19:デート②
それぞれの買い物が終わり、本屋を出る。
ギルは紙袋に包まれて表紙が見えなくなった本を、何故か私の視線から隠すようにして持っているが、私は出来る妻なので何も突っ込まない。
ロストロイ家の馬車の椅子には細工がしてあり、中に荷物を収納出来るようになっている。馬車に乗り込むと、ギルはそこに即行で本を隠した。
「次はバーベナのお酒を買いに行きましょう」
「はい! 行きます!」
生暖かい眼差しで夫の行動を見守っていた私だったが、ギルのその言葉に一気に覚醒する。
嫁に来てから毎日夕食にお酒が出てくるので、すごくすごく幸せなのだ。
私が飲兵衛であることに早々に気付いたジョージが色々とお酒を取り寄せ始めてくれて、とてもとても有り難い。だが、自分でお酒を選ぶのも好きである。
馬車は貴族向けのお店から、商人が買い付けを行う問屋街へと移動する。
問屋街では大量の荷物を運ぶための荷馬車が道を行き交い、店の外にまで並んだ商品の山の前で話し合っている男性達の姿などが見える。
まだまだ人手不足物不足と言われる世の中だが、こうして懸命に商いをしている人の姿を見ると嬉しくなる。
問屋街の中程にある、大きな木造の倉庫に到着した。ここがお酒の卸し問屋らしい。
ギルが店の入り口にいる店員に案内を頼み、薄暗い店内へ入ると。
———王国各地の酒蔵から運び込まれた酒樽が、所狭しと並んでいた。
「ギ、ギルぅ……!」
ヴァルハラの蜂蜜酒の貯蔵庫ってこんな感じじゃないの、ってくらいの楽園が目の前に広がっている。
あまりの感動にギルの腕にしがみつけば、ギルは頼れる夫の風格を醸し出して微笑んだ。
「ワインでもエールでもブランデーでも、バーベナの好みのお酒を選んでください。樽ごと買いましょう」
「ギル大好き!! 愛してる!! 私の旦那様、最高に格好良い!! 太っ腹!!」
「僕も貴女を愛しています、バーベナ!! だからもっと言ってくださいっ!!!!」
私は店員さんに片っ端から試飲をさせてもらい、ギルに酒樽をいっぱい買ってもらった。なんて幸せな一日なんだろう!
▽
バーベナの銅像がある広場へ向かい、その近くの老舗レストランで遅めのランチを取ることにした。
時刻はすでに十四時を過ぎているので、「この時間に昼食だから、夕食は軽めにしたほうがいいかな?」「では夜はつまみを色々作らせて、先程購入したお酒で夫婦水入らず飲みましょうか」「それ、最高」とギルと話ながら、ウェイティングルームのソファーに並んで座っていると。
「おや。これはこれは、ロストロイ魔術伯爵ではありませんか」
ウェイティングルームの入り口に一人の男性が通りかかり、ギルの名を呼んだ。
私のお父様と同年代くらいのその男性は、金髪をきっちりと撫でつけ、まったく隙のない衣装に身を包んでいる。紫紺の瞳は宝石のように綺麗だったけれど、その人の視線がギルの隣に腰掛ける私に気付いた途端、驚きと苛立ちが浮かんだのが見えた。
ギルがソファーから立ち上がる素振りを見せたので、私も一緒に立ち上がる。
「お久し振りです、ラジヴィウ公爵閣下」
へぇ、この方がラジヴィウ公爵か。
ラジヴィウ公爵といえば数年前に古代遺跡が発見されて以来、発掘作業や観光で話題になっている領地である。それを参考にチルトン領に磨崖仏を作ることになったから、よく覚えている。
あと、ラジヴィウ公爵夫人の初恋の人がうちのお父様で、公爵がずっとお父様を目の敵にしているという、しょーもない話もあったな。
「私の妻が一緒に居るので紹介いたします。妻のオーレリア・バーベナ・ロストロイです」
「初めまして、ラジヴィウ公爵閣下。夫がいつもお世話になっております」
私が静かに淑女の礼をすれば、ラジヴィウ公爵よりもギルの方が驚いていた。これでもマナーのレッスンは受けたんだよ……。
「……お父君のオズウェル・チルトンによく似ていらっしゃいますね、オーレリア夫人よ。他人の恋路に立ちはだかるところなど、特に」
なんだ急に、このおじさん。途中で宇宙と交信し出したのかというくらい、話の内容が訳分からんぞ。
「ラジヴィウ公爵閣下。ご令嬢との話はすでに何度もお断りを入れていたはずです。私の妻に文句を言うのはやめていただきたい」
「文句などと。冗談のつもりで言ったのですよ、勿論」
「ふふ」とおじさんが薄く笑う。
ギルは故意に無表情になり、おじさんに尋ねた。
「申請の件はどうなりましたか? ラジヴィウ公爵家に再三書状を送っているはずですが」
「おや、すまないね。なにかと忙しく、急を要するものではない書状はついつい後回しにしてしまっているようだ。後日、書状を見つけ次第拝見しましょう」
「出来る限り早くお願いします」
「ええ、ええ、もちろん」
たぶん仕事関係の話をする二人の様子を観察している間に、レストランの従業員が私とギルをテーブルに案内するために部屋へやって来た。
微妙な空気のままだったが、ギルと私はラジヴィウ公爵に挨拶をして、従業員のあとへ付いていこうと足を進める。
「ああ、ロストロイ魔術伯爵よ」
ラジヴィウ公爵が私達を少しだけ引き留めた。
「今度我が屋敷で開く夜会の招待状を送ります。ぜひ、いらしてください」
「……お招き頂き光栄です」
ギルの低い声の底に苛立ちが滲んでいた。
大海老とレモンのパスタに、鴨の香草焼き、茸のシチュー、セサミパン。
たくさん酒樽を購入したあとだというのに、メニューに並んでいた白ワインの銘柄の文字から漂う悪魔的魅力に屈して頼んでしまった。
「で、さっきのおじさん、なに?」
案内されたテーブルは個室で、窓からレストランの小さな中庭が見える。黄色いミニバラの鉢植えに数匹の蜜蜂が飛び交っていた。
「……ラジヴィウ遺跡の調査をするためにあの御方の許可が必要なのですが、申請書に目を通してくださらないのです」
「え、ギル嫌われてるの? かわいそー」
まぁ私のことも嫌いみたいだったけど、あのおじさん。私がお父様の娘だからか?
「いえ」
歯切れ悪くギルが言う。
それから私を見て少し躊躇ったあと、諦めたように口を開いた。
「本当はこんな話、バーベナにしたくはなかったのですが。……ラジヴィウ家の長女が以前から僕に対してひどく好意的だったのです。
ラジヴィウ公爵閣下もそれに乗り気だったようで、『我が娘と婚約するのなら、遺跡の調査の許可も早く出せるかもしれませんね』と、以前から公私混同されておりまして」
「へぇ~、めんどくさいね~」
「ですが僕はもう身も心もバーベナの夫です。ラジヴィウ公爵閣下も諦めて申請書にサインをしてくださるでしょう」
だからあのおじさん、父子共々他人の恋路が~とか言っていたのか。ただの逆恨みかぁ。
私は白ワインを手酌で飲みながら、ふと気付く。
「でもギル、私がバーベナだって知らなくても結婚出来たんだから、そのご令嬢と結婚することも出来たんじゃない?」
「貴女はお義父様……恩義あるオズウェル侯爵閣下のご息女だから、まだ受け入れられたのです」
「ああ、お父様から領地経営を教わったんだっけ」
「それにお義父様が貴女のことを『君にしつこく愛をねだるような真似はせんだろう』と仰っていたのも、大きかったのだと思います。
今はむしろ、しつこく愛をねだって欲しいのですが」
「このパスタ美味しいよ、ギル」
レンズ越しにチラチラ見てくる夫に、とりあえずパスタを勧めておく。
でもいいなぁ、ラジヴィウ遺跡。私も趣味で調査してみたい。
どんな古代魔術の痕跡があるのか考えるだけでワクワクする。
「バーベナ。貴女をこんな下らないことに巻き込みたくありません。ラジヴィウ公爵家の夜会は断りましょう」
「ただでさえ社交が死んでるロストロイ家なのに、断ったら駄目でしょうが」
「ですが、」
「今の私はロストロイ夫人なの。ギルの妻としてやるべきことはちゃんとやるよ」
「バーベナ……」
ギルの顔が分かりやすく感激を表している。夫のこういう所はかわいいと思う。
「ちなみにバーベナの好みの男性とは、どのような人なのですか?」とギルから聞かれたので、私は「お父様」と答えておいた。
前世現世合わせてあんなに私を理解し、受け止めてくれる包容力のある男性を他に知らない。夜這いに全敗しようとお父様の隣を手に入れたお母様は、大正解だったと思う。
ギルは「お義父様ですか……」と両手で頭を抱えた。あの包容力は真似出来ないもんなぁ。