Peace 02:Game Master
『チップ様。本日のクエストはお勉強です』
唐突に、目が覚めた。そして唐突にクエストを告げられる。いつのまにか寝ていたのか――周囲は自分の部屋そのものだった。が、一つだけ違うのはど真ん中に大きな砂時計があること。
「……お前が居るってことは、やっぱ夢とかじゃないんだよな」
『もちろんですともー』
にこにこ、にこにこ。そろそろ殴りたいくらい良い笑顔でアルフレッドが微笑んでいる。無駄にきらきらしている事にげんなりしつつ、ひとまず昨日の事を頭の中で出来るだけ整理した。
アルフから送られてきたっていう箱を開けたら、いきなりあのすかしたアルフレッドがやってきて、契約したからってヘンな動物と戦わせて。その後の記憶がないのは、寝ていた時間なんだろう。けど、一体いつ眠ったのかチップには全く記憶がない。
『腑に落ちないってカオ、してますねぇ』
「たりめーだ。第一、昨日お前は説明するとか言っておいて何にも説明してないじゃないか」
やっぱり笑顔のままで執事のように突っ立っているアルフレッドを、ぎろりと睨みつけた。悲しいかな、チップの童顔ではあまりにも迫力がないのだが。
『ま、今日はお勉強ですのでそのあたりを全部説明するつもりでございますよ。とはいっても、覚えきるのも大変でしょうから重要なことを先にちゃっちゃかやっちゃいますかねぇ』
笑顔のまま、アルフレッドは装飾の施された箱を片手で持ちあげる。それからお得意の指揮棒をさっと振ると、部屋がまた市松模様の不愛想な景観になった。
どうやら、寝ている間の部屋はアルフレッドがわざわざ魔法で用意しているらしい。急にベッドがなくなったせいで、思い切り床に尻もちをついた。
「……今度から部屋変える時は先に言ってくれ」
『おや、失敬。すっかり忘れておりました』
今のはわざとではないらしい、ほんの少し照れくさそうに頭を掻くアルフレッドに呆れながら、チップはゆっくりと立ち上がった。もう一度アルフレッドの指揮棒が空を切り、目の前にはイスと机。座れ――と促され、そこに座る。
『はい、ではお勉強の時間です。と言っても貴方の苦手な数学や物理はありませんからご安心を』
何で苦手科目を知ってるんだろう、なんて思ったが正直もう何が起きても驚けない。昨日、なんでもありな彼の行動をどうでもよくなるほど見せつけられているのだから。
まずはこれを見てくださいね、なんて言いながら、アルフレッドは装飾箱の中から大きな紙を取り出す。明らかに幅と質量が間違っている取り出し方に、やっぱりちょっと驚いた。
「なんだこれ、地図?」
『そです。地図です。ほら、この隅っこのほうは見覚えありますよね』
渡された紙を広げれば、横からアルフレッドが地図を指差す。確かに、隅の方に描かれている場所は、今もこの部屋の隅で組み上げられているパズルの森――昨日ヘンな生き物を追いかけた場所と同じ所だ。
『ま、当分はこの地図の中でクエストをこなす事になりますよ。次の鍵を見つけるまでは、ね』
「……鍵?」
問い返せば、アルフレッドはなぜか嬉しそうに頷いた。それから、両腕を広げて雄大に説明しだす。
『このパズル「PeacePuzzle」は、五つの巨大なパズルで構築されています。しかし次のパズルを解くためには、今いるパズルの中から次に進むための鍵を手に入れなければなりません』
ようは、そう簡単には終わらないぞってことらしい。しかし、このパズルを解くメリットは自分にあるんだろうか。
『PeacePuzzleを制した者は、この世の誰よりもすばらしい幸福を得る事が出来るでしょう。しかし、対価はそんなに生易しくない』
ちっちっち、とアルフレッドは指を振る。対価――あまり耳に馴染む言葉ではないが、それがどういう意味かは解る。ようは、パズルがクリアできなければそれ相応の運命が待っているってことなんだろう。
「……このパズルに挑戦した奴って、他にいるのか?ちゃんと組み上げられた奴は?」
『挑戦者は今までに、チップ様を含めて一千万と四百参名。組み上げられた人間はゼロです』
――ゼロ。その単語で、チップはとてつもなく嫌な予感を覚える。恐る恐る、組み上げられなかった時の事を訊ねてみる。
『決められた期間内に組み上がらなかった場合、姿かたちを変えてパズルの中の住人にされてしまいます』
パズルの住人――それを聞いて、チップは背筋がぞっとすると同時に嫌な予感を覚える。
もしや、昨日自分がクエストで倒したあの小さなモンスターたちは――。あれだって立派に生き物だ。
『お察しの通り、昨日のサイコロウサギなども組み上げられなかった方々のなれの果てです。人間になれれば運がいいものですよ』
くつくつと、アルフレッドが含んだ笑い声を上げる。その態度と告げられた事実に、イラつく以上に怒りがわいた。
「――お前、知ってて俺に人間を殺させたのかよ!?」
チップからすれば、どんな姿だろうとあれが元は人間だったのだと言われればショックを受けないはずもない。だが、アルフレッドは微動だにもせず、ええそうですよなんてあっさり答える。
ぷつりと何かがはちきれた気がして、気がつけばスーツの胸倉を掴んでいた。
「ふざけるなよ、いきなり現れていきなりこんな所に閉じ込めやがって!しかも、知らなかったとはいえ、人間まで殺させるなんて――」
『おや、お熱いですね。しかしあなた、自分があのサイコロだったらどうしますか?ヒトとして認識されず、ましてやこのような閉鎖された空間でただ延々と飛び跳ねる。私でしたら、死んだ方がましだと思いますけれどねぇ』
普段の余裕の笑顔で囁かれ、チップは沈黙する。冷静になってみれば、アルフレッドのその意見にも一理はある。だけれど――
『もっとも、あれらは自分が元は何だったのかすら理解できず、現世に生まれ変わる事も出来ずに彷徨う哀れな魂です。そして、――』
「……聞きたくない」
アルフレッドの言葉をさえぎり、チップは耳をふさいだ。自分には理解できなくて、悲しいとすら思える真実にただ、呆然とする。これからも自分はあの生き物のような、人だったものを倒さないといけなくなるんだろうか――それを考えると、どうしても涙がこみ上げる。
ふわりと、頭に誰かの手が乗せられる。この場にいるのは二人だけ、となればこの手はアルフレッドの手だ。なぜだかいやに優しく頭をなでられ、そしてその手はすぐに離れた。
『ちょいと意地悪な言い方をしすぎたことは反省します。ですが、このパズルの本質はそこにあるのですよ』
「……どういう事だよ」
混乱しかけている頭を整理して、チップはアルフレッドを睨みつける。やはり意に介した様子もなく、アルフレッドは微笑んだ。
『パズルを解こうとした人間の数だけ、このパズルは成長するのです。解けなければその人の経験、記憶、知識をどんどん吸収し、そして巨大になる。
そうやって巨大になっていくこのパズルは、古代エジプト人によって数百年ほど封印され、一時は魂を食らう呪われたパズルとして「ChaosPuzzle」なんて名前でも呼ばれておりました。ま、封印は簡単に解かれてしまったようですが……』
普段の生活ではあまり聞きなれない単語の羅列に、チップは回りきらない頭を必死に回転させる。不意に、一つの疑問が頭をよぎった。
「――あんたは、今までにパズルを解こうとした奴の一人なのか?」
『んー、ノーコメントです。が、チップ様にパズルを無事解いてもらいたい気持ちはありますよ。私はただのゲームマスターで、このパズル本体ではない。ご大層な名前をつけていながら、このパズルはよく人を喰らう――いつかはその流れを止める人物に、逢ってみたいと思うのは当然でしょう』
目を細め、アルフレッドはにたりと微笑む。ほんの少し、彼が恐ろしいと思う。けれど、憎たらしいくらいに美しい笑顔だった。
飄々とした男は、話を聞く限りは敵とは断定できない。が、完全な味方とも思えない。お前は誰だという質問は昨日何度もしたが、答えは明確には返ってこない。自分はゲームマスターだ、とそれだけだ。
「――ゲームマスターって何なんだ」
そろそろ、質問を変えてみる。結局のところこいつは誰なのか、という質問なのだが。
『パズルの進行をルールに沿ってナビゲートする案内人です。プレイヤーがルール違反を犯さないかを監視し、解らない事があれば適切な案内をします。パズルから課せられているルールは、プレイヤーとゲームマスターで若干異なりますがほぼ同じです』
ルール――あまり好きじゃない言葉だ。特にこの場では、現実の世界以上に窮屈な響きに思える。それが強制的なものだからというのもあるのだろうが。
「お前は敵なのか?」
結局、すぐに想像できるような答えしか返ってこない事に焦れて本題を告げる。アルフレッドはほんの少し沈黙した後、そっと視線を合わせるためにかがみこむ。
『敵にも味方にもなりえます。しかし貴方にパズルをクリアする意思があれば、少なくとも敵に回る事は当分ありません――パズルが組み上がらなければ、そのとき私は、貴方の敵になります』
碧い目が、こちらを真剣に見据えた。えも言われぬ色合いの、明らかに何かの意思を宿した目。本能的にそれが、とてつもないものだと悟る。しかし、彼が何を考えているかはやはり判らない。
思考を混ぜくられるような奇妙な感覚に耐えかねて、チップはほんの少し後ずさる。
『――ぜひとも制限時間内に、パズルをクリアしてください。でなければ貴方も、ここの住人にされてしまいますよ』
かがむのをやめて、アルフレッドはにこりと微笑む。
『さて、他にも話さなければならない事はたくさんあります。貴方はなぜこのパズルが送られてきたか、知りたいのではないですか?』
――知りたい。
むしろ、その話題を出したくても雰囲気のせいで出せなかったのが正解だろう。ゆっくりと頷けば、アルフレッドは一枚の書類を出した。
「――それって」
『はい、受け取りの際に書いていただいた契約書です。これにサインする事が出来る者は、自らあのケースを開けた者か――前回のプレイヤーが推薦した者だけです』
前回のプレイヤー――それが誰なのか、馬鹿なチップにでも解らないはずがない。荷物の送り主――つまり、アルフだ。
「まさか……嘘だろ?
アルフが、前回のプレイヤーってことなのか?!」
自分からそう言ったものの、アルフレッドの口から"ノー"が出る事を必死に祈る。だが、答えは思い通りにいくはずもなく。
『そうなります。……残念なことに、彼は最初のクエストを放棄してしまったのです。プレイヤーによって割り当てられるゲームマスターとクエストは異なりますから、前回のゲームはもしかすると相当に厳しかったのかもしれません』
その後、呆然としているチップを気遣うようにしながら、アルフレッドはクエストの仕組みについて説明していく。発行されるクエストは一度に複数あり、それをゲームマスターが選んでプレイヤーにクリアさせるのだという。
ゲームマスターが厳しかったのか、クエストが難しいものしかなかったのか――それは解らないが、アルフが放棄するだけのクエストとは、一体どんなものだったのだろう。そして、アルフは今どうしているんだろう――パズルをクリアできなかったなら、この閉鎖された空間に存在しているかもしれない。
『パズルの中には、倒す必要がない普通の人間も存在します。そういう住人になっている事を祈るしかありませんねぇ』
いつの間にやら、アルフレッドは向かいにもう一つ椅子を出して座っている。ざらざらと、砂時計からパズルのピースが降り注いでいた。
部屋の隅に、今度は城が生まれた。そこを境に広がる街並みは、人間の存在を想像させる。いつかこの場所に、クエストで行くのかもしれない。もしかして、アルフもいるかもしれない。こっそり探しに行ってみたい、そんな事を考えた。
『お疲れ様です。必要なお勉強はできたかと思われます』
ふぅ、なんて溜息を吐くアルフレッドは、そのまま煙草なんて出して一服しそうな雰囲気がある。その姿に、なんとなく疲れているような印象を受けた。
「――あんたでも疲れるのか」
『勿論、疲れる事はありますとも。意思を持っているから疲れを覚え、眠りに癒しを覚える。ああ、そうそう。この空間に居る間は必要分の栄養とエネルギーを休息と睡眠で補います。空腹になった事がないでしょう?』
にこにこと、アルフレッドは解説を始める。既に先程の疲れた様子は微塵も見せない。
本当に掴みどころがない男だが、昨日から抱いていた彼への反感は、今はほんの少しなりを潜めている。自分でもよく解らないが、アルフレッドは自分をパズルの住人にしたくないらしい――それは、何となく理解できた。
「……なあ、パズルを解いたら、アルフはどうなるんだ?」
椅子の上で膝を抱え、チップは恐る恐る尋ねてみる。パズルをクリアしたときにもたらされる幸福には、自分の望みがかなう事は含まれているのだろうか。
『チップ様が望めば、アルフ様だけでなく他の住人もここから解放されます。それから、望めば何でも手に入る。あなたが「幸せ」と感じるものであれば、なんでも……ね』
最後の言葉には、何かが含まれている。本能では何かを読み取っても、それを理解するだけの経験も頭脳もチップには無い。歯がゆく思いながらも、アルフレッドの言葉をそのままの意味で理解することにした。
きっと、望めばまたあの平和な日々に戻る事が出来るんだと。
「……なら、俺は絶対、クエストを放棄しない。このパズルを解いて、絶対、その幸せを手に入れてやる」
俯きながら拳を握り締めて言った言葉に、アルフレッドはどういう反応をしただろうか。けれど、今はもう彼に見せられるような顔がない。情けなくも、涙があふれていた。