終章
「・・・・以上が今回の事件のあらましだ。妖怪変化の類いや霊媒、超能力の類いが非現実と言われる現代、必要な処置がちゃんと行われず大昔に封じられた脅威が外に漏れ出す危険があるということを今回の件を通して知ることができた。そこで、今後、特殊犯罪対策課がどのような働きをすべきなのかを考えてみた。現在は清水が関わっていなくてもまだどこかに放棄され何かが封じられている施設がある可能性もあるし、清水に関わらずとも似たような事があるかもしれない。だから俺たちは文献や伝承を調べその背景を調べることでその脅威に対応していこうと思う。皆、よろしく頼む。」
浩文のその言葉を聞いて、他のメンバーが各々の反応をした。
「何か、秘密組織みたいで格好いいね。」
「警察組織なのにオカルト研究会みたいなノリになってきてんだけど。どんどん現実離れしていくな。」
「何にせよ今のわたし達じゃそれらの脅威に対応するに当たっての知識も戦力も足りてないから、そこら辺の課題をどうするか考えていかないと、下手にそういう類いのものに手を出したら命がいくらあっても足りないわ。今回はほとんどわたし達は何もしていないけれど、人間社会のことにいつまでも毎回あいつらが助けに来てくれるわけじゃないだろうし、自分達だけで対処できるようにしていかないといけないわね。」
そんな涼花の言葉に全員が頷いた。
「まぁ、ここからスタートで、必要なものを揃えていくのはおいおいだな。そこら辺の知識や技術を持ってるのはこの中じゃ涼花、お前だけだから。そこのところはお前が中心になってすすめてくれ。」
そう言って浩文は、あともう一つと話を続けた。
「本日付でここに新たに一人配属されることになった。まだ高校卒業してないからバイトみたいなもんだけど、卒業後は正式にここに配属予定だからよろしく頼む。」
警察組織である特殊犯罪対策課に高校生がバイトに来ることにも試験を受ける前から配属が決まってることにも誰も突っ込みを入れなかった。ここはそういうところなのだ。この部署の存在自体が現実離れしてる。そんなことを考えながら、俊樹はどんな人が来るのかとかなんとか言ってはしゃいでいる香澄やそれに答える浩文、そして涼花達が和気藹々と話しているのを眺めていた。
ノックの音が聞こえ、緊張した面持ちで少女が入って来た。
「今日からここでお世話になります、篠崎祥子です。よろしくお願いします。」
そう言って頭を下げる祥子を見て、俊樹は現場行った時にやたら俺のこと睨んで来た奴だと思った。顔を上げた祥子が俊樹を見て、あっと声を上げる。
「何?お兄ちゃん知り合いなの?」
「知り合いっていうか、現場行って調査してたときに一回会っただけ。」
そんな俊樹の言葉を聞いて、香澄がそうなんだと呟いて祥子に駆け寄っていき、自己紹介をして勝手に他の面々の紹介もした。そして、今日からよろしくねと満面の笑顔を向ける香澄に対し、固くなってよろしくお願いしますと返した祥子に続けざま色々質問攻めをする香澄を見て、浩文は香澄に声を掛けた。
「お前、サイバー犯罪対策課から手が空いてるときはできるだけヘルプに来てくれって言われてるだろ。今度、歓迎会でもするから、色々話したいことはあるだろうけど業務時間中は仕事してこい。」
そう言われて、香澄は元気よく解ったと答えた。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね。祥子ちゃん、また後で話ししようね。」
そんなことを言いながら手を振って部屋を出て行く香澄の背中を見送って、浩文は涼花と俊樹に視線を向け、二人にもいつも通りの業務に入るように促した。そしてそれぞれの持ち場へ向かうため二人が部屋から出て行くと、浩文は祥子に早速で悪いがこの書類を頼むと言って、仕事を与えた。
「お前、タイピング早いな。」
「これだけは得意なんです。」
「ここは無駄な書類整理が多いから助かる。それが終わったらこれも頼む。」
そんなことを言いながら、暫く没頭していられるだろうだけの無駄な書類を渡して、浩文は自分の業務に入った。そして自分のコンピューターに涼花からのメールが入っているのを確認し、開く。
『今回の事件のファイルですが、清水の一件を纏めたファイルと同じ所に移動させました。』
一見ただの業務連絡。その文面を見て、浩文は心の中で涼花に感謝した。その文面が意味しているのは今回の事件のファイルを人が閲覧できない場所に保管し直したという報告だった。つまり、ファイルを祥子の目に触れないようにしたということ。清水の一件同様、今回の事件は人々の記憶が改竄され、犠牲者は山崩れにより亡くなったことになった。事件の被害者でもある祥子の記憶もまた改竄されていた。ただ他の人とは違い、事件に人ならざる者が関わっていたということは覚えている。事件の概要はちゃんと覚えている。祥子が改竄された記憶は幼馴染みの死因だけだった。そして祥子の中で目の前で幼馴染みを殺されたという事実は、人ならざる者との戦闘で起きた山崩れに幼馴染みが巻き込まれて亡くなる現場を見てしまったというものに変わった。目の前で近しい人が死んだことには変わりはない。でも、目の前で人の首が飛んでいった事実よりまだ土砂に巻き込まれていくのを見たというほうがマシだろう、その程度の配慮。その程度の配慮でも今の彼女を支えるには必要な配慮。今後この部署で働き続ければいずれ真実を知る時が来るかもしれない。でもそれまでは、特に事件が起きてまだ日が浅い今は、彼女に事実を知られるわけにはいかなかった。だから事件の真相が全て記載されたファイルを彼女の目に触れさせる訳にはいかなかった。
「ほら、お疲れ様。」
与えられた仕事が一段落し一息ついたところで浩文に棒アイスを差し出されて、祥子はなんとも言えない気分になった。
「アイス嫌いだったか?」
そう問われて首を横に振る。
「頭使うと甘い物が欲しくなるかと思ってな。この建物何故かアイスの自販機があるんだよ。」
そう言われて祥子は、別にそんなに頭使うようなことしてないですと答え、どうして自分はこんな言葉選びをしてしまうんだろうと思って苦しくなった。受け取ったアイスを眺め、豊中の顔を思い出して涙が溢れてきて、祥子はそれを必死に堪えようとして、それを見て焦り戸惑う浩文を見て笑った。
「小さい頃、母子家庭だって事とかそういうことで虐められてた時があって。そんな時、近所のお兄ちゃんが助けてくれたんです。それで、アイス奢ってくれて。それ以来わたし、何かあるとよくアイス食べてました。でも、あれ以来食べてなかったなって。」
そんなことを言いながらぽろぽろ涙が溢れてきて、止めようとしても止められなくて、祥子はごめんなさいと呟いた。
「謝んなくて良いから、ほら。」
そう言ってハンカチを差し出されて、祥子はそれを受け取って目を押さえた。
「色々あったんだ。あれからまだ日も経ってないんだから落ち着かなくて当たり前だろ。あんなことがあったのにお前はよく頑張ってるよ。香澄に色々質問攻めされて辛かっただろ?なのに良く耐えてちゃんと仕事したと思う。でもな、あまり無理はしなくていいぞ。ここはそんな気張るような場所じゃない。ゆるくいこうぜ。」
そう言う浩文の声を聞きながら、祥子は豊中を思い出していた。祥子ちゃんは気が強くてさ、小さい頃からしっかりしてたけど、本当はそんなに強くないじゃない。いつも気張って意地張って頑張っててさ、昔からほっとけなかった。そう言う豊中の声が聞こえた気がして、祥子は目を押さえるハンカチをとって顔を上げた。
「泣き止んだならアイス食っちまえ、もう半分以上溶けてるぞ。」
そう言われて慌ててアイスを口にする。
「うわっ、机も手もべとべと。最悪。」
そんなことを呟いて、自分に暖かな視線を向ける浩文と目が合って、祥子はなんとなく居心地が悪くなった。
「何見てるんですか。人のことじろじろ見ないで下さい。」
そう言って睨み付け、浩文に苦笑される。
「誰もジロジロなんか見てないだろ。ほら、ちゃんと拭いとけよ。」
そう言ってウエットティッシュを渡されて、祥子は黙って机を拭いた。
「ここの連中はみんな身内みたいなもんだ。畏まる必要なんかないから、何かあれば遠慮なく言えよ。」
そう言って自分の机に戻っていく浩文の背中を見て、祥子は小さな声で、ありがとうございますと呟いた。聞き取れず振り向いて聞き返す浩文に、祥子は、これからよろしくお願いしますと言った。
「あぁ、よろしくな。」
そう言って笑いかけられ祥子も小さく笑った。
あれからお父さんも交え、お母さんと自分と三人でこれからのことを話し合った。自分を心配し、一緒に暮らそうという両親の提案を断って、祥子はここに残ることを決めた。遠い昔に人間を辞め不老長寿となった父。そしてどういう訳か最後に残された唯一の不老長寿への鍵である丸薬を使わずして人間を辞めた母。この世界に残されたたった一つの不老長寿への鍵は今祥子のもとにあった。それを飲んで父や母と同じ存在になることもできる。でも、祥子は人間で在り続けることを選んだ。きっとこれからもずっとその薬は使わないと思う。自分は人間だから、人間としてこの場所で生きていく。そう決意して新しい場所で一人で生きていくことを決めた。いや、離れて暮らしていたって自分は一人じゃない。いつだってお母さん達は見守ってくれている。それに、新しい場所で新たに出会った人達と自分は一緒に頑張っていくんだ。そう思って、祥子は自分の中の前に進んでいく決意を確認した。
大丈夫、祥子ちゃんならできるよ。そう言った豊中の声が鮮明に頭の中で蘇って、祥子は心の中で、わたしちゃんと頑張るよと呟いた。