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七十二段 賤しげなる物、

徒然草 七十二段 原文


 (いや)しげなる物、居たるあたりに調度(てうど)(おほ)き。硯に筆の多き。持仏堂(ちぶつだう)に仏の多き。前栽(せんざい)に石・草木の多き。家の内に子孫(こうまご)の多き。人にあひて(ことば)の多き。願文(ぐわんもん)作善(さぜん)多く書き載せたる。


 多くて見苦しからぬは、文車(ふぐるま)(ふみ)塵塚(ちりづか)の塵。



 青化粧に萌える桜と、乱暴に引かれた石灰のラインの様に伸びた雲が春たけなわを告げた。もうすっかり気温は高く汗が滲むほどで、温暖化による季節の加速度の増加を否応無しに意識させられる。薄い雲の更に上を行く飛行機の音は、生徒達の元気な声にかき消された。


「手を合わせてください。いただきます」


「「いただきます」」


 日直の合図で俺も箸を手に取る。今日の献立は山菜おこわと鯖の塩焼きにお決まりの牛乳、そしてデザートにゼリーだ。


 三年四組(うちのクラス)では生徒達は班毎に机をくっつけているが、ここに教師も予備の机を引っ張り出して加わっている。教師と生徒が一緒に食べるのは小学生まで、という所が多いかもしれないが、今はゆとりの時代と違ってとにかくカリキュラムを詰め込み過ぎていて、生徒と向かい合う時間も満足に取れない。俺も今川先生も給食を生徒達とのコミュニケーションの為の大切な時間と捉えている。今日は俺は一班、今川先生は四班に机をくっつけていた。


「あれ? 先生もう牛乳飲んだの?」


 隣に座る田口詩子(たぐちうたこ)が空になった牛乳瓶を見て目をパチクリとさせた。


「ああ、今日は暑いから……ぶほっ! ゴホッゴホッ!」


 食べながら喋ったら掻き込んでいた山菜おこわが気管に入りむせてしまった。そんな俺に一班の子達はあからさまに嫌そうな顔をした。


「きったな! もう、飲み込んでから喋ってよ子供じゃないんだから」


 生徒達に「よく噛んで食べろ」と指導している立場から直さなくてはと思いつつ、どうしても急いで食べる癖が抜けない。実家ではいつも兄貴とおかずを奪い合っていたから、ゆっくり食べると無くなってしまう様な気がするのだ。


「……ゴックン。すまん、気を付ける」


 今度はちゃんと口の中を空にしてから謝るが、田口は許してくれない。


「トベ先生って全体的にガサツだもんね」


「そうそう、彼女さんが可哀想」

「品がないんだよね」


 ぐうの音もでない。田口の言葉に坂井や山本といった一班の女子が追随して俺は閉口するが、端の席に座る霧嶋頼人(きりしまらいと)からありがたい助け船。


「あんまりいじめるなよ。ほら、四組(うち)はトベ先生がマイナスな分、副担任がカバーしてるじゃん」


 誰がマイナスだよ、フォローになってない霧嶋の言葉に心の中でツッコミを入れながら、窓際の今川先生に目をやった。

 確かに、その食事の様子は美しかった。

 背筋はピンと伸びて、鯖の塩焼きの皮だって俺みたいに一気に剥がして適当に丸めて置いたりしない。食べる分だけ皮をめくって、丁寧に小骨を取って。牛乳瓶に唇をつけても、彼女の口の周りは汚れていない。

 その姿はまるで白鳥やフラミンゴみたいに優雅で、上品だった。彼女と比べられたら、月とゴミムシと言われても仕方ない。悔しいが、女子の言う通り俺には品がない。


「そうだな、俺を反面教師にして今川先生をお手本にしてくれ。今さら俺が上品になんてなれる気がしない」


 やっぱり気品ってのは育ちだと思う。男所帯で育った俺には縁遠いものだ。なに、それでも最低限のデリカシーがあればいい。大切なのは思いやり。心を強く持て兼好。


「まあ、俺たち男は多少ガサツぐらいで丁度いいでしょ。女の人はそうはいかないかもしれないけど」


 女の癖に下品だ、なんて評価するのは時代錯誤も甚だしいが、やはり上品な女性は美しくて、対する男は汚ならしい。


「そうだよね、今川先生みたいになれればいいんだけどねー」


 田口が霧嶋の顔を見ながらこぼした。この時の俺はその視線の意味に気付いてなかった。



 『徒然ww 七十二段 賤しげなる物、』

 


 給食の後は掃除だ。今週は一班と二班が教室の担当だった。机を後ろに寄せて、箒をかける者、ロッカーと黒板を拭く者など手分けして皆キビキビと動いていた。


 しかし、今日は本当に暑いな。窓を開けて風を取り込みたい所だが、花粉症の酷い生徒がいるのでそうもいかない。時期的には早いが午後からはクーラーを入れようか。四月とはいえ気温次第では熱中症になってもおかしくない。

 

「こんなもんかな。えーっと、ちり取りちり取り」


 ちり取りを持っていた田口に霧嶋が近付こうとした、その時だった。


「あー暑い暑い! あ、丁度いいや。わー、涼しい!」


 よっぽど暑さが堪えたのか、田口がスカートの端をつまみ、持ち上げた。そしてあろうことかちり取りを団扇の代わりにしてスカートの中をパタパタと扇ぎだしたのだ。俺はたまらず注意する。


「田口、下品だぞ!」


「えっ? あっ……」


 田口は俺に注意されて初めて気付いたのか、顔を赤くしてスカートを抑えた。霧嶋も何も見ていない風を装って視線を反らす。その反応を見て更に田口は顔を染めて、耳の先まで真っ赤だった。

 少し気まずい空気が流れ、どうしようか迷っているとそんな空気を読まずに今川先生が教室に入ってきた。


「あれ? みんな固まってどうしたの? あーそれにしても暑いなあ。あ、詩子それ貸してくれる?」


 強引に田口からちり取りを奪い取ると、今川先生もスカートをめくってちり取りで扇ぎ出した。

 いくら今川先生といえど、流石にスカートの中を扇ぐのは下品としか言いようがない。上品の体現者だった彼女のまさかの行動に、俺も霧嶋も田口も言葉を失ってしまった。


「あー涼しかった! ありがと詩子、返すね。卜部先生、昼イチの職員会議をするそうなので呼びに来たんです。行きましょう」


 豆鉄砲を喰らった様な表情の田口にちり取りを押し付けると、俺の返事も待たずにスタスタと廊下に出ていってしまった。慌てて彼女を追い掛け、横に並ぶ。


「今川先生、生徒の前であんなことをするなんて貴女らしくない」


「あんなこと?」


 強めの口調で(いさ)めるが、彼女は素知らぬ顔、どこ吹く風。


「ちり取りでスカートの中を扇いだでしょう? 実はその前に田口が全く同じ事をして、下品だと注意したんです」


 教師だって完璧な人間な訳じゃない。だけど、今川先生はクラスの女子達からは憧れの様な存在だ。それを壊す行動はして欲しくない。


「詩子は頼人が好きなんです。気付いていませんでした?」


「は?」


 いきなり何を言い出すんだ。そうだとしても、それが何だって……


「詩子も何の気なしに扇いじゃったんだと思いますけどね。好きな男の子の前で下品だって指摘されて、顔から火が出るくらい恥ずかしかったんじゃないでしょうか」


「あ……」


 あそこで俺が指摘しなかったら誰も気にしなかったかもしれない、他愛もない日常だったかもしれない。だけど俺が下品だと言ってしまった。年頃の女の子にとって好きな男に下品だと思われるのはどれ程の事か、想像に容易い。

 だから今川先生は自分も同じ事をした。大人の女性でもやるんだから大した事ないとでも言うように。


「まあ、私も家では風呂上がりとかタンクトップ一枚で扇風機独り占めしてるから、あながち演技でも無いんですけど」


 上品という言葉は所作の美しさを表すだけじゃない。細かな気配りこそが品なのだ。

 

 はあ、本当に俺はガサツで、下品な男だな。


「今川先生が副担任で良かった」


「ほえ? いきなり何ですか?」


 一応は俺が指導する立場なのだが、本当にどちらが先輩かわかったもんじゃないな。


「いえ、これからもよろしくお願いします」


「はあ、よくわかりませんけど、こちらこそ」


 頼もしい相棒と共に職員室へと向かう。ふと空に目をやればとうにうす雲はとうに千切れて、ひつじ雲がお行儀よく並んでいた。






徒然草 七十二段 意訳


 下品に見える物。

 デスクの周りのあちらこちらに仕事道具や文房具が散らかっている様。

 仏壇に仏像がたくさんある様。

 庭に花や木が所狭しとひしめき合っている様。

 家の中に子や孫がうようよしている様。

 人と会うととめどなくお喋りしてしまう様。

 仏への願い事に自分の事ばかり書いてしまう様。


 たくさんあっても下品に見えないものは、本がぎゅうぎゅうに詰まっている本棚と、ゴミ箱の中のゴミぐらいだろう。



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