バレンタインデー・デー
薄暗いダンジョンの中、玄室を制圧した冒険者ジョアンは干し肉を口にして顔をしかめた。
「チョコだこれ……」
ご存知の通り、異世界にもバレンタインデーはある。
いずこかの次元よりチョコの概念を持ち帰ったバレンタインデー氏にちなんだ記念日だ。
その日、あらゆる生物が口にするものはチョコとなる。
『ピンポンパンポーン、緊急依頼です!! 郊外にチョコスカイマグロギョクーザが出現しました。お手すきの冒険者は奮ってご参加ください!! 討伐報酬にギルドガールお手製のチョコもありますよ!!』
「……行かないのかい?」
冒険者ギルドに併設された酒場にて。
同じテーブルを囲んでいる魔女ベリルはニヤニヤとした笑みを浮かべてジョアンをつついた。
深い青色の髪に、艶やかな顔立ちと細く均整のとれた肉体。それらを大胆にスリットの入ったローブに包んだ隠者はジョアンにとって同業者であり、薬品店の店主と客であり、腐れ縁の仲と言える。
「勘弁してくれ。干し肉味のチョコで今日はもう腹いっぱいだ」
「ぷっ」
ベリルがふいっと顔を背けた。
ジョアンが睨むと、魔女は誤魔化すように煙管の先端に魔法で火をつけた。
むわりとチョコ味の煙がテーブルを侵食していく。
ジョアンはダンジョンから帰還したばかりで、今はドロップ売却の清算待ちをしているところ。
当然、汗と返り血とチョコ臭が合わさりすえたような匂いがするが、ベリルはそれをおくびにもださないマナーと、さりげなく匂いを打ち消してあげる優しさと、ここぞとばかりに独身男性をからかう底意地の悪さを併せ持っていた。
ジョアンは胸焼けを堪えつつ顔をしかめてみせた。
「こんな日によく吸えるな……」
「昨日の時点で甘味を感じる味覚を抑える薬を飲んでおいたからね。今日という日を忘れてダンジョンに潜った君とは違うのさ」
「薬買いに行ったときに教えてくれよ」
「魔女には対価が必要なのさ。なんだってね」
そういう態度だから腕の割に客が俺しかいないんだぞ、と指摘しようとしてジョアンは煙チョコをモロに吸い込んで突っ伏した。ひどい胸焼けだった。
「今日はもうダメだ。俺ァ帰って寝る」
「そうだね。私もそうしようかな」
「薬作んなくていいのか?」
「さすがの私も材料の組成が概念的に変わっちゃう日に薬を作る勇気はないさ」
魔法と、それ以上に卓越した薬草術の権威たる魔女にそこまで言わせるバレンタインデーがジョアンは恐ろしかった。
日ごろは森の草庵に籠っている彼女が街に出てきているのも他にすることがないからだろう。
……チョコ味に負けたジョアンが早々にダンジョンを脱出するのがわかっていたから、というのもあるのだろうが。
『ピンポンパンポーン、チョコスカイマグロギョクーザが撃破されました!! これより討伐戦参加者による私謹製チョコを賭けたトーナメントが開催されます。賭け札は窓口でも販売しております!!』
「俺ちょっと賭けてくるわ」
「私も同じのお願い」
「あいよ」
「ほい」
「ありがとう。そっちのジョッキはなに? チョコ?」
「現実突きつけてくるのやめろ。誇り高きギルドコックがバレンタインでも飲めるよう調整した蒸留酒だとよ」
「いいね。一口くれるかい?」
「ああ。いいぜ」
ベリルは渡されたジョッキを両手を包むようにして持つと、控えめに唇をつけてこくりこくりを飲み干した。
「ん、おいしい」
「どれどれ……たしかにうめえ。さすがの腕だ」
「再現は難しそうだ。味は私も専門外だからね」
郊外から響く爆撃魔法の余波で蒸留酒チョコの表面に波紋が浮かぶ。
今日も今日とてダンジョン街は平和だった。
「ねえ、ジョアン。バレンタインデー氏がなんで自分の記念日をこんなのにしたのか知っているかい」
「みんなにチョコ食わせたかったからじゃないのか? 自分がダンジョンの向こう側から持って帰ったモンだしな。干し肉味のチョコを予測できなかったことについては物申したい気持ちもあるが――」
「――誰もチョコを贈らないようにするため」
「……なに?」
「誰もチョコを贈らないようにするため、さ。なにもかもがチョコになってしまえば、わざわざチョコを贈ろうとする者はいなくなるでしょう?」
「いや、けど、それは……逆効果だろう?」
呆れたように言うジョアンにベリルは笑みを深くした。
粗野なようでいて本質を掴むジョアンとの会話はベリルの数少ない楽しみだった。
「ふふ、その通りさ。チョコのなかったこの次元にチョコを贈るという風習はなかった。
バレンタインデー氏は逆説的にチョコは贈るものであることを確定させてしまったんだ」
「難儀な話だな。そんなに嫌ならチョコなんざ持って帰らなきゃよかったのにな」
「さてね。ダンジョンの向こう側からなにを持って帰れるのか。それは冒険者が選べるものなのか、そうでないか、あるいはなにか法則があるのか、そうでないのか。なにもわかっていないからね」
「あんたが冒険者やってるのはそれを知りたいからか」
「純粋に向こう側なる次元に興味もあるけどね」
「そうかい」
わずかに、テーブルを沈黙が流れる。
不快な沈黙ではなかった。ジョアンは静かにジョッキを傾け、ベリルは煙管をくゆらせる。
場にはただ、煙チョコの匂いがしていた。
『ピンポンパンポーン、トーナメントの優勝者は私です。小枝見てから昇竜余裕でした!! 乙女のチョコは甘くないんですよ!!』
「勝ったな。払い戻し受けてくる」
「私のもお願い」
「はいよ」
「ほい」
「ありがとう。お代わりか。気に入ったのかい?」
「水チョコの百倍マシだしな。なにより酒だ。酔える」
嘯きながらジョアンはもう一つ持っていたジョッキをベリルの前に滑らせた。
ベリルは前髪に隠れた目を瞠り、それとわからぬ程わずかに口元を緩めた。
「……ありがとう」
「おう。ところで、チョコはどんな相手に贈るもんなんだ?」
「諸説あるよ。ただ、バレンタインデー氏は若い男性で独身だったから、女性から贈るもの、という解釈が主流だね」
「独身強調するのやめろ。……で、そういうことなら」
ジョッキを傾けて一口。
「おつまみまだ?」
「……君のそういうところ、嫌いじゃないよ」
ベリルは笑って、懐から今日という日のために用意したそれを取り出したのだった。
それはもちろんチョコだった。
・登場人物紹介
冒険者ジョアン
一山いくらの一流冒険者。
魔女ベリル
比較的拗らせてないタイプの魔女
バレンタインデー氏
ダンジョンを踏破し向こう側からチョコの概念を持って帰ってきた冒険者。
本名その他すべてが不明。帰還直後の「これがバレンタインデーの終わりだ!!」という叫びから一般にバレンタインデーと呼ばれる。
おかげで記念日がバレンタインデー・デーになって語呂が悪いと巷では不評。
・お題セリフ
「おつまみまだ?」
「小枝見てから昇竜余裕でした」