1:魔術師団長バーベナ
我がリドギア王国と隣国とのあいだに戦争が始まったのは、うちのばーちゃんが亡くなってから約半年後のことである。
うわぁ、マジか。
というのが、当時、魔術師団上層部の中でもいちばん下っ端だった私バーベナの紛うことなき感想だった。
だって生まれてから一度も戦争が起きたことはなかったし。
「ったく、しゃーねぇなぁ。『漆黒の堕天使』であるこの俺様の闇魔術の出番がついに来ちまったみてーだな!」
「国境はここ数ヵ月ずっと緊迫状態で、時間の問題だったよ。……やれやれ、仕方がないな。この私も久しぶりに本気を出すよ———『暴風の槍』を」
「隣国はもう五十年以上、我が国の領土を狙っていましたから、来るべき時が来たというだけのことですの。けれど大丈夫ですのっ。このわたくし『水龍の姫』が居る限り、リドギア王国は決して負けたりいたしませんの!」
「ふぉっふぉっふぉっ、儂ら魔術師団の真の力を見せつけてやろうかのぉ。格の違いにひれ伏すが良い、隣国の豚共め」
「国王陛下のために、国民のために、華麗なる未来のために!! 魔術師団よ、いざ華麗に出陣だ!!!! バーベナ、遅れるなよ!! 素早く迅速に、そして華麗にな!!」
「はーい」
そんなふうに戦争に投入された我らが魔術師団は、どんどん激化していく最前線で命の炎を燃やしつくし、なぜか上層部から次々に英霊となってヴァルハラへと旅立っていった。
いや、本当に何でなんだ?
皆あんなに強者ぶった台詞を吐いていたくせに、どうして上層部末席の私より先に死んじゃったんだ?
いつも「バーベナはわたくし達の中でも最弱ですの」「面汚しレベルだろ」「爆破魔術特化型って、君、そんなにガサツで嫁の貰い手なんかないでしょ。どうしてもと言うならこの私が……ごにょごにょ」とか、私のことからかってたくせに、ひどすぎるだろ!
ついに私なんかが魔術師団長に就任することになってしまう有り様で、もう涙なんて枯れ果てているのに、ずっとずっと悲しい。ずっとずっと寂しい。
でも戦わなければ。
皆が愛した魔術師団を残さなければ。
狂気の渦に飛び込んでも、皆の家族やその友人やその恋人や、枝葉の様に広がり関係を紡いで生きる全く見知らぬ誰かを守らなくては。
リドギア王国を存続させなければ。
だって私は魔術師団長だから。
私の心の最後の支えは、大事な人の九割がヴァルハラで幸せに暮らしているということだけだった。
私も死んだら大好きな皆のところに辿り着けるはず。そう信じれば、今日の戦場でもまだ踏ん張っていられる。
▽
私は敵国に奪われてしまった我が国の領地、ノーザックの城を丘の上から眺めていた。
ここを奪還しなければならないとお上からの指示があり、私たち魔術師団も王国軍と共にやって来た次第である。
双眼鏡で領地の様子を見ていると、敵軍の兵士達が麦畑を焼き払っているのが見えた。
ぎゃぁぁぁ、私達王国民のパンがぁぁぁぁ!!!!
農家の人たちが頑張って作ってくれてんのにぃぃぃ!!!!
もう配給少なくなってんのにふざけんなぁぁぁぁ!!!!
怒りがマックスである。
私が地団駄の踏みすぎで、もはやそういう踊りみたいになってきた頃、後ろから声を掛けられた。
「今、よろしいでしょうか、バーベナ」
振り返ると黒髪の美少年。副団長のギルだ。
ギルは当時十三歳という若さで魔術師団入団試験に合格し、最年少記録を塗り替えた天才少年だ。
私は彼の教育係だったが、私のおかげとかではなくギル本人の天才っぷりで順調に出世を続け、今では十六歳でありながら副団長の座に座るただのバケモノである。人材不足もあるけれど。
「なにか新しい情報が入ったの?」
「……いえ、そうではなく。個人的なことで」
私が尋ねれば、ギルは自身がかけている銀縁眼鏡のフレームに指を添えて、少しためらう素振りを見せた。
ギルの頬がなぜか上気していくのを眺め、私は十代のお肌っていいなぁ……という気持ちになった。
私も十代の頃があったはずなんだが。二十五歳の今の私には、若者が放つオーラが眩しくて微笑ましく感じるよ。
ギルは私を見上げた。
「……バーベナ、この戦が終わったら貴女に伝えたいことがあります」
今のギルも可愛いが、昔のギルはさらにもっと可愛かった。
敵陣のど真ん中で魔力切れを起こしたギルを回収しに行ってやれば、母を見つけた迷子のように私に泣きついてきたっけ(『水龍の姫』こと、おひぃ先輩に「そもそもバーベナが敵陣で迷子になったから、ギルが一人で敵陣ど真ん中に取り残されてしまったんですの!」と怒られた)。
任務中に食料が底をつき、ひもじそうにしているギルのために川で魚を獲ってやれば喜んでくれた(自称『漆黒の堕天使』のボブ先輩から「そもそもバーベナが食料の大半を落っことして回収出来なかったのが悪いだろ!」と怒られた)。
寒さの堪える野営では寄り添って眠り、国に帰ればバルに連れて行ってたらふくご飯を奢ってやった(華麗なるグラン前魔術師団長に「そもそもガキを飲み屋に連れて行くんじゃない!」と怒られた)。
一時期は私のことを「師匠」とまで呼んでくれたのだが、そのうちだんだんと「バーベナ」呼びに変わっていってしまった。なぜだ。
「バーベナ、僕の話を聞いていますか?」
「うん。聞いてるよ」
ギルは数年先の絶頂期を予感させるような美貌に、とても固い表情を浮かべている。これまでに何度も戦に出ているこの少年が、今さら戦いに怖じ気づくはずがない。
ならば、彼が私に言いたいこととやらが、とてつもなく面倒な内容なのかもしれない。
「借金でもしたいの? お金の貸し借りはダメだって、昔うちのばーちゃんが言ってたんだけど、まぁギル相手だから、銅貨一枚までなら貸してあげるね」
「借金の申し込みではないのですが!? あと銅貨一枚だとパン一つしか買えませんが!?」
「十六歳だもんね、配給の食事じゃ足りないんでしょ」
「違います!」
今日もギルの突っ込みがキレている。キレッキレだ。
ギルは黒髪に眼鏡という優等生スタイルで、性格も生真面目すぎる可哀想な男だ。
こういう人間は戦場よりも、魔術研究のほうが向いていると思うけれど。彼が入団してたったの数ヵ月で、戦争が始まってしまった。
なんというか、タイミングが悪い男なんだよなぁ。
平和な時代のままだったら、ギルは今頃変人ばかりの魔術師団の中で自分の魔術研究をしつつ、春には花見で酒を飲み、夏には納涼祭で酒を飲み、秋には芋煮会で酒を飲んで、冬には温泉旅行で無礼講の酒を飲めたはずなのに。
ちなみにこれらの飲み会は、かつての魔術師団の年間スケジュールである。
その他毎週のように、小規模な飲み会が開催されていた。
「……まったく、バーベナときたら。いつまでも僕を子供扱いするのですから」
「自分のことを子供扱いしてくれる相手が生きているというのはいいことだよ、ギル」
「それは……そうですが。その子供扱いも、いつまでもというのでは僕も困ります」
ギルは深呼吸をすると、改めて私に顔を向けて、言った。
「とにかく! この戦いが終わったら絶対に絶対に、僕の話を聞いてください! ……そのときはもう、僕のことを子供扱いなどさせませんからね!」
「わかったよ、ギル。楽しみにしてる」
私はギルにそう答えて笑いかけた。
ギルはなぜか昔から、私の笑顔を見るといつも挙動不審になる男なので、そのときも「うぐっ」とか唸りながら、後方に去っていった。
結局、その後ろ姿が、私が見たギルの最後の姿だった。
私はノーザック城奪還戦の最中に、敵の魔術師に心臓を貫かれて死んだのだ。
ちなみに私は爆破系の魔術が得意というか専門というか、それしか出来ない感じなので、いざという時のためにあらかじめ自爆の魔術を仕掛けておいた。
敵の魔術師の大半を道連れに出来たので、まぁ、歴代最弱の魔術師団長としては十分な戦果だったんじゃないかな?
心残りは一つだけ。
ギルの話を聞けなかったことが、少しだけ引っ掛かる。
あんまり重要な話じゃなければいいな。他愛のない話だといい。戦後の打ち上げはどこの店にします? とか、そんなどうでもいい話であってほしい。
私に話したかったことが、ギルの中に呪いとなって残りませんように。ギルの中で煙のように消えてしまいますように。
そして未来を、どうか強く生き延びておくれ。
さて、懐かしい仲間たちよ。
今、バーベナがヴァルハラへと会いに行く!
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