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11:初夜



 そしてその夜のこと。いわゆる初夜である。

 ギルは女嫌いになってしまったらしいから、たぶん何も起こらないだろうなと思いつつ、ロストロイ魔術伯爵家のメイドによってお風呂場で全身ピカピカに磨かれ、ひらひらの夜着を着せられた。


 私はベッドの横に用意してあったお酒を見つけ、嬉しくてさっそくグラスに注ぐ。

 チルトン家では『素面でも危険なオーレリアお嬢様に酒を与えたらどうなるのか想像もつかないから、飲ますな』というお触れが出回っていて、一度も口に出来なかったのだ。バーベナの頃は酒豪として名を馳せていたのに残念。

 前世ぶりのお酒はうまい。ぐいぐい飲んでみたが、オーレリアの体でもたいして酔わないみたいだ。新たな発見である。

 ついでに一緒に用意してあったフルーツの盛り合わせも食べていると、ギルが寝室に入ってきた。


 ギルはベッドの上で楽しく酒を飲んでいる私を見下ろし、「はぁ……」と薄く溜め息を吐く。


「酔っぱらって恐怖心や緊張を誤魔化す必要はありませんよ。僕は貴女を抱く気はありません」


 おお、本当に女嫌いになっちゃったんだな、ギル。可哀そうに。

 ギルが普通に女好きだったら、私もお前にすごいことをしてあげたんだが。


「オーレリア・…………バーベナ、ロストロイ」


 ギルは名前を呼ぶのも嫌だというように私を呼んだ。


「僕にはもうずっと昔から心に決めた人がいます。だから申し訳ないが、僕が貴女を愛することはありません。そして貴女も、僕を愛する必要はない。僕達は白い結婚でいましょう」


 へぇ~。ギルって好きな人居たんだ~。

 誰だろ。私が知ってる人かな?

 まぁ、魔術伯爵になっても結婚出来ないほど相手の身分が高いか、相手が結婚しているとかで結ばれることが出来なかったのかもしれない。


「わかった」


 とりあえず、頷いておく。


「私達の結婚に関しては了承した」

「……案外あっさりした返しですね」

「そんなことよりさぁ、私一個知りたいことがあってさぁ。

 ノーザック城奪還戦の前に、ギルが私に『この戦が終わったら、貴女に伝えたいことがあります』って言ったじゃん。覚えてる? 私が借金なら銅貨一枚までならいいよって言って、ギルがパンしか買えませんって返事してさぁ。

 あれ、本当はなにを伝える気だったの? 私、死んじゃって聞けなかったけど」


 ギルに会ったら一番に聞いておこうと思っていた。

 ようやく尋ねることが出来てホッとする。

 オーレリアに生まれ変わってからもごく稀に思い出しては、『あれって何だったんだろう……?』と首を傾げていたから。

 喉の奥に刺さった小魚の骨がようやく取れたみたいで嬉しい。


 私がギルを見上げると、彼の表情はどんどん青ざめ、震える指でこちらを指差した。


「……バーベナ、なんですか?」

「あ、うん。バーベナ。私、生まれ変わったんだよ」

「重要なことを適当に返すその雑な性格は、完全にバーベナですね……」


 ギルの表情は青を通り越し、真っ白になった。そしてガックリと膝を突く。


「……結婚式からやり直したい……っ! いや、まず縁談の時点でバーベナときちんと会って話しておけば……っ!!」


 なんかごちゃごちゃ言い出したぞ、ギルの奴。

 ギルはそのまま暫く、晩夏の道に落ちている死にかけの蝉みたいに唸り続けたが、突然勢いよく顔を上げた。


「バーベナ、先程は大変失礼なことを貴女に言ってしまいました! 本当に申し訳ありません!」

「え、どれだろ」

「……あ、貴女を愛さないとか、愛されなくてもいいとか、その、白い結婚とか……」

「ああ、ギルに好きな人がいるってやつか。いいんじゃない? がんばれ、応援してるよ。離縁の相談は早めによろしくね。慰謝料たんまりください」

「申し訳ありません! 本当にごめんなさいバーベナ!!」

「え? 魔術伯爵なんだから慰謝料ケチんないでよ」

「そういう謝罪じゃないです!!」


 なんだか昔のギルに戻ったように、怒ったり喚いたりうるさくなったのでホッとする。

 そうそう、きみはこういうツッコミ体質の少年だった。

 まだ変わらない部分が残っていたのだな、と安心する。


「貴女が亡くなる前に僕が伝えたかったのは、求婚です」

「はい?」

「バーベナ、十六歳の僕は貴女をただひたむきに愛していました。三十二の今になってもバーベナのことが忘れられず、記憶の中の貴女を愛し続けました。どうかお願いです、バーベナ、僕と結婚してください。……ずっと、そう言いたかった」


 おい、ちょっと、ギルよ……。

 その求婚を聞く前に、ギルと結婚してしまったのだが……。


 しかも結婚式前にギルが一度も会いに来なかったことを思い出し、苛立ちがぶり返す。

 私はベッドの上にあった枕を手に取り、ギルにバフッと投げつける。


「とりあえず、初夜の花嫁に『貴女を愛することはない』とかアホなことを言うお子ちゃまなんぞに求婚の資格なんてありません」

「本当に申し訳ありません。貴女に永遠を誓っていたもので……」


 もう一個、枕を投げつける。


「重い、重過ぎるぞ、ギル。恋人だったわけでもなく、片思いの相手にふつう操を捧げる?」

「ふつうでなくて申し訳ありません……」


 まだまだ枕があるぞ! 項垂れるギルの頭にボスッ。


「結婚式前に一度も婚約者に会いに来ない不義理っぷりも何なんだ。挨拶は勤め人の基本だって、私、教育係の頃に教えたはずだよね? 政略結婚だって貴族の務めの一部。挨拶、大事でしょ!?」

「返す言葉もありません……」

「ギルなんぞ、一生子供扱いしてやる。私達は白い結婚のままだからね。なんせギル君はまだまだ子供ですから~」

「すみません……」


 最終的に部屋中のクッションを全部集めて、ギルにアタックしていると。

 下を向いていたギルの肩が微弱に震え始めた。鼻を啜る音まで聞こえ始める。

 あれ、私、弱い者いじめをしてしまったのか……?


「い、痛かった? 眼鏡が割れたの? ごめんね、ギル」

「……グスッ。……いいえ、貴女の枕投げが痛かったわけではないのですが。ただ、そうやって阿呆なことをしている貴女を見ていたら、本当にバーベナが生まれ変わってくれたのだと実感して……」

「え? むしろ私、貶められている?」

「嬉しくて、でも今までの辛さとかが、全部ごちゃごちゃになってしまって……」


 まぁ、それもそうか。私も突然魔術師団の皆が生まれ変わって現れたら、色々と感極まって踊り出すかもしれない。


「おいで、ギル」

「……バーベナ」


 両手を広げてやれば、ギルは迷子がようやく母親を見つけたようにしがみついてきた。

 ギルは私の肩に顔を押し当て、悲鳴のような声をあげながら泣き続けた。私の存在を確かめるようにきつく背中に腕を回し、「もう、僕を、置いていかないで、ください」と途切れ途切れに訴えてくる。彼の熱い涙が私の夜着に染み込まれていく。


 ああ、私、こんなにギルを傷付けてしまっていたのか。

 骨も内臓も肉片も毛髪も、何一つ残さなかったバーベナの自爆は、こんなふうにバーベナを大切に思ってくれていた人の心をズタズタに切り裂いてしまっていたことに、私はようやく気が付いた。

 戦時中はそれが正解だと思っていたけれど、戦争から離れれば、こんなにも凶悪な間違いだったんだな。

 だからばーちゃんも魔術師団の皆も、私のことをあんなに怒っていたんだ。


 ギルの三十二歳の体の中で、十六歳の時の心の傷が今も血や膿を流している。

 あの時の私は二十五歳で、十六歳のギルを守ってやらなくちゃいけない大人だったのに。私がギルの心をこんなふうにしてしまった。

 私はギルの背中に回した手で彼の痛みを擦りながら、目を瞑る。


「……ごめん。本当にごめんね、ギル」

「うぁぁ、ぁ……ぁ、……っ!」


 ギルは一晩中泣き続け、私はよしよしと彼をあやし続けた。





 朝が来たので、寝室の扉を開ける。

 すると部屋の前の廊下に、ロストロイ家の執事が不安そうな表情で立っていた。


「だ、旦那様はご無事でしょうか……?」


 ……たぶん、夜通し屋敷中にギルの泣き声が響いていたのかもなぁ。


 ギルが泣き腫らした顔で寝室から出てくると、執事は「なんとお(いた)わしい、旦那様……!!」と両手で口元を覆った。


「お、奥様……!! ご夫婦の間のことに執事である私が口を挟む資格はないと重々承知ですが、女性が苦手な旦那様にあまり激しいことをなさるのはどうかと思います……!!」

「違うんですよ、私は無実なんですよ。本当に誤解なんです」


 泣き喚いた張本人は声が掠れて喋ることが出来ず、しかも結婚式翌日なのに普通に仕事の予定を入れてやがったので、そのまま出勤していった。


 三日後にギルが帰ってくるまで、私はひどい誤解を受けた。


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