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百三十九段 梅は、白き、薄紅梅

徒然草 百三十九段 原文


 家にありたき木は、松・桜。松は、五葉(ごえふ)もよし。花は、一重(ひとえ)なる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り(はべ)るなる。吉野の花、左近(さこん)の桜、皆、一重にてこそあれ。八重桜は異様ことやうのものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜(おそざくら)またすさまじ。虫の附きたるもむつかし。梅は、白き・薄紅梅(うすこうばい)。一重なるが()く咲きたるも、重なりたる紅梅の(にほひ)めでたきも、皆をかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧されて、枝に萎みつきたる、心うし。「一重なるが、まづ咲きて、散りたるは、心疾く、をかし」とて、京極入道中納言きやうごくのにふだうちゆうなごんは、なほ、一重梅をなん、軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南向むきに、今も二本(ふたもと)侍るめり。柳、またをかし。卯月(うづき)ばかりの若楓(わかかへで)、すべて、(よろづ)の花・紅葉にもまさりてめでたきものなり。(たちばな)(かつら)、いづれも、木はもの古り、大きなる、よし。


 草は、山吹(やまぶき)(ふぢ)杜若(かきつばた)撫子(なでしこ)。池には、(はちす)。秋の草は、(をぎ)(すすき)桔梗(きちかう)(はぎ)女郎花(をみなへし)藤袴(ふぢばかま)紫苑(しをに)吾木香(われもかう)刈萱(かるかや)竜胆(りんだう)・菊。黄菊も。(つた)(くづ)・朝顔。いづれも、いと高からず、さゝやかなる、(かき)(しげ)からぬ、よし。この(ほか)の、世に稀まれなるもの、(からめき)たる名の聞きにくゝ、花も見馴れぬなど、いとなつかしからず。


 大方(おほかた)、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興ずる物なり。さやうのもの、なくてありなん。

「始業式に撮ったクラス写真が出来上がったから、帰りの会で渡そうと思う。もし俺が忘れてたら教えてくれ。じゃあ、連絡事項は以上」


 桜の花も散り、始業式から一週間ほど過ぎたある日。朝のSHR(ショートホームルーム)を終え、職員室には戻らずに一階の端にある保健室へと向かう。

 一時限目の授業に俺が担当する国語はどのクラスにも割り振られていない。その理由は保健室にいる、一人の男子生徒。


「おはよう梅津」


 保健室に入ると、彼はいつもの様に窓際の日当たりのいい場所に陣取って本を読んでいた。線が細く、肌が白いというか全体的に色素の薄い子で、俺に気付くとそっと微笑を浮かべた。



 『徒然ww2 百三十九段 梅は、白き、薄紅梅』



「おはようございます卜部先生。毎朝大変ですね」


 彼の用意してくれた椅子に腰を下ろし、向かい合う。

 三年四組出席番号一番、梅津馨(うめづかをる)は教室で授業を受けられない。いわゆる保健室登校の生徒だ。中学校に入ってしばらくの後、彼はその殆どを保健室で過ごしている。

 勉強が出来ないかと言えばそうではないらしく、課題もきちんと提出して、テストではいつも高得点だそうだ。


 ただ、他の生徒達と同じ教室で授業を受けられない。


 だから毎朝一時限目は保健室で梅津と話をするのが日課だ。

 理由は聞かされていないし、本人にも聞いていない。まだ俺が担任になって一週間だ。急ぐことも無いし、正直、少し教師がフォローするだけでテストも出来ているのなら、無理に授業に出る事はない。これからのネット社会、面と向かい合わなくても、いくらでもコミュニケーションの取りようはある。

 とは言え、校長から梅津の担任を任された時は正直困った。俺は何も知らない新参者なのだ。吉田中(前の学校)の校長が俺の事をなんて紹介したか知らないが、どうやら熱血教師として期待されてるらしい。他所から赴任してきたばかりの俺には荷が重いのではと考えた事もあるが、結局俺に出来る事は一つしかない。生徒と真摯に接する事、その一つのみだ。


「大変でもないな。梅津は俺の言う事全部笑ってくれるから俺も楽しい。ってお前、その本どこで見つけたんだよ」


 彼の手には「性格を直す本」と題された自己啓発本。高校生の頃に買って読んだ、思い出の一冊だ。


「卜部先生が店員さんに聞いた時の気持ちを想像しながら読むと一層理解が進むんだよね。ホント、その場に居たかったなあ。話を聞いただけでこんなに笑えるんだもん、実際に目撃したらそれだけで一年は笑ってられるよ」


 俺が高校生の頃、仲間内で麻雀が流行った。と言ってもお金を賭けてた訳じゃない。が、まだお金の方がマシだったのかもしれない。賭けたのは罰ゲームだ。麻雀を打つ前に皆で考えた罰ゲームを最下位の者が実行するというルールだった。

 ある日の麻雀で賭けられた罰ゲーム。それは本屋に行って店員さんに「性格を直す本ありますか?」と聞いてくる物だった。

 今思い出しても酷い。残酷にも程がある。

 お察しの通りこの日の麻雀に負けた俺は、仲間達が先回りして潜伏している中に一人で本屋に赴き、「性格を直す本ってありますか?」と大声で質問した。笑いを堪える仲間達を横目に俺はもう恥ずかしくて恥ずかしくて。そんな俺の様子に店員さんは本当に困っているのかと思ったらしく、「どういう性格を直したいのでしょうか?」と真剣に聞いてきて、俺はもう半泣き。「いいから、性格を直す本を出してください」と懇願し、たまたまタイトル通りの本があったようで、差し出された本を購入して逃げるようにその場を去った。それ以来あの本屋には行っていない。


「その本の内容が結構的を得てるのがムカつくんだよな」


 性格を直す本は最初にフローチャートから始まり、自分の性格傾向を知る所から始まる。自分の抱える問題が何なのかを知る事に重点を置いた、非常に役に立つ啓発本だ。


「いい買い物だったじゃん。フローチャートさ、俺は何でも自己解決タイプだった。まあ、合ってるから何も言えねえ」


 人に相談せず、いつも一人で答えを出してしまう自己解決タイプ。


「俺と同じだ」


 出来るだけ人に迷惑を掛けたくないっていう安いプライドと、俺の事は俺以外にはわからないっていう拗れた決め付けが根幹にある、ある意味一番救いようがないタイプだろう。


「そうなんだ。それでか、卜部先生が押し付けがましくないのって」


 俺の人生(そだち)は特殊だ。自分の家庭の在り方を理解しながら、ついに納得出来なかった。婚約者にも言えず、今も一人で抱えている。


「本人にしかわからない事ってあるからな。だから、お前にも強要はしない」


 実は梅津も特殊だ。彼の年齢は十七歳、本来なら高校三年生だ。白血病を患い、小学校卒業と同時に三年間入院している。幸い骨髄提供を経て、白血病患者としては奇跡的な短期間で退院した。そして、改めて南部中に一年生として入学したのだ。梅津の達観した様な大人っぽさは年齢だけじゃなく、闘病生活の中で得た物だと思う。


「ふうん、変わってるね先生。前の先生は理由とかさ、しつこく聞いてきたのに」


 それは仕方ない。ノルマというか、教師には実績目標が設定される。進学率とか、不登校の解消とか。今では殆ど廃止されているが、昔はいじめが起きたクラスの担任に懲罰を与えるという地域もあった。加点ではなく減点方式の評価は悪影響しか与えない。あってはならないことだが、隠蔽してしまう教師がいるのも無理はない。教師の前に人間なのだから。


 だけど、俺は人間である前に教師だ。


「俺は職務に怠慢なんだよ」


「ハハ。ダメ教師じゃん」


「そうだな。よく言われる」


「俺も、ダメ生徒かな?」


 おどけて言うが、顔は笑っていなかった。


「だとしても別にいいだろう。生徒全員が櫻井みたいだったら無茶苦茶疲れるぞ。俺が」


 三年四組のクラス委員、櫻井憧子(あこ)はザ・学級委員長という感じの、自分にも他人にも厳しい女子生徒だ。ずぼらでガサツな俺はこの一週間の内に何度も注意されていて、既に教師としての面目はなかった。


「アハハ、確かに憧子ばっかだったらキツいかも」


 先程とはうってかわって破顔した。櫻井の名を聞いて、綻んで崩れた。


「櫻井とは幼馴染みなんだって?」


 そして、俺のこの一言でまた表情が止まった。


「……それさ、核心ついてるのと同じなんだけど、わざとやってる?」


「いや、嫌なら話題を変える。答えなくていい」


 ふう、と一息吐いて、達観した様な彼特有の雰囲気のまま、窓の外の花弁が落ちた桜をおぼろげに見つめ、ぽつりぽつりと話し始めた。


「家が隣でね、三つ下の憧子は小さい頃からお兄ちゃんお兄ちゃんって甘えてきた」


 中学生活を始めからやることに決めた梅津は、最初は問題なく学校に通えた。大人びた雰囲気はあっても、入院生活で痩せた体の為に高校生には見えなくて、言わずとも周囲は彼を同級生と思って接してくれたからだ。

 しかし、櫻井憧子がいた。

 ある日「お兄ちゃん」と声を掛けられ、周囲は彼が十五才であることを知ってしまった。周囲はそんな彼に対しての接し方を見失ってしまい、梅津自身も変わってしまった同学年の年下の生徒にどう接していいかわからなくなった。


 やがて教室に行けなくなった。


「多分、憧子は自分のせいって思ってんじゃないかな。俺もお兄ちゃんとしてちゃんとしなきゃって思うけど、どうしても教室には行けなくてさ」


「そっか。無理することはない」


 俺が梅津に教室に来いと言った所で何の意味も無い。自分の心さえ制御出来ない人間に、他人をどうこう出来るはずもない。


 残念ながら、教師に特別な力なんてない。

 乱暴に言えば、いつだって子供は勝手に育つ。それこそ、親はなくとも、教師などなくとも、子は育つのだ。


「先生さ、裏門って通った事ある?」


「ああ、一度だけある」


 梅津は同級生にどんな顔して合えばいいのかわからないのだろう。いつも人目を気にして、隠れるように裏門から入って来るそうだ。

 

「裏門の周りにさ、遅咲きの品種の梅が植わっててさ、先週から花が咲いてるんだ」


 表の校門から校舎の入り口までの桜並木と対称に、裏門には梅の木が植えてある。桜に紛れて、隠れるように咲いていた。


「ああ、俺も見たよ。綺麗だよな」


「みっともないだろ」


「みっともない?」


「主役はとっくに桜なのに、梅なんかが今頃張り切っちゃってさ。裏門で、誰に見られる訳じゃないのに咲いちゃってさ、みっともないよ」


 梅の花を自分に重ねているのか、下唇を噛んで、花の落ちた桜を羨ましそうにじっと見つめた。


三年四組(うちのクラス)の生徒はそんな風に思ってないみたいだけどな」


「はあ? 何でそんな事わかるんだよ」


「何でって、これ見たらそりゃあな」


 梅津に差し出したのは始業式に撮ったクラス写真。残念ながら梅津の姿は無い。


 だけど、皆の心の中に梅津はいた。

 裏門の前の、梅の木の前で写るクラスメイトの写真を見て、梅津は目を見開いた。


「こういうの、普通は桜の前で撮るもんだろ。何で裏門の、梅の花の前で皆ピースしてるんだよ」


 一組から順番に撮影が始まって、どの組も校門の一番大きな桜の木の前で撮っていた。だけどうちの番になった時、櫻井が裏門で撮りたいって言い出したのだ。皆も賛同して、裏門に移動して梅の花をバックにクラス写真を撮った。事情を知ってる今川先生なんかは泣いてしまって、涙が乾くまで少し待った。


「そりゃあ、梅の花が綺麗だったからだろ」


「皆バカだなあ。……ったく、いいクラスで良かったね先生」


「ああ、本当にな。助かるよ」


 梅津は照れくさそうに表情を崩した。そんな彼を見て、三年四組の教室に梅の花が咲く、そんな日も遠くないんじゃないか。そう思った。

 



徒然草 百三十九段 現代意訳


 家に植えたい木は松と桜だ。松なら五葉。桜なら一重の花がいい。八重桜と言えば、昔は奈良の都だけに咲いていたのに、近頃は、色んな所で見るようになった。吉野山や平安京の桜は皆一重のものしかない。八重桜は邪道で、うねうねとねじれて花をつける。わざわざ家の庭に植えるものではない。遅咲きの桜も評価しようがない。毛虫にまみれながら咲く花など見ていられないだろう。梅の花は白か薄紅梅がいい。一重の花がひと足早く咲いた後、八重の花があとを追うように咲くのは見事である。遅咲きの梅は、主役を桜に奪われている事に気付いていない役者のようで、大して見向きもされず、人知れず萎んでいく。「一重の梅が最初に咲き、最初に散っていくのは潔く、見ていて気持ちが良い」と藤原定家も庭に植えていた。今も定家の家の日当たりのいい場所に二本生えている。また、柳もいい。新緑の楓の若葉は、どんな花や紅葉にも負けないだろう。橘や桂といった木は、どれも古く大きいものが良い。


 草は、山吹、藤、杜若、撫子が良い。池に浮かべるならやっぱり蓮。秋の草ならば、荻、薄、萩、桔梗、女郎花、藤袴、竜胆、菊。そして黄色い菊の花。蔦、葛、朝顔はどれも程々の長さで、塀に絡まないほうが良い。これ以外の、外国産だったり滅多に名前も聞かない様な植物は全く愛でる気にもならない。


 どんな物も、珍しかったり貴重な物は下品な人がコレクションして喜ぶ物でしかない。そんな物は庭に植えなくて良い。


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[良い点] コレマタやさCセカイ 原文から、この物語になるのが何とも心憎いです。
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