20:ヴァルハラの繋がり
夫との楽しい初デートが終わり、ロストロイ家に帰宅する。
ギルは少し仕事があると言って執務室に行ったので、私は夢見る少女ドレスから普段の動きやすい家着に着替え、庭で日課の爆破をした。ハートのピアスは付けっぱなしにしているのだが、爆風で結構揺れるな、これ。
夜はお風呂に入ってからギルとのんびりお酒を飲む。
バーベナの頃、ギルは魔術師団の飲み会に参加することはほとんどなかったけれど(だって皆先にヴァルハラへ行ってしまったから)、どうしてか懐かしい気持ちになった。
魔術師団の皆が楽しそうにお酒を飲んでいて、料理の大皿がどんどん回されてきて、空の瓶やグラスが回収されて。笑って、愚痴って、泣いて、怒られて、ボブ先輩が脱ぎ出して、おひぃ先輩が顔を真っ赤にしながらそれを凝視していて、同期が「ねぇバーベナ、この間彼氏と別れたって言ってたよね? なんでもう他の男とデートしてるの? どうせそいつとも駄目になるんだから、付き合う前に別れなよ」とかなんなんだ君は喧嘩売ってるのかって感じで煩くて、おじいちゃん先輩が甘いお酒ばっかり飲んでいて、グラン前団長が……、ばーちゃんが……、皆が……居た……。
とても楽しかったあの頃に、ギルも居られたら良かったのに。この幸福な記憶を分かち合えたらいいのに。そう、しんみり思ってしまう。
でも、ギルと二人で飲む時間も楽しいな。
あの頃の、動物園の餌の時間みたいに食らいつき飲み明かした皆との時間とは全然違うけれど。
ギルの魔術談義を聞きながらお酒を飲んで、時折、殻付きピーナッツをぺかっと割って、赤茶色の薄皮を指先でパラパラと擦り落として食べる。不思議だ。今の方がよほど大人っぽいお酒の楽しみ方をしてるぞ……? 魔術師団、皆いい年の大人ばっかりだったぞ……?
「申し訳ありません、バーベナ。貴女の死後、貴女の自室に残されていた書物や論文はすべて僕が引き取りました。貴女が保管していた、リザ元魔術師団長の研究資料なども」
ギルはそんな話をし出した。
「それは別にいいけど。ばーちゃんの資料、役に立ってる?」
ばーちゃんの資料は難解だ。私も読んだけれど、解読出来ないところが多かった。頭の良い人は次の世代のためにもっと噛み砕いて文章を残してほしい。
「魔術式の解読だけでも難解で、本来なら七つの式が必要な魔術式を一つの式に省略させていたり、どの文献にも載っていない独自の魔術式が挿入されていたりして、遅々として進みません……」
「だよね。私も解読しきれなかったもの」
「さすがは歴代最強の魔術師団長と呼ばれた御方ですね」
「あ、そうだ。私、ばーちゃんに聞こうか?」
グラスに新たなお酒を注ぎながら、私はギルに尋ねる。
向かいのソファーで揃いのグラスを傾けていたギルが、不可解そうに私を見た。
「……なにを仰っているのですか、バーベナ?」
「たまに私の夢の中に、ばーちゃんが現れるんだよね。それでお喋りをしたり、御告げを受けたりすることがあって」
ばーちゃんがやって来るだけの、一方的かつ不定期な逢瀬だけれど。
ギルの顔がどんどん強張り、青ざめていく。
そんな夫の反応が不思議で、私はなんとなく首を傾ける。
「だから、私が夢の中でお願いすれば、ばーちゃんがヴァルハラから出てきてくれるかもしれないと思って……」
「やめてください!」
ギルの声に恐怖が滲んでいる。
あれ、ばーちゃんが夢に現れるって怪談話か? ギルってそんなに怖がりだったっけ?
飲みかけのグラスをテーブルに置いたギルは、怖いくらい真剣な表情をしていた。
「……バーベナ。今まで貴女にもう一度会えたことが嬉しくて、我ながらはしゃいでおりました。だから今の今まで考え付かなかったのですが……、貴女は何故生まれ変われたのですか?
亡くなった者の魂はみな、神の館ヴァルハラか、地界にあるとされる死者の国へ向かうと聖書には書かれています。バーベナの魂はどちらの世界にも行かず、今こうして地上に生まれ変わっているのは何故なのです?」
ギルにそう問いかけられて、『ああ私、なにも話していなかった』と思い当たった。私の魂の、異端な延長戦を。
「バーベナとして死んだあと、ヴァルハラから入場拒否されちゃったんだよね……」
恥じ入る気持ちで言葉にする。
自爆したのがアカンかった、ヴァルハラではなく死者の国に行くはずだった、そんな寂しい世界に行きたくなかった、ばーちゃんや魔術師団の皆が神様に嘆願してくれて、延長戦に入った。ちゃんと最後まで正しく生き抜くことが現世の課題だと。
全部きっちり伝えたら、ギルは眉間にシワを寄せ、怖い表情になった。
「……つまり貴女の魂は、ヴァルハラに繋がっているのですね」
「ヴァルハラに繋がっている?」
「貴女は本来、死者の国に向かうはずだった。それをねじ曲げて生まれ変わったせいで、普通の人より死後の世界に近しい存在なのかもしれません。だからその繋がりをたどって、バーベナのおばあ様は貴女に会いに来ることが出来るのかもしれません」
「そんなふうに考えたことはなかったなぁ。ギルの考えすぎじゃない?」
「もちろん仮説です。僕は教会の人間ではないので、死後のことは一般的なことまでしか知りませんから。
ですが、バーベナ。絶対にご自分からヴァルハラの繋がりを辿ろうとはしないでください。いっそ完全に断ち切ることが出来れば一番良いのですが……」
夜中の嵐みたいに暗くて希望のない色が、ギルの瞳に浮かんでいる。怯えきった子供のようだ。
テーブルの上で微かに震えているギルの拳を、私はぎゅっと両手で包んだ。かわいそうに。ギルは私の死がすっかりトラウマになっていて、私以上に私の死を怯えている。
「わかった。私からはばーちゃんを呼んだりしない。安心して」
でもヴァルハラの繋がりを断つのは嫌だなぁ、と。心の隅っこで思ったことを、私は口にしなかった。
▽
その後、寝る前にベッドのことで一悶着があった。
「本当に同じベッドで眠るのですか!?」
「すでに昨日も寝たじゃん」
「昨夜は貴女に気絶させられた上に発熱もしていたから、一緒に寝たことに気付いたのは朝だったんです!!」
「そんなに嫌なら、ギルはソファーか床か他の部屋で眠ったら? 私は大きいベッドでゴロゴロしたいし」
私は絶対ソファーでも床でも他の部屋の小さいベッドなんかでも寝ねぇ。
人間、一度睡眠のグレードが上がると下げたくなくなるのですよ。この寝心地最高なキングサイズのベッドは奪わせない!! という強い我が儘を主張する。
「本当になんでバーベナは僕と一緒に寝るのに、そんなに普通なんですか!?」
「フィールドワーク中だって戦時中だって、ギルと一緒に寝たじゃん」
「あれは十三歳から十六歳の頃だったでしょう!? 今の僕はもう大人の男なんですよ!!」
「よく考えるんだ、ギル。きみはバーベナに貞操を捧げ続けた結果、一度も女性を知らない清純な人生を歩んできた。つまり私が隣でぐぅすか眠っていても、今まで通り君はとても清らかだ。人生になんの変化もない」
「聖人になりたいわけじゃないんですよ、僕は……!!」
面倒なので先にベッドに入って横になったら、結局ギルもベッドに入って来た。
しかしギルはなかなか眠らず何度も寝返りを打ち、私はその度に眠りを妨げられてしまう。
仕方がないので私はギルに腕枕をしてやり、よく弟妹に歌ってあげた子守唄を歌い、ギルの胸の辺りをポンポンと優しく叩いた。
こんなことで三十二歳児が眠るのかな、と疑問を抱いたが、私の体温が移ってあたたかくなったのか、ギルはちゃんと寝た。清純な夫で良かった。




