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 女王陛下の大声で、平和ボケした側近たちはようやく異変に気が付いたらしい。

 奥の間で気絶している姉妹たちの惨状に悲鳴をあげつつ、犯人のわたしを見てはひそひそ声で何かを囁き合う。女王陛下の厳しいお言葉は、誰もが耳にしただろう。

 なぜ、どうして、そんな単語が飛び交ったが、いちいち構う気分にはなれなかった。


 もうすぐ、わたしの未来が決まる。

 おそらく明るいものではない。女王陛下のご意向を無視したのだ。しかも、大切な蛹を持ち出そうとした。世間では、わたしが畏れ多くも女王陛下の愛妾欲しさに誘拐しようとしたと言われているが、まさかそれが救出だったと考える者はいない。本当の、本当に、女王陛下はわたしを含めた一部の側近にしかあの計画を話していないのだ。


「なんて馬鹿なことをしたの?」


 奥の間に閉じ込められたまま思考に耽り続けるわたしに、ここしばらく世話係をしてくれていた姉妹がそう声をかけてきた。脱出の際にわたしが危害を加えた者だ。それにもかかわらず、彼女は怒りも恐怖もわたしに向けてこなかった。ただ、どうして、なんで、という疑問ばかりがこちらに向いていた。

 もちろん、彼女だって愚か者ではない。わたしとの一定の距離は常に保ちながら、それでもこちらを心配してきていたので、少し驚いた。


「陛下は怒っていらっしゃるわ。病気なのだとしても、あんなことをすれば示しがつかないって」

「ええ、わたしは危険人物なのよ」


 開き直ってそう言ってみれば、少しは気分が軽くなる。

 密室の隅でうずくまりながら寄り添うのはあの蛹だ。陛下は何故か蛹を持たせてくれた。おそらく、もうわたしの先が長くない証拠なのだろう。絶対に脱出できず、死を待つしかないわたしに、せめてもの慰めということか。

 香りを堪能しながら、その中に確かにいるはずのあの胡蝶を思い出しながら、泣き出しそうな気持ちを抑えるしかなかった。


「そんなことを言って。本当に厳しい罰を受けることになったらどうするの? 私は嫌よ。こうしてずっとお世話してきた人がひどい末路をたどるなんて」

「首を絞められたのに?」

「……痛かったわ。死ぬかと思った。今も痛い。でも、それはそれ。あなたは病気なのだって陛下が仰っていたのだもの。それに、あなたは覚えていないかもしれないけれど、子どもの頃の私にご飯を食べさせてくれたのはあなただったのよ。そんな人の死ぬところなんて見たくないの」


 どうやら、根っからの平和主義者だという推察は正しかったらしい。

 女王陛下もどうしてこのような姉妹をわたしの世話係につけたのだろう。その意味を見出そうとして、慌ててやめた。どんな意図があったにせよ、台無しにしたのはわたしの方だ。それだけ、この子が諦められなかった。でももう、終わりだ。今度こそ、終わりを待つしかない。


「――どうして、その蛹を盗もうとしたの?」


 姉妹が怪訝そうにこちらを見つめてくる。


「王国民たちはあなたが”イイコト”した思いが忘れられなかったためだと言っていたけれど、本当にそうなの?」

「そういう事でいいわ。だいたいは合っているもの」

「確かに香りはいいけれど……。何だか変ね。あなたも陛下も隠し事をしているみたい。もちろん、陛下のことを疑いたいわけないのだけれど」


 不思議そうにそう言いながら、彼女はやっと立ち去ってくれた。

 そうだ。そうやって疑う者も現れる。この胡蝶をうまく処分して振舞えたとしても、いつかは国民に知られてしまう。そうなったら、女王陛下だって信頼を失ってしまうのではないのか。

 蛹を抱きしめながら、わたしは考え続けた。どうにかこの子と生き延びる方法はないか。次の方法はないものか。けれど、虚無感は常にわたしに寄り添っていた。どうせ何をしても無駄だと言う思いが頻繁に顔を覗かせてきて、在りし日の陛下のお姿と首を刎ねられる棘蟻姫の堂々とした姿を思い出してしまった。


 陛下は、わたしを死罪にするおつもりだろうか。

 蛹を抱えながら呆然と考え、そして、静かに蛹に呟いた。


「ごめんね。わたし、役立たずだった」


 そこでようやく緊張の糸が解け、涙があふれていった。



 王座の前にてわたしは跪いていた。

 蛹は側近の一人が大事に抱えている。両脇には屈強な姉妹が武器を手にして立っている。いつでもわたしの命を奪う準備は整っているらしい。そのすべての権利を握っている女王陛下は、王座につきながら厳しい眼差しでわたしを眺めていた。

 辺りは蛹の放つ仄かに甘い香りに包まれていた。見物者たちは何処となく落ち着きがない。王国民のすべてがいるわけではないが、大勢の者達がそわそわしている様子は妙な緊張感を生むものだった。それでも、女王陛下だけはその空気の中にあって石のように動じていなかった。


「さて、ひと晩考えてもらったところで聞かせてもらおう。悔い改める気にはなったか?」


 顔をあげてみれば、女王陛下はじっとわたしを見つめていた。

 悔い改める。それは、精神的な敗北を意味する。今の時点で、惨めなほどに勝敗は決まってしまっているが、意思までは侵されていない。それでも、陛下は容赦なくわたしを睨みつけていた。正確には、わたしの小さな体の中に確かに宿っている魂である。

 答えられずにいると、陛下はため息交じりに言った。


「お前との縁は決して短いものじゃない。王国統一以前より私の傍に仕え、健気に尽くしてきたことを私は重く見ている。急遽した先代の跡をこの私が継げたのも、いくらかはお前のように心身ともに支えてくれた存在あってのことだろう。そんなお前を平和な時代において失うのはよろしくない。こんなつまらない事でいがみ合うのは不幸なことだ」


 だから、と女王陛下は目を細めた。


「蛹を誘拐しようとした罪を認め、悔い改めるというのならば、お前のことを赦そう。まだまだ奥の間に暮らしてもらうことになるが、明日以降の世界をその目で見つめ、その肌で感じることのできる権利を認める。質問はあるか?」

「……条件はおありですか」


 震えを抑えて訊ねてみれば、女王陛下は「勿論」と答えた。


「今後一切、その胡蝶に関わるな。それが無事に羽化するまで、おとなしく奥の間で暮らし続けることを誓え。その誓いを守るならば、お前に未来を与えよう」


 答えは決まっていた。

 ここで女王陛下を騙す形で誓ったとしても、前のような機会は二度とこないだろう。平和ボケした王国といっても、一度目覚めれば守りは強固なもののはずだ。危険人物だとわたしを一度認識した以上、同じ手は通用しない。

 それなら、どうすればいいのか。どうするのがマシなのか。哀しいほどに万策は尽きていた。抗う気力が圧し折られてしまっては、考えることすら出来ない。

 だって、女王陛下の聞きたい言葉は一つだけなのだ。その言葉をわたしが頑なに話さないとなれば、わたしたちの未来なんて決まってしまっている。


 おっかない姉妹に挟まれたまま、わたしは酷い目眩をこらえながら女王陛下に訴えた。


「せめて最期に、蛹を抱きしめさせてください」


 これが正式な答えとなった。


 女王陛下は呆れたように唸り、側近を睨みつけた。その眼光に押し出されるように蛹を抱いた姉妹が近づいてきて、慎重にわたしに抱かせてくれた。

 周囲では一瞬だけざわめきがひどくなった。わたしの決定を、そしてこれからここで行われることを、話しているのだろう。きっと皆、わたしのことを気が狂ってしまったのだと思っている。そうかもしれないが、それでもいい。受け取った蛹の感触が、少しだけあの胡蝶の少女を思い出させてくれた。


 常に愛らしく、我ら黒大蟻の民の心を掴んだ妖精。

 噂に聞く美しさはなかったが、それでも不思議な愛嬌が彼女の武器だった。懐かしい。あの頃は、ただただ陛下に気に入られたくて、命じられるままに近づいたはずだったのに。

 蛹を抱きしめていると、女王陛下が立ち上がった。


「長くの付き合いだ」


 見上げてみれば、かつて見た時と変わらない神々しい姿がそこにあった。


「他人の手は借りん。お前たちは、下がれ」


 両脇にいた屈強な姉妹たちが大人しく下がっていく。

 急に解放されたような気分になったが、迫ってくる女王陛下の姿を前にすればすぐにその気分も失せるものだ。あふれ出る恐怖から逃れたい気持ちを蛹に癒してもらいながら、静かにその時を待った。

 女王陛下は刃を振り上げ、わたしを見つめたまま言った。


「最期にもう一度、訊く。本当に、悔い改める気はないのだな?」


 頷くことすなわち、わたしの最期だ。

 それでも、こうなってしまった以上、頷くしかなかった。


「そうか」


 女王陛下の呟きを聴きながら、わたしはぐっと目を閉じた。今度こそ、あの刃がわたしの命を奪う。そのぎりぎりまで、蛹のことを感じたかった。

 わたしの方が先に逝くことになるが、どうかこの子には幸運あれ。奇跡でもなんでもいいから、この子が恐ろしい計画に巻き込まれることがないように願うだけ。

 わが身に降りかかるだろう絶大な苦痛の気配に怯えながら、それでもぎりぎりまで気をしっかり保とうと必死だった。


 ところが、終わりの時は来なかった。


「ああ、もう!」


 苛立った声をあげて、女王陛下が刃を落としてしまったのだ。

 突然の事に、側近たちがびくりと震えた。わたしの方は目を開けてぽかんとしたまま彼女を見上げた。不快そうな顔をしているが、先程までの誰かの命を奪う時の様な恐ろしい気配はなかった。

 ただ、わたしへの苛立ちを露わにしているだけだ。


「とんだ頑固者だ、お前は」


 叱るように彼女はそう言って、ひとりだけ王座に戻っていった。

 どさりと座り込むその姿を、周囲は不思議そうに見つめる。そんな視線を浴びながらも、彼女は平然と言ってのけたのだった。


「止めだ止め! こんなくだらない理由の処刑はたくさんだ。そんなに胡蝶が欲しくば、お前にくれてやる。どうせ、いい香りがするだけの蛹だ。青虫時代の旨味はない。羽化すれば何処へなりとも飛び去ってしまうだろう」

「陛下……わたしは……」


 いまいち状況が把握出来なくて狼狽えるわたしを、陛下はさらに睨んできた。


「これでは私は極悪非道の暴君みたいではないか。ただでさえ、昔の事を知る民は貴重なのに、こんなくだらない罪で、いちいち処刑していられるか。お前の様に無力な側近ならば尚更だ」

「……でしたら、どうしてこんな場を?」

「お前を試したのだ。命を奪われるとあれば、きっと蛹の事は諦めるだろうとね。それがなんだ。我が子でもない胡蝶と心中しようとするなんて。呆れて物も言えない。そこまで重病だったとはね」


 苛立ち気味に囁く女王陛下の姿に、見物者たちもまた囁きだす。

 その視線が向けられているのは、主にわたしの方だ。それでも、全く気にならなかった。じわじわとこの状況の意味が理解できてくると、とうに諦めた希望の光を感じてしまって体が震え始めた。

 蛹を抱きしめたまま呆然とするわたしを見て、女王陛下は大袈裟なくらいため息を吐いた。


「私の負けだ。その蛹にまつわる諸々の予定は取り消しだ。羽化まで見守り、見送る許可をお前に与える」


 周囲の者達が意外そうにこの場を観ていたが、誰もが異存なしの構えをとった。

 蛹を持ったまま、わたしは恐る恐る立ち上がってみた。女王陛下の眼差しは呆れを多く含んでいたが、先程までの脅威は一切ない。取り囲む姉妹たちも、好奇心はあれど敵意なくわたしを観ていた。

 その中のどのくらいが、わたしと陛下と、そしてこの蛹にまつわる真実を知っているのかは分からないが、この様子に微笑みを浮かべる者もいた。よく見れば、わたしが危害を加えたあの姉妹だ。


「一応、聞いておこう」


 女王陛下はじっとわたしを見つめ、言った。


「異存はあるか?」


 多少、行儀を悪くしていても、神々しさは変わらない。

 その顔をしっかりと見つめ返して、わたしは再び跪いた。


「ありません」


 我ながら、泣きそうで情けない声となった。

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