105:大規模結界魔道具
気が付けば冬も終わりに近づき、また春が訪れようとしていた。
私とギルが去年結婚したのは、チルトン領から王都へ続く道の雪解けを待った春のことだったから、なんだかんだでもうすぐ結婚一周年になるようだ。
冬の初めにギルが『継承者の資料室』を手に入れてから、私たちは貪るように先人たちの知識を読み漁った。
私たち、というのは、ギルと私二人という意味ではなく、ペイジさんやメルさんなど現団員たちと、ミランダ先輩の声掛けで集まってきた元団員たちも含んでいる。
機密情報ではあるのだけれど、本当はおじいちゃん先輩の残した研究資料はミランダ先輩に渡る予定だったし、元団員たちにもそれぞれ譲り渡される予定だった個人の資料がたくさんあったからだ。
そうして皆で集まっているうちに、なんと、ギルとペイジさんが共同研究を続けていた、かつて、うちのばーちゃんが編み出した大規模結界と同じものを半永久的に維持する魔道具の試作品が完成した。
長年二人が頭を悩ませていたばーちゃんの研究資料が、『継承者の資料室』にあった書物のおかげで解読することが出来た。さらにクラウス君がくれたクリュスタルムの設計書がかなり役に立ち、ミランダ先輩たち元団員のアドバイスもあって、ついに形になることが出来たのだ。
試作品は街ひとつ分を覆う程度の規模の結界が張れるものだが、半永久的に稼働することになっている。
実験として、王城とその周囲の貴族街に結界を張ってみたところ、他国の工作員が結界の外へバシバシと弾き出される結果となり、私は目をまるくした。トルスマン皇国以外にも、こんなに敵がたくさんいたのか……。
この結果にはガイルズ陛下も大喜びで、「マジでスゲェなぁ! 早く国全土を覆う結界を作ってくれよ、ギル!」と予算を増額してくれたそうだ。
そんな冬を過ごしたおかげで、ギルは新婚休暇をすべて消化してしまった。
「うわぁぁぁぁ!!! せっかくの新婚休暇を魔術研究で潰してしまったぁぁぁぁ!!!」
「そんなに泣くなよ、ギル。おかげで毎日すっごく楽しかったし、なにより念願の大規模結界魔道具が完成しそうじゃん?」
「それはもう、僕もすっごく楽しかったです!!! リザ元団長が残した魔術式が解読出来た瞬間のあの爽快さときたら、癖になるほどですよ!!! 長年の夢にあと一歩ですし、リドギア王国がもう二度と戦争に関わらずに済むのならこれほど喜ばしいことはありません!!! でも、新婚休暇は今だけだったんですよぉぉぉ!!! 僕の馬鹿ぁぁぁぁ!!!」
滝のような涙を流して床に蹲るギルの背中を、私はよしよしと慰める。
魔術研究も大事だけれど、思い出も大事だもんなぁ。ワークライフバランスってやつだよね。
でも、これからは『継承者の資料室』もOBたちのバックアップもあるんだから、魔術師団の忙しさはかなり改善されるだろう。
いつか時が経って、「結婚したばかりの頃のギルって、ブラック勤めだったよね~」と笑い合える日が来るのも、またいいものだと思う。
「ねぇ~、ギル団長ぉ。いつまでも泣いてないで、アタシの相談を聞いてちょうだい~」
「ささっ、ロストロイ団長様。メルのペイジ様のお言葉をご傾聴ください」
本日、我が家に来たのは、ペイジさんとメルさんだ。応接室の向かいのソファーで二人とも寛いでいる。
ギルはすんすんと鼻を啜りながらも、部下たちの声に顔を上げた。
なんだかんだでギルも団員たちが大好きなんだよねぇ。
「確か、大規模結界魔道具の材料についてですよね」
「ええ、そうなの。素材はかなり集まっていて、足りないものはアタシとメルで採取してこようと思ってるんだけれどぉ。問題は動力源なのよ」
ペイジさんは指先に水色の綺麗な髪の毛を巻きつけながら、溜め息を吐く。
「試作品は街ひとつ分を覆う規模だったから、まぁ、なんとかなったわ。でも、それだって希少な賢者の石を使ったのよ。ガイルズ陛下が所持されていたすっごくおっきなサイズの石をね。国全土を覆う規模だと、例えば賢者の石を使うとして、このくらいの量が必要になるわ」
「こちらが計算書です、ロストロイ団長様」
ギルと一緒に計算書を覗き込むと、とんでもない量が書かれていた。
これだけの賢者の石を集めるには、もはや大陸中から巻き上げないと無理だ。それこそ世界戦争が勃発してしまい、元も子もないだろう。
「オーレリアちゃんが以前していた腕輪の虹神秘石レベルのものがあればいいのに~! あぁ~ん!」
「あれはフェンリルの封印に使ってしまいましたから、仕方がありませんよ。『グレイプニール』を壊すわけにはいきません。神話に書かれた〝世界の終わり〟が始まってしまいますから」
「それはそうだけれどぉ……。はぁ……」
ギルに言い含められて溜息を吐いているペイジさんを見て、私はふと思ったことがそのまま口から零れた。
「私、もしかすると大規模魔道具の動力源になれる素材を手に入れられるかも」
私の言葉に、皆がびっくりしたようにこちらを見た。
「なにか当てがあるのですか、オーレリア?」
「虹神秘石の採れる場所を知ってるとかかしらぁ!?」
「メルもお手伝いいたしますので、ぜひ素材の採取に行きましょう、オーレリアさん!」
「……あ、いや、今すぐには説明出来ないんだけれど、もしかしてって話で……」
私が思いついたのは、大神様からのご褒美のことだ。
まだ褒美を決めていなかったのだけれど、大規模結界魔道具の動力源になる素材をお願いするのはかなりいいかもしれない。
おじいちゃん先輩は、せっかく大神様が褒美をくださるのだから、死者の国との繋がりを断ち切ってもらえと言っていたけれど。
フェンリルが再封印出来たのは私だけの力ではないので、どうしても気が引けてしまうのだ。
大規模結界魔道具の素材なら、ギルとペイジさんとメルさんの役に立つし。旧クァントレル領で暮らすリーナやウィルにももちろん恩恵がある。かなりいいひらめきに思えた。
でも、そのことをギルに言っちゃうと……、絶対反対すると思うんだよねぇ。
ギルもおじいちゃん先輩と同じことを言い出しそう。
死者の国とのつながりは厄介だけれど、私が寿命を全うするまで頑張ればどうにかなる問題だしなー。
言いよどむ私に、三人はガッカリした様子になったけれど、目処が立ったら話すということで落ち着いた。
「あとは大規模魔道具を設置する場所も決めたいのよね! 魔道具に影響が出ないように、魔力が安定している場所がいいわ」
「それならロストロイ領はどうですか? 元王家直轄地だったので、魔力は昔から安定しています。候補の一つに入れてよいかと」
「あらあら、いいじゃない! ギル団長の領地なら、ギル団長本人がすぐに視察に行けるしね!」
もしかしてそれが狙いか、ギルよ?
視察ついでに領地観光か?
新婚休暇が終わってしまったことを少し前まで嘆いていたはずのギルは、すっかり明るい笑顔をこちらに向けてくる。
……まぁ、いいか。ギルにはいつでも笑っていてほしいもんな。
「オーレリア、一緒にロストロイ領へ行きましょう。貴女を案内したい場所がたくさんあるんです」
「うん! すっごく楽しみ!」
というわけで、大規模魔道具の設置場所を決めるために、ついにロストロイ領へ向かうことになったのだ。