかったのか、分からなくて、気が狂いそうだったの」


 美しくて気品があって家柄も良くて、何もかもを持っているような女性から、暗い影が溢れ出てくる。嫉妬や切望、悲痛な恋の叫びが、とろりとろりと夜の闇よりも濃く浮かび上がってくる。


「王城の廊下でロストロイ閣下を初めてお見かけしたとき、氷の花のように美しい方だと思いました。戦争の英雄。誰もがそう彼を呼び、称えていましたが、いつもその横顔に孤独が差し込んでいました。ロストロイ閣下をお慰めしたい、彼を笑わせて差し上げたい、温かな幸福を感じてほしい、わたくしがそのお手伝いをしたいと、ずっとずっとそう思ってきました」


 私はナタリージェ様から目が離せず、彼女が語る独りよがりで美しい片想いの話を、遮ることが出来なかった。


 なんでギルはバーベナを諦めて、この子と所帯を持たなかったのだろう。

 なんでこの子が選ばれなかったのだろう。私よりもずっとちゃんとギルに恋をしている。


「ロストロイ閣下に何度も縁談を断られました。それでもわたくしは諦められませんでした。どうしても、諦められませんでした。いつの日かきっと、わたくしの想いを分かってくださると信じ、彼に相応しい女性になろうと努力し続けました。

 ———それなのに、ロストロイ閣下はオーレリア様との縁談を受け入れてしまわれました」


 ナタリージェ様の紫紺色の瞳がまっすぐに私を射抜く。


「ロストロイ閣下がそれだけチルトン閣下に恩義を感じているだけなのだと、わたくしは思っていたかった。貴女などどうせわたくしより格下の女で、ロストロイ閣下から愛されることなどないのだと信じていたかった。信じていたかったのに……」


 彼女は泣かなかった。

 けれど優雅だった微笑みは崩れ、破れた恋の痛みに打ちひしがれる小さな女の子のような表情になった。


「あんなに幸せそうで、楽しそうで、心から笑っておられるロストロイ閣下を見てしまったら、独りよがりな恋の夢の中にも居られませんわ。

 どうしてわたくしではなく、貴女が愛されてしまったの……」


 私は、こんな恋はしたことがない。


 オーレリアになってからは貞操が大切な令嬢生活だったから、誰とも付き合わなかったし。バーベナの頃は笑うときの雰囲気が素敵だなとか、会話が楽しいなとか、お酒の趣味が合うなとか、爽やかな理由で人を好きになって、相手からも好意を返されたらお付き合いをした。

 でも結局恋人より魔術師団の皆の方が私の中では優先順位が高くて、気がついたときには自然消滅していた。

 それで胸の真ん中にぽっかりとした空虚を感じ、「恋人と別れました」というネタで皆を飲み会に誘う。おじいちゃん先輩に「仕方がない娘だのぉ」とお酒を注がれ、グラン前団長に「また次の華麗なる出会いがあるさ!!」と肩を叩かれ、ジェンキンズに「バーベナざまぁぁぁぁぁwww」と嘲笑われる。

 私にとって、恋とはそういうものだった。


 ……ああ、でも。ギルが入団してからは恋人が居なかったなぁ。

 ばーちゃんが死んだばかりで、戦争まで始まっちゃって。それどころじゃなかったんだ。

 そんなことを思い出す。


 ギルの妻で居る限り、私はこういった強い恋情をぶつけてくる女性に何度でも出会うのだろう。

 私が持ったことのない、一生の傷にも宝物にもなりえる片想いを胸に抱える強い女性に、何度でも向き合わなくちゃならないのだろう。


 だけど主張しなければならない。

 ギルを好きだと言う女性から逃げてはいけない。

 だって私は、ギルとのこの楽しい生活を守りたいから。


「ナタリージェ様が納得してくださらなくても、受け入れてくださらなくても。ギル・ロストロイの妻はこの私、オーレリア・バーベナです」


 貴女の恋の美しさにひるむ気持ちもあるけれど。

 それでも負けていられないのが、妻というものだ。


「私の夫に手を出さないでください。私の夫にもう恋をしないでください。ちゃんとその想いを諦めて、次の恋に進んでください」


 ナタリージェ様は少しだけ目を丸くすると、溜め息を吐いた。


「……そんなにハッキリと言うなんて。本当に、ひどい人ね」

「先にノンアルを飲ませるというひどいことをしたのは、ナタリージェ様です」


 ナタリージェ様は手摺に再びグラスを置くと、夜空に浮かぶ月を見上げてこう言った。


「でもわたくし、この恋の諦め方を知らないの。だって初めての恋だったのですもの」

「じゃあ方法を探してください」

「いやよ」


 そこからは本当に一瞬で。

 ナタリージェ様は手摺からぐっと上体を乗り出し、「オーレリア様なんて大嫌いですわ」と静かに言って、彼女は三階のバルコニーから身投げした。


「このっ、おばかっっっ!!!!」


 失恋で自殺とか、仲間が死んじゃって自爆するのと同じくらいにばかだぞ! ヴァルハラに行けなくなっちゃうぞ! 私は経験者だから知っている!! ナタリージェ様はバーベナと同レベルのばかだ!


 私もグラスを投げ捨てて、バルコニーから飛び降りた。

 頭から落ちていくナタリージェ様を空中で追いかけ、彼女の体を片手で抱き締める。

 そしてもう片方の手のひらを地上に向け、魔術式を構築、ドカンドカンドカンッ!! と爆破の威力で落下速度を減速させてゆく。


 爆破でスピードは落ちてきたけれど、地面に叩きつけられる瞬間はきっと痛いだろうな。

 そう思った瞬間、地面に私以外の誰かが構築した魔術式が青白く光り輝き始める。———ギルだ。


「バーベナっ!!!!」


 さっきまで私達が居たバルコニーから、ギルの叫び声が聞こえてくる。どうやら美味しいお酒を見つけてきたらしい。それなのに嫁が恋敵と心中してる場面に出くわすとか、びっくりだよね。


 私とナタリージェ様はギルの『クッション魔術』で柔らかくなった地面に、ぽよんっと着地した。


 腕の中で呆然とした表情をしているナタリージェ様に、私は声をかける。


「ばかばかばかばか!! 大丈夫ですか、ナタリージェおばか様!? 怪我とかはないと思いますけど!! ばか!!」

「…………」


 ギルが氷の魔術で階段を作り、こちらに降りてくるのが視界の端に映った。

 庭で警備をしていたらしいラジヴィウ家の使用人や、一階にいた侍女たちが「ナタリージェお嬢様!」と集まってくる。ラジヴィウ公爵や奥様の悲鳴混じりの声も聞こえてきて、どれだけこの子が愛されていたかがよく分かる。


「……オーレリア様にばかと言われなくても、わたくしがばかな女であることは知っているわ。わたくし自身のことですもの」


 ナタリージェ様はそう呟き、「うわぁぁぁぁ……っ!!」と泣き出した。


「好きだったのよ、どうしてわたくしじゃないの、どうして他の誰かが選ばれて、わたくしは選ばれないの、こんなに好きなのに、がんばったのに、わたくしじゃないの……!」


 誰かが思い詰め、泣き叫ぶほどギルを欲しがっても、私はごめんなさいと謝ったりはしない。出来ない。

 始まりは政略結婚で、ギルの妻だと口先では言っているけれど白い結婚続行中だ。世の中に私よりギルの妻に相応しい人は、きっといっぱいいるんだろう。

 でもそんなこと、どーだっていいと蹴散らしてやる。


 ギルとダンスを一曲踊る時間もあげたくない。

 グラス一杯分の時間もお喋りさせてあげたくない。

 恋の弔いなんてお一人でどうぞご勝手に。

 私とギルの時間は、この世界を遊び倒して暮らすにはとても短いのだから、邪魔しないであっちへお行き。

 ギルの妻はこの私だ。


「ギルのことは私が幸せにしてあげるから、ナタリージェ様はナタリージェ様で幸せになってください」

「うわぁぁぁん……!!」


 ナタリージェ様の中にある、ギルに対する恋心を爆破出来たらいいのになぁ。


「……バーベナ」


 いつの間にか私の後ろに立っていたギルが、私のお腹へと両腕を回して抱き締めてくる。私の肩に顎を乗せるギルに顔を向ければ、ギルは妻がこんなに頑張って恋敵を撃退しようとしているのに、ニヤけていた。君は妻にばかり闘わせる、ぐうたら旦那なのですか?


「僕を幸せにしてくださるのですか?」

「それが妻の役目だもの。そして旦那側も妻を幸せにするよう努力するように。相互努力が未来への鍵ですぞ」

「承りました、僕の妻」


 ギルは静かな視線をナタリージェ様に向けると、


「僕はバーベナに幸せにしてもらい、バーベナを幸せにすることに一生忙しいので、もう僕のことはご心配なさらないでください。ラジヴィウ嬢の幸せを遠くから願っております」


 と告げた。

 ナタリージェ様はさらに泣き出し、身を震わせる。


 ラジヴィウ公爵夫妻が中庭にやって来て、ナタリージェ様を強く抱き締める。

 公爵は「ナタリージェの愚行を止めてくださって、本当にありがとうございました」と私達に何度も頭を下げた。

 その日の夜会はそこで中止になった。





 後日ラジヴィウ家からお礼の品や謝罪文が届く。

 ナタリージェ様はまだ新しい縁談に乗り気ではないようだけれど、ご家族や周囲の人々の支えもあって、どん底から少し這い出してきたらしい。その調子で頑張って、ギルを過去にしておくれ。

 そしてもう一通、ギル宛にラジヴィウ遺跡調査許可書が送られてきたのだった。


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