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全6話です。


 あれからどれだけの時間が経っただろう。ほんの少し前まで、我らが黒大蟻くろおおあり王国は女王不在の暗黒時代にあった。先代の女王が御隠れになった時、次なる女王は決まらぬまま、複数の後継者とそれを支持する者同士がぶつかり合い、国は分裂状態にあったのだ。

 同じ母から生まれた者同士がいがみ合う恐ろしい時代の中で、それでも当時から栄光に包まれていたのが現在の女王陛下である。他の後継者たちは見かけだけ女王の姿をしているが、その誰もが彼女の美しさと神々しさには及ばない。わたしは迷うことなくそう思っていたのに、何故か当時はそう思わぬ者も多かった。

 

 しかし、その空気はある事件で一変した。

 乱世時代にある我らが王国を乗っ取るべく、敵対部族である棘蟻とげあり族の姫が侵入した大事件のためだ。複数いたうちの数名の後継者が棘蟻姫によって殺され、国民の一部が彼女に洗脳されてしまったのだ。

 身内同士でいがみ合っている場合ではない。周囲を叱咤し、真っ先に棘蟻姫に立ち向かったのが、お若い頃の女王陛下である。国民に任せるのではなく、自らの力で立ち向かうその姿はあまりに尊ばしく、それまではわたし達のことを盲信者の婢と揶揄していた対立候補者の支持者たちまでも、魅了するほどだった。


 戦いは続き、棘蟻姫が追い詰められる頃には、目が覚めて国民に戻る者もいた。

 最期まで目の覚めぬ者もいたが、ついに棘蟻姫が捕らえられ、その首が刎ねられる頃には、その全員が拘束され、後に追放されていった。

 あの時、誰もが納得したのだ。次なる女王陛下はもう決まってしまったのだと。黒大蟻王国民のすべてが奴隷の身分とされてもおかしくなかった危機的状況を率先して救った御方なのだ。尊敬されないはずもなく、新しい時代は大きな希望と活気に満たされて始まった。


 あの頃の国民たちは、本当に真面目だった。

 だが、今の国民ときたら。


 今日も女王の間の空気は重たい。

 国の様子を報告する国民の表情も苦々しく、見ていて気の毒になるほどだった。

 彼女が報告しているのは、ここ三日ほど同じ話題である。何の前触れもなく、王国民によって運ばれてきた多種族の小娘にまつわることである。

 可愛いとも可愛くないとも言い表せぬ見た目であった。大雑把に胡蝶という名で括られる精霊の一部族の少女であると分かった時も、さほど気にはしなかった。胡蝶の子どもは我々の食材にもなり得る。これまでに食べたことは何度もあるし、今回もそのうち気づかない間に口にすることがあるかもしれないと思った程度だ。

 それなのに、ここ三日の流れは誰も予想しないほど異様なものとなったのだ。


「――して、その胡蝶の娘はどこにいるのだ?」


 女王陛下が頭を抱えながらお訊ねになると、報告者は頭をぐっと下げて答えた。


「食糧庫にございます。そこから出さないようにと厳しく言いつけて参りましたが……正直なところ、国民が言いつけを守ってくれるかどうか……」


 正直すぎるその言葉に、女王陛下の周囲で微かなざわめきが広がった。

 少なくとも女王陛下が即位されて以来、王国民の勤勉さを疑ったことは一度たりともなかったはずだ。歯向かった者や、棘蟻姫などを最後まで庇ったような輩は全員追放したのだから当たり前だ。残されたのは清く正しい心と共に陛下を信じる民ばかりのはずだ。

 それなのに、これは何という事か。棘蟻姫と洗脳された敵対勢力の荒々しい攻撃にも怯まなかった勇士たちが、こぞってたったひとりの年端もいかぬ胡蝶の少女にうつつを抜かしているのだ。


 その胡蝶の異様さが報告されたとき、女王陛下は冷静に受け止めていらっしゃった。わたし共などは、若い衆が大袈裟に騒いでいるだけだと甘く見てしまっていた。しかし、そうではなかったのだ。日の時間が過ぎ去り、月の時間が訪れる頃になると、王国は混乱し始めていた。

 食糧庫に運ばれ、あとは絞めるのに良い機会までの短い期間のみ生かすはずだった胡蝶の小娘を、王国民たちがせっせと世話をし始めたというのだ。それも、国民の一部が、その胡蝶を大事な妹たちの過ごしている子ども部屋に匿うべきだと言い出す始末。その他、彼女の管理――いや、”待遇”にまつわる苦言が溢れるようになったのだ。

 それらの苦情を一手に引き受け、宥め疲れて困り果てた兵士は日に日にやつれてきた。女王陛下とて、国民をこき使うような御方ではない。さすがに放っておくわけにはいかないとお考えのようだ。


 だが、それならどうするつもりなのだろうか。

 わたしは心配だった。


 女王陛下がご判断を誤られるはずがないと信じているのだけれど、怪しい胡蝶の小娘の行く末は、そのまま王国民の心に強く影響するだろう。もしも、殺してしまえば、かつての乱世時代のような混乱が起こらないとも限らない。

 かといって、素性の分からぬ胡蝶の娘などをそう簡単に受け入れることも恐ろしい。胡蝶の魅惑の恐ろしさというものは噂に聞いたことがあるが、黒大蟻族を手玉に取るような者は初めてだ。もしも、彼女がかつての棘蟻姫のような敵対種族だったとしたら……。想像するだけで震えあがってしまう。


「ともかく、一度、確かめてみなければならぬな。この目で見てみなければ、分かるものも分からないままだ」


 女王陛下の言葉に、わたしは反射的に声をあげてしまった。


「あの陛下……ちょっとよろしいでしょうか?」

「なんだ? お前が積極的に意見とは珍しいな。言うてみよ」

「貧弱な胡蝶とはいえ、彼女は怪しげな術で王国民を惑わしております。素性の分からない小娘にお近づきになるのはとても危険な事かと――」

「警戒せよ、といいたいのだな?」

「すみません。出過ぎた真似をお許しください」

「よい。お前の言うことはもっともだ。未知のモノを警戒することはとても大切な事。だが、偵察は必要だ。いったいその胡蝶の何が王国民を惑わしているのか……お前、調べてみる気はあるか?」

「へ? わたしが?」

「嫌か?」

「い、いいえ、滅相もない!」

「よい返事だ。それではよろしく頼むぞ」


 女王陛下に意見する場合は、発言の責任も自覚するべきだというのが常々わたしの抱いている価値観でもあった。けれど、この度はついつい動揺してしまった。賢い家臣であろうと思うあまり、自分が胡蝶に接近させられるという展開を恥ずかしながら全く予想していなかったためだ。

 しかし、こうなってしまったら行くしかない。よい返事をしてしまったのだから、それが責任ある黒大蟻国民というものだ。

 それに、プラスに考えることだってできる。胡蝶を探り、その情報をしっかりと報告する。それだけでわたしは敬愛なる女王陛下の役に立てる。幼い頃からもっとも身近でお世話を尽くしてきたのに、いまだに「お前」呼ばわりで、前女王の遺した姉妹の生き残りに過ぎないと思っていらっしゃるだろう私への印象も、少しは変化するのではないか。


 そんな怪しい期待と共に、わたしは荷物をまとめ、さっそく王国民を惑わす小悪魔の隔離されし食糧庫へと向かったのであった。



 しがない世話係とはいえ、女王陛下の側近の突然の訪問は、王国民たちをぎょっとさせたらしい。

 わたしはそんなに偉い立場という自覚はないのだが、ほぼ毎日、女王陛下のお傍で過ごしているとだけあって、末端の国民にとってみれば一生に一度あるかどうかの機会なのだとか。

 そうはいっても、暗黒時代にはすべての国民と接しているはずなのだが、よくよく見てみればあの時と比べて顔ぶれもだいぶ変わってきている。女王不在の時代を知らない弟妹たちが次々に誕生しているのだから、当然である。今の平穏の世となって以降、もう三回も若き青年たちが飛び立っていったという報告を聞いている。だからこそ、物珍しく、腫れ物に触るような待遇なのだろう。


 だが、それ以外に違和感もあった。

 久々に接する王国民たちはどこか平和ボケした様子で、棘蟻姫に怯えながらどうにか洗脳されずに立ち向かった姉妹たちとは明らかに雰囲気が違う。こんなに子どもっぽい輩ばかりだっただろうか。大半の国民たちは、女王陛下の血を引いているはずなのに、陛下とは全く似ていなかった。食料であるはずの胡蝶なんぞに骨抜きにされているというのも肯ける話だ。


 呆れた感情をどうにか心の中にしまい、案内してくれる若き妹には出来るだけ丁寧に接するように努めて、わたしは大人しく食糧庫へと案内された。

 食糧庫はとても広い。すぐには食べきれぬものがそこにまとめられており、係りの者が全ての国民に均等に行き届くように管理してくれている。ここに生きた状態で保管される精霊も勿論いる。今も何名かの多種族の者達を食材として生け捕りにしているのだと教えてもらった。

 狩りの腕前はそのまま名声にも繋がる。獲物が魅力的で、大きければ大きいほど、捕らえた者の名誉となる。胡蝶の娘を捕らえたという者も、鼻高々だったらしい。もちろん、今は別の意味で尊敬されているのだけれど。


「さあさ、こちらです」


 案内されたのは、生け捕りにされた獲物が短い時を過ごす小部屋の一つだった。他にある部屋からは嘆きや恨みの声が聞こえてくるというのに、そこだけは違った。まず、見張りがやけに多い。普通ならば一人でいいはずなのに、三名もいる。そして中に入れられている者の様子も全く違った。

 胡蝶は余裕の表情で座っていた。血色もよく、ストレスを感じている気配すらない。暗い歴史のあるはずの小部屋のなかにいながらも、居心地はとても良さそうだった。

 ただ、わたしの知る胡蝶というものは、見るだけでハッとするような美しさが武器だということだが、この胡蝶にはそれがない。まだ幼いためだろうか。成熟するまでの胡蝶はとても地味だと聞いている。蛹化して、羽化して、初めて真の力を手に入れるらしい。

 案内されて入るわたしを見て、彼女はにやりと笑った。その顔つきには幼さがだいぶ感じられるが、蛹化をいつ迎えてもおかしくはないということは理解できる。本当ならば、蛹になったあとで料理されるはずだったのだろう。


「見かけない人ね。新顔?」


 わたしを見るなり、その胡蝶は堂々とした様子でそう言った。まるで、ここが自分の家とでも言わんばかりに、だ。

 だが、その生意気さに腹を立てるより前に、わたしは奇妙なことに気づいてしまった。この胡蝶、何か変わった香りがするのだ。いうなれば、高品質の花の蜜がそのまま足を生やして此処まで来てくれたような匂いである。

 思いがけない魅惑に戸惑っていると、胡蝶は笑みを深めた。

 

「まあ、誰だっていいわ。どうせ、あなたもあたしとイイコトしに来たんでしょう?」


 蛹化前の胡蝶とは思えぬほど怪しげな眼差しをこちらに向けてきたのだ。

 

 腹が立ってしょうがない。ふしだらにもほどがある。

 国民たちはこんな阿婆擦れに惑わされているのか。怒りすらこみ上げるわたしを残して、担当者と倉庫番たちが部屋を立ち去っていく。石扉を閉められると、ようやくため息を吐くことが出来た。

 地味な見た目ながら、顔はすでに整っている胡蝶の少女は、まだ、わたしの目的を勘違いしているようだ。


「始めに言っておきますけれどね」


 品位だけは失わぬように気を付けて、わたしは彼女に言い放った。


「わたしはあなたと遊びに来たわけじゃありません。女王陛下の代理としてあなたのことを確認しに参ったのです」


 すると、胡蝶の少女は目を丸くした。


「まあ! 女王様の御遣いなの?」


 少しは恐れ慄くかと期待したが、その表情はさらに華やかなものとなった。


「そんなお偉いさんがわざわざ来てくださるなんて。もしかして、女王様もあたしとイイコトしたいのかしら?」

「違います」


 発狂しそうになるのをどうにか抑えて即答した。毅然とした態度を崩さずに胡蝶の少女を見据える。こちらの機嫌は最悪であったし、その気持ちはおそらく顔に出ていただろう。それでも、彼女は世間知らずゆえか小生意気な雰囲気をまったく失わない。一体何がそんなにおかしいのかくすくすと笑いながら、怪しい呪いでも含まれていそうな目でこちらを見つめてくるのだ。

 いつもならば、ただただ食べごろまで成長した獲物でしかないはずなのに、この胡蝶はいったい何者なのだろう。世界は広いと聞くが、王国も安定してきた頃になってこのような未知の脅威と対面することになるとは思わなかった。


「そんなお堅い表情は止めてちょうだいよ。あたしはただ誘われるままにここに来て、誘われるままに皆から美味しいモノを貰ってイイコトしているだけよ。何なら、女王様にもあたしからお話しちゃおうかしら。こんな立派なお国の女王様なのだもの。きっと素晴らしい御方なのでしょうね」

「当たり前です。けれど、今はまだ女王陛下に近づくことは許しません。まずは、あなたがどういう人なのか、このわたしが確認しなければ」


 うっかり発言で飛ばされたようなものだが、それでも王国民からすれば女王陛下の代理という尊い立場なのだ。責任を持ってこの小娘のことを探らねばならない。

 そんな使命感をわたしは持っていた。間違っても、危険な精霊を陛下に近づけるわけにはならない。敵か味方かはっきりするまでは、ほぼ敵とみなす。そんな思いで胡蝶を睨みつけてやったのだが、相手はやはりまだ若いためか、ちっとも怖がってくれなかった。


「あら、そうなの? まあいいわ。それなら話は簡単よ。お役人さん、あたしのことを確認するなら、手っ取り早い方法があるわ」

「手っ取り早い方法?」

「ええ、あたしとイイコトするの。そうすれば、あたしの事、すぐに分かるはずよ」


 そう言って怪しげな微笑みを彼女は浮かべた。まさに未知の脅威だ。聞いた話によれば、地上世界の胡蝶たちは、そのほとんどの種族が各地に住まう花の精霊たちを誘惑して捕食するらしい。この小娘もそういう類の化け物なのだろうか。ならば心を許してはならない。そう警戒しつつも、その一方で、彼女の言う通り、どういったものか実際に確認した方がいいのではないかという怪しげな思考に囚われた。

 さらに、わたしの選択を誘導するかのように、胡蝶の小娘から甘い香りがしてきた。王国民たちが果実か蜜でも与えたのだろうか。空腹ではないはずなのに、ぼんやりしていると無意識に近寄ってしまいそうなくらいだった。

 動揺をひた隠しにしながら、わたしは彼女から目を逸らした。


「そのイイコトっていうのは、いったい何なのですか。事と次第によっては、ただでは済みませんよ」

「イイコトはイイコトよ。ねえ、お役人さん、こっちを見て」


 言葉すら甘く感じる。言われるままに振り返れば、そのまま胡蝶の少女の眼差しに囚われてしまった。


「ね、傍に来て。すぐに分かるわ」


 引っ張られるように、引き寄せられるように、気付けばわたしは胡蝶の少女に言われるままに近づいていた。果物のように甘い香りがする。果物なんかよりも多種族の精霊の肉の方が好きだったはずなのに、今だけはこの香りが大好きなものに思えた。

 言葉の誘導なんていらなかった。イイコトとは何か。それは、本能が知っている。胡蝶の少女の求めるような眼差しに答える形で、密室の食糧庫でわたしはその柔らかな唇を奪ってしまった。途端、甘い香りが口の中いっぱいに広がった。これが、イイコトなのか。いや、その全てではないことを知っている。王国民がこぞって骨抜きにされた存在。その全てを味わう方法は、感覚で分かった。


 そうして、わたしは胡蝶の少女とイイコトをしてしまったのだった。

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