Re:★序段 つれづれなるまゝに
徒然草 序段 原文
つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
日も落ちて、職員室。窓の外は暗く、とっくに生徒たちの声は聞こえない。カタカタとキーボードを打つ音だけが響いていた。私の他には精霊さんしかいない。
香取小夜。26歳。婚約者あり。吉田中学の美術教師で2年4組の担任。部活は筋トレ部兼ダイエット部なんていう少し変わった部活の顧問をしてる。
今は3年生に出して貰った課題の評価をPCにまとめてる最中だ。
「渡辺っちは評価点8っと……終わった! 全部出来たー! 誉めてよ悟史くーん!」
全員の評価入力が終わった。ご褒美に一日5粒制限のチョコボールを袋ごと逆さまにして全部口の中に放り込む。口の中いっぱいにして味わうのが自分流。カロリーとかアミノ酪酸とか知ったこっちゃないッス。好きなものは好きなだけ、それが自分流。
「ボリボリ……うーむ、満たされないッス」
ストレスを下げるチョコレートなのに、袋を空にしても私の不満は解消されない。
そりゃそうだ。だって溜まってるのはストレスじゃないんだから。
性欲。
つまり、欲求不満ッス。
何でだろう? 仕事が終わった後の宵の口って、やたらムラムラしない? 私だけ? 兎にも角にもそう、
ムラムラするッス。
『徒然ww Re:★序段 つれづれなるまゝに』
――プルルルル♪ プルルルル♪――
帰り支度を始めた私の手をスマホの着信音が止める。画面に浮かぶ名前に心はギュンと上を向いてフライハイ、限界突破。
「もしもしダーリン? ……うん、大丈夫! 仕事も一息ついた所」
私には高校生の頃からお付き合いしている人がいる。残念ながら今はアメリカに海外出張中で側にいられない。だけどダーリンは1年前のアメリカに発つ日、空港で言ってくれた。「2年後、帰ったら籍を入れよう。それまで待っててくれ」って。会えないのは寂しいけど、こうして毎日電話をくれるし、あと10ヶ月もすればずっと一緒にいられるのだ。愛する二人に課せられた試練だと思って頑張ってるッス。
「え? 本当に? ヤバ……すっごく嬉しい!」
なんと! 急に本社での会議に出席する事になって来週日本に帰ってくるらしいッス! たった3日間の帰国だけど、「私の部屋に泊まってっていいか?」だって! そんなの断る理由がない。二つ返事でオッケーもうメチャクチャにしてッス。
「うん、わかった。待ってる。……うん、私も。愛してる」
最後に愛の言葉を交わして電話を切った。うわあ、嬉しいなあ。そうだ、ダイエットしなきゃ。さっきチョコレートを一袋全部食べた事を激しく後悔ッス。
自責の念に苛まれながら帰り支度を再開する。むぅ、どうしよう、ダーリンの声を聞いたからか余計にムラムラしてきたッス。こんな日は早く帰って同人誌のネームでも書いて発散するに限る。
「香取先生、もうお帰りになりますか?」
席を立とうとした私に部活を終えた蔵野先生が声を掛けてきた。まだ春先だからプールでの指導はしてなくて残念ながら水着ではないが、ダイナマイトボディを押し込めたジャージはぱつんぱつんでどぅるんどぅるん。実にけしからんッス。このカラダを独り占めなんてみんと先輩は本当に果報者ッス。
「お疲れ様です。今帰る所でした。何かありました?」
「実は中間テストの問題用紙のチェックをお願いしたくて。忙しい所申し訳ないんだけど」
正直同じ社会科の教師にチェックしてもらえばと思うけど、マリッジブルー同盟の頼みだ。早く帰って自家発電したい気持ちをグッと堪えて満面の笑みで快く引き受けるッス。
「いいですよ。社会の問題がわかるか自信ないッスけど」
「本当? ありがとう。歴史メインで主に江戸時代後期から戦前なんだけど」
「むむ! 幕末は腐人の嗜みですから! どんとこいッス」
ガチの歴女である蔵野先生には怒られそうであまり話題に出さないけど、腐人として幕末は一通り履修している。まさか蔵野先生に「油小路事件は大石鍬次郎総受けですよね!」なんて口が裂けても言えない。みんと先輩もそこは変態紳士、私のオタク活動の事は蔵野先生にも職場にも一切話してない。というか、職場にバレたら軽く死ねる。
「だよね~! 女の子だったら勝海舟と千葉重太郎のイケない恋とか想像しちゃうよね~! っと、ゴホン、とにかくお願い。お礼にこの後さ、晩御飯奢らせて。向こうの親への挨拶の事で聞きたい事があるの」
聞き捨てならないワードが出た気もするけどとりあえずスルーしておいて、なるほど、相談が目的ッスか。
奇しくも蔵野先生と私は来年の3月に結婚式を控えたマリッジブルー同盟。
問題チェックのお礼を口実に結婚に関する相談を私にしたいというのが本音だろう。確かに私は相手の両親への挨拶もとっくに済んでいるし、結婚式の式場も予約して引き出物や招待状なんかも手配してある。結婚においては私の方が少しだけ先輩なのだ。
「わかりました、じゃあご馳走になります」
「やった! じゃあ着替えて来るんで、お願いします」
「らじゃッス」
軽やかな足取りで職員室を出ていく蔵野先生を見送ってテスト問題に取り掛かる。地理だったら例え中学の内容でも覚えてるか不安だけど、歴史なら大丈夫だろう。えーと、何々? 年表の穴埋め問題のようだ。
〈Q1 元治元年7月、長州藩と幕府軍が武力衝突した事件を何と言うか答えなさい〉
楽勝ッス。前年の政変を受けて長州藩が起こしたクーデター、ずばり「禁門の変」ッス。天皇のいる御所を襲って陛下を拉致しようと挙兵した大事件。この御所の門の事を決して破ってはいけない禁じられた門、すなわち「禁門」と呼んでいたッス。スラスラとペンを走らせて年表を埋めていく。しかしムラムラとペンは走り、とんでもない答えを書いてしまった。
「あ、書き間違えちゃったッス」
〈A 菊門の変〉
その門はぶち破っちゃ駄目ッス! 軍を率いてまで突破する門じゃないッス! 1対1でねっとりしっとり攻略する物ッス。
うう、やっぱり溜まってるッス。ダーリンが帰ってきたら思いっきり甘えさせて貰おう。よし、気を取り直して次の問題。
〈Q2 慶応3年10月、徳川慶喜が幕府から朝廷へと政権を返上した事を何と言うか答えなさい〉
あ、また書き間違えてしまった。
〈A 体勢交換〉
将軍何やってんスか! これが本当の尊皇上位、って喧しいッス!
ムラムラしてるにも程がある。自分の頬っぺたをピシャリと叩いて意識を次の問題に集中させる。
〈Q3 慶応4年、戊辰戦争の中で旧幕府から新政府軍へ無抵抗で江戸城が明け渡された事を何と言うか答えなさい〉
「もぉーーー!! こんなの『おケツ開帳』しか浮かんで来ないッス! っていうか蔵野先生、これ絶対狙ってるッス!」
大体、幕末はBLとシナジーがありすぎるッス! シリアス展開がすぐにシリ穴展開ッス! これじゃ江戸時代というよりエロ時代ッス!
「もう駄目ッス。諦めてエロ絵を書くッス」
煩悩を発散させないと普通に答えられない。答案用紙をひっくり返し、裏面に絵を描いていく。
写性大会ッス。
紙に耽美な男性と男性のまぐわいを描く事で煩悩を芸術へと昇華させる神事、それが写性大会だ。なお常に参加者は私一人である。
黙々と男性同士のカラミを描き、煩悩を出しきった所で答案用紙を戻して残りの問題に取り掛かる。よし、大丈夫そうだ。スラスラと問題を解いていき、チェック終了ッス。
「お待たせ。チェック終わりました?」
着替えを終えて蔵野先生が戻ってきた。まだ濡れた髪が艶やかで色っぽい。
「終わったッス。特におかしい所もミスプリントもなかったです」
「ありがとう。あ、問題やってくれたんだ。全問正解、流石ね! あれ……裏面に何か……」
あ、写性画を消すのを忘れてたッス。
答案用紙の裏に描かれた卑猥なイラストが蔵野先生の目を汚していく。でも大丈夫ッス。蔵野先生の心はとっくに腐ってたみたいッス。
「こ、これは! 素晴らしいわね。さすが美術教師。この答案用紙は貰っていくわ」
イヤらしく口の端を歪める蔵野先生。だらしなく涎が垂れ、乱暴に手の甲で拭う。
「どうぞ。蔵野先生とは趣味が合いそうッス」
ここでいう趣味とは勿論BL好きという意味に限らない。その先の受け攻めの好みも含まれる。
「私も前から教頭先生が攻めだと思っていたの。嫌がる北条先生の顔が何とも言えないわ」
やはり妄想するなら身近な人間に限る。しかし、さすがに性根から腐っている私でも自分の彼氏をBLのネタにするには抵抗がある。みんと先輩は散々ネタにしてもう飽きた所だ。最近の標的は専ら教頭先生と北条先生の上司部下カップリングだった。
「むむ! ですよね! 普通なら安易に上下関係を逆にして非日常を演出したがる所ですが、北条先生の本質はドM! 素材の良さを活かすのが同人作家としての力量……」
「僕がどうかした?」
――! いつの間にか北条先生が後ろに立っていた。蔵野先生は慌てて答案用紙を鞄にしまう。どうかみんと先輩に見つからない様にして欲しいッス。
「ほ、北条先生! いえ、何でもないんです! 北条先生は優しくて素晴らしい教師って香取先生と話してたんです!」
「そ、そうッス! 北条先生は正しく受けになる為に生まれて来たような人だって」
しまったッス。うっかり口が滑ったッス。
「受け?」
「い、いえ! 何でもないッス! じゃあ蔵野先生、ご飯に行きましょう!」
「そ、そうね! お先に失礼します北条先生!」
これ以上はイケない。腐人二人はそそくさと職員室から逃げ出したのだった。
徒然草 序段 意訳
どもッス。やる事なくなるとどうしようもなくムラムラしてくるッスよね? だからついエロ絵を描いていたらさらにムラムラして収拾がつかなくなって困ってしまったッス。そりゃそうッス。
【解説】
※徒然……やる事がなくて手持ち無沙汰な様子。
世間では「気の向くままに」と訳される事が多いですがこれは誤りで、徒然の本当の意味は「暇すぎる」が正しいです。
どちらかと言えば「心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく」の部分が「気の向くままに」にあたるかと思います。
なので序段で吉田兼好は、「暇すぎたから気の向くままに適当に文章を書いてたらワケわからん事を書いてしまった」って言ってるんですね。
じゃあムラムラってなんだよ。
【言い訳】
徒然をムラムラと訳したのはしっかりとした根拠がございます。
吉田兼好は晩年、俗世より自らを切り離し、出家して仏に仕える身となりました。
仏に仕える者としてタブーとされるのは「煩悩」、つまり性欲であります。そして煩悩を払う、心を静める為に仏教では写経をする訳です。
徒然なるままに、暇でやる事がなくなった兼好は湧き出てきた煩悩を払う為に書をしたためたのではないか、私はそう解釈致しました。
よって徒然草の序段に限る事ではございますが、「徒然なるままに」を「ムラムラしてきたので」と訳した次第であります。
そうです。私はアホなのです。