2:愛しき人の墓前にて(ギル視点)
僕の愛。僕の光。僕の師匠———バーベナ魔術師団長に、この虚しい戦争の勝利を捧げたい。
きっと貴女は「え。どうせくれるならお酒がいいんだけどな~」と、いつものようにお気楽に笑うのだろう。
▽
僕がバーベナに出会ったのは、魔術師団に入団した十三歳の頃で、彼女はすでに二十二歳の大人の女性だった。
当時の僕は世界のすべてが敵に見えていた。
自暴自棄な生活をしていた母が自殺し、男爵だという父が僕を迎えに来たのは当時六歳。
そこから始まった男爵家での暮らしは、義母と異母兄弟達に容赦なくいじめられる毎日だった。実母との生活もまともではなかったが、居ないものとして扱われるだけで命の危険を感じたことはなかったから、僕はひどく驚いた。
早くこんな家を出なければ。そう決意した僕にあったのは、魔力だった。
この世界で魔力持ちの人間は少ないが、その能力を開花させた魔術師はさらに少ない。
魔術師も様々で、独学で成功し、市民向けに魔術の仕事をしている者もいれば、魔道具を作って販売している者もいる。
けれど一番稼げるのは、リドギア王国国家魔術師団に入団することだ。入団試験はかなり難しいが、合格すれば生涯衣食住の心配をすることはない。魔術の研究費用も潤沢に出るそうだ。
しかも入団試験には年齢制限を設けていないので、合格する自信さえあればいつでも受けられる(そのため、高齢になってもまだ魔術師団の入団試験を受ける者も多いらしいが)。
この家から脱出するためなら、困難だって突破してやる。
僕は義母や異母兄弟に隠れて書庫の魔術書を読み漁り、独学で魔術の訓練をした。
そして僕が十三歳の年に行われた入団試験を受けて、無事に合格し、あの忌まわしい男爵家から逃げおおせたのだ。
「君の教育係のバーベナです。得意な魔術は爆破系。というか、他の魔術を行使しようとしても全部爆破系に変換してしまう、もはや神様から選ばれた発破技師が私です。そういうわけで、ギルくん、どうぞよろしく」
焦げ茶色の短い髪と、アッシュグレーの大きな瞳が印象的なその人は、ハキハキとした口調でそう自己紹介をした。
魔術師団の入団試験を受ける人間は、たいていどこかの魔術師と師弟関係を結んで魔術を学んでいる。僕のような独学の者は非常に少ない。
だからバーベナは、僕にとって初めて師匠と呼べる人だった。
バーベナは色々なことを僕に教え、与えてくれた。
「はい、ギルくん。これが氷魔術に関する最新の論文。まぁ、私が実行したらやっぱり爆破が起こったけど」
「ギル、西の古代遺跡から謎の魔術式発見したってー! おひぃ先輩達と一緒にフィールドワークに行くぞー!」
「ギル~、グラン団長が本日の業務中断して、新人達の魔術試合を行うってさ。ギルも出場決定したから今すぐ競技場に行っといで。
え? 私はこれから試合後のバーベキュー大会に添えるキャンプファイヤーを設営してきますぜ! ちなみに優勝者にはサーロインステーキが、どどーんと1kg贈呈されるから頑張っておいで!」
「……ギル、あのさぁ、ごめんね? さっき外で爆破研究してたら、ギルの実家のお母さんとご兄弟? が何故か屋外研究スペースに無断侵入しててね? 危険だからあそこは関係者以外立ち入り禁止なんだけどなぁ。
『ギル! ここに居るのはわかっているんだぞ! 育ててやった恩を忘れて、仕送りもしないなんて生意気だ!』とか騒いでたんだけど、うっかり私の魔術が当たっちゃってさぁ……。
その時私が使用していた魔術が『毛という毛を根絶させる爆破』で。もう、本当にごめん、ご家族皆ハゲにしちゃった……。なんなら眉毛と睫毛もない……」
バーベナと一緒にいると、本当に楽しかった。
彼女は少し話しただけでその来歴が想像つくほどに、他者を愛し他者から構い倒されるひとだった。僕とは正反対で、血筋とか家柄とかではなく、ちゃんとした大人達に愛されて育てられたのだろうな、と僕は思った。
バーベナの言動に最初は戸惑いもあった僕だが、こちらの戸惑いなど無視して距離をどんどん詰めてくる彼女に、いつしか僕の警戒心は溶けていた。バーベナの前でなら、いつのまにか腹を抱えて笑えるようになっていた。
特に、あの大嫌いな義母と異母兄弟たちの一件では酸欠するほどだった。あいつらが生涯ハゲと共存して生きていくのかと思えば笑いが止まらず、胸のすく思いがする。
さらにバーベナが、
「ご家族に幾らなら示談に応じてくれるか話し合いたかったんだけど、『もう二度と、こんな野蛮な組織に関わるものか!』って走り去っちゃって。ギルからも示談金を受け取ってくれるよう、ご家族を説得してくれませんかね……? このままだと魔術師団に風評被害が……」
などと途方に暮れた顔をするので、脇腹まで痛くなった。
誰かと一緒にいて苦痛じゃないということだけでも凄いのに、楽しいと思えるなんて。奇跡じゃないだろうか。貴女は、僕の〝楽しい〟だ。
僕はすっかりバーベナに懐いてしまっていた。
▽
けれど、楽しい時間は、どんどん減っていってしまった。
隣国との戦争が始まり、普段は魔物退治や魔術研究ばかりしていた魔術師団が、対人戦へと投入された。
グラン団長を始めとした上層部の人間たちが次々戦死する度に、バーベナは幼子のように泣いた。その悲痛な泣き声はいつまでも僕の耳の奥に響き、僕の心に爪を立てる。
貴女の涙を見る度に、僕は己の弱さを呪った。
どれだけ早熟だと褒められても、貴女の身も、立場も、命も、心さえも、戦場から守って差し上げることが出来ない。貴女は僕よりずっと年上で、大人で、強くて、優しくて、そして脆かった。
いつも能天気で大雑把で豪快な貴女は、戦争なんかの役には立たない。
貴女の尊い爆破魔術は鉱山やダム作りに使うべきだったし、キャンプファイヤーの火起こしやお祭りの打ち上げ花火に使われるべきだった。
それなのに貴女は、亡くなった仲間達の意思を引き継ぎ、リドギア王国の未来を願って自分の魔術を殺戮のために使い続けた。
そして最後は自身にかけた自爆魔術で、敵国の魔術師の半数以上を道連れにして逝ってしまった。
皮肉なことにそのお陰で、我々リドギア王国は勝機を掴んでしまい、バーベナ魔術師団長の名前は歴史に深く刻み込まれる結果となった。
……話を聞いてほしいと、僕は言ったじゃないですか、バーベナ。
貴女を愛している、と。
一人の女性として求めている、と。
どうか僕を頼ってください、と。
戦争が終わったら、僕と結婚してほしい、と。
僕はなにひとつ伝えることが出来ないまま、貴女の遺体のない墓の前に立って、ただ空虚な戦争の勝利を貴女に報告することしか出来ない。
バーベナ。
貴女は今、ヴァルハラで大好きな魔術師団の皆さんと、笑っているのでしょうか……?




