13:王城にて、義父(ギル視点)
何故僕は新婚だというのに、これほどの仕事の予定を詰め込んでしまったのだろう。
リドギア王国の貴族は、結婚式が終わればそのまま長い休暇を取り、新婚旅行に行く者が多い。蜜月期間というものだ。
それなのに僕はこうして結婚式の翌日も魔術師団の研究室で仕事に励み、面会予定のために王城へ訪れ、心身ボロボロになっている。
馬鹿なのか? 何故僕は長期休暇を申請しなかったんだ? 今すぐ過去に戻って自分を殴り飛ばしたい。
そんなふうに過去の自分を恨んでも、どうすることも出来ないのは分かっている。
長期休暇を取らなかったのは、自分の判断だ。
バーベナ以外の人と結婚するのが嫌だった。
オズウェル閣下の顔を立てて籍は入れるし、屋敷に住まわせてやるから、あとは勝手にしてくれと思っていた。
多額の支度金を渡したのも、『のちの結婚生活で文句を言うな』という打算が込められていた。
すべて僕が悪いことは分かっている。もう、嫌というほど分かっている。
だが、いったい誰がバーベナの生まれ変わりが嫁に来てくれるなどと予想出来る?
ヴェール越しに見えたオーレリア・バーベナ・チルトンの見た目は、父親であるオズウェル閣下によく似た美人だった。特にそのオリーブグリーンの髪は完全に父親譲りだと思った。
彼女は結婚式の最中も、大した緊張は見せなかった。十六歳という若さで、事前に一度も会わなかった男の嫁になるというのに、ひどく落ち着いていた。
僕はそれを『父親譲りの豪胆さか』と思い、少しだけ感心していた。
今にして思えば、ただ単にバーベナだっただけである。
バーベナが僕との結婚式に緊張するはずがないのだ。
何故ならばバーベナだから。
誓いの口付けをする振りをするために彼女のヴェールを上げたとき、そのアッシュグレーの瞳が強く僕を射抜いた。
この瞳の色も父親譲りか、と思ったが、その目力の強さはオズウェル閣下よりも生前のバーベナにそっくりで、僕はひどく驚いた。
彼女の瞳の中にバーベナの面影を見つけてしまいそうで。初夜の彼女に「貴女を愛するつもりはない」とハッキリ宣言して予防線を張らないといけないと思ったくらい、僕の心は狼狽えていた。
まぁ、ただ単純に彼女こそがバーベナだっただけである……。ああぁぁぁ……。
最初から彼女がバーベナだと分かっていれば半年は長期休暇をもぎ取ったし、王都からチルトン領まで会いに行ったのに。
バーベナの着るウェディングドレス選びだって僕も参加したかったし、彼女が生まれた場所をじっくり見たかった。僕の知らない、新しいバーベナをたくさん教えて欲しかった。
結婚式だって、もっとちゃんとした心構えで臨みたかった。バーベナに僕への恋心が無いのは知っているが、僕の妻になったのだから、誓いの口付けだってしても許されたはずなのに。……初夜だって。
……ダメージが大き過ぎて、もう考えたくない。辛い。
いったいどうすれば、この一連の失態を挽回することが出来るのだろうか。
そんなことばかり考えながら王城の回廊を歩き、魔術師団の建物へ戻ろうと足を進めていると。
「……ギル君?」
目の前の廊下から、バーベナの現世の父であるオズウェル閣下がやって来た。それも訝しげな表情をして。
……それもそうだろう。昨日結婚したばかりの妻を放って職場にいる僕を見つけてしまったのだから。父親として思うところがあるに決まっている。
「おはようございます、お義父様……!!」
いつも以上に深く深く頭を下げ、お義父様に挨拶をする。
本当に至らぬ義息ですが、どうか末永くよろしくお願い致します。見捨てないでください。
「……ああ。おはよう」
お義父様は『この男、何故急に私をお義父様などと呼ぶようになったのだ……? いや、確かに娘の夫になったのだが、突然素直すぎないか?』と困惑の色を見せたが、返事はしてくださった。
「お義父様が王城にいらっしゃるのは珍しいですね」
僕は卑怯にも、痛い所を質問される前にこちらから別の質問を投げ掛けてしまう。
お義父様は手元に持っていた書類にチラリと視線を落とし、
「学者達が我が領地の磨崖仏が製作された年代が、どう調べてもごく最近のものであることに気付きおってな。国王陛下に呼び出され、オーレリアが制作者であることを白状させられたのだ」
と言った。
ちょっと待ってください。色々と情報が追い付きません。
「だが『むしろ三ヶ月で製作出来たってすごくねぇ? 俺もそれ見に行きてぇ』と陛下が仰り、陛下の寛大なお心で、虚偽申請に関しては反省文の提出で済むことになった」
バーベナが領地でどのように暮らしていたか垣間見ることの出来る話題であった。
「それで、新婚のギル君がなぜ城におるのだ?」
誤魔化されてはくださらなかったお義父様からの質問に、僕はなんとか聞こえの良いように答える。
「急ぎの仕事が終わり次第、すぐに妻のもとに帰る予定です」
一週間分の仕事をどうにか早めに終わらせたい。そしてバーベナのもとに帰りたい。これは本心だ。
お義父様はバーベナと同じアッシュグレーの瞳で、僕をジロジロと観察したが、諦めたように溜め息を吐いた。
「出来るだけ早く、オーレリアのもとへ帰ってやってくれ」
「はい、お義父様」
「……ギル君」
お義父様は周囲を見回し、人が居ないことを確かめてから、低く静かな声でこう言った。
「私は、君の屋敷でならオーレリアも問題なく、……いや問題少なく、結婚生活を送れるのではないかと勝手に期待してしまった。
だが、もし君達の結婚が上手くいかず、二年経っても子が生まれなかった場合は、君とオーレリアを離縁させてやろう。その頃にはラジヴィウ家の娘も君を諦め、他所に嫁に行っているだろうしな」
「なっ……」
二年子供が出来なかったら、バーベナと離縁? 嘘だろう? あの人が生まれ変わって僕のもとにやって来てくれた奇跡が、たったの二年で終わってしまうのか?
……早急にバーベナからお許しを頂き、白い結婚を終わらせてもらわないと離縁させられてしまう……!!
「だから、あまりオーレリアを邪険にしないでやってくれ。頼む」
お義父様が娘の幸福だけを願い、父親らしく僕に頭を下げたのが視界に映ったが、『このままではバーベナと離縁させられる』という恐怖で真っ白になっている僕には、反応が出来なかった。
気付けばお義父様はすでに立ち去った後で、僕も急いで魔術師団の建物へ移動する。
いつかバーベナに許されればいい、などと悠長なことは言っていられない。タイムリミットは二年もないのだ。
このままではいつまで経っても男として見てもらえず、それどころか彼女の昨夜の宣言通り『一生子供扱い』されてしまうかもしれない。
彼女が生きて僕の傍に居てくれるのなら、それでもいいか、と少しでも考えていた自分を叩きたい。
別れたくない。離れたくない。
もう二度と、バーベナと生きる未来を失ってたまるものか。
まずは僕とバーベナの家に帰るために———、仕事を終わらせなくては。