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第一章

 「お母さん。お母さんは恋人作って結婚とかしないの?お母さんだってまだ若いんだし、わたしのことは気にしないで恋愛したっていいんだからね。わたし、お母さんが良いって言う人なら余程な人じゃない限り反対しないよ。もう高校生だし、なんならわたし一人暮らししても良いし。」

 祥子(しょうこ)がそう声を掛けると、手芸をしていた母が顔を上げた。

 「お母さんはあなたのお父さん以外とお付き合いする気はないのよ。」

 そう言って穏やかに笑う母親を見て、祥子は苛立った。

 「わたしのお父さんって、中学生だったお母さん妊娠させて逃げたろくでなしでしょ。わたし一回も会ったことないし。お母さん騙されただけだよ。お母さん美人だしモテるんだから、そんな男なんてさっさと忘れて別の人作りなよ。お母さんがなんて言ったって、本当のお父さんだったって、わたしその人だけは嫌だから。お父さんだって認めないから。」

 そう怒鳴りつけると母親が悲しそうな顔をして、祥子は胸が苦しくなった。母親から父親の悪い話しなど一度も聞いたことはない。それどころかどれだけ母が父を愛しているか、父がどれだけ母や祥子のことを想ってくれていたのか聞かされて育った。一緒に家庭を築きたかったが結婚をする前に父は亡くなってしまったのだと言う話しをずっと鵜呑みにし信じていた。なのに、昨年興信所を使って母の居場所を突き止めやって来た自分の祖父母という人達と会って、祥子のそんな幻想は終わりを告げた。

 「これがあの時の行きずりの男との間の子か、汚らわしい。」

 心底軽蔑したような汚い物を見るような目を向けられてそう言われ、祥子は背筋が凍り付いた。

 「祥子ちゃん、そんな言葉は聞いてはダメ。奥に行っていなさい。お母さん、ちょっと大切な話しをしなくちゃいけないから。」

 そう言った母はいつもの穏やかな母ではなくまるで別人みたいで怖かった。祥子は言われるがまま奥の部屋に入ったが、いけないことと思いつつ母達が何を話しているのか気になって耳をそばだてて聞いていた。そして知ってしまった。いつも幸せそうに母が話す父の思い出は全て幻想なのだと。本当は母が中学生の時、旅行で母の暮らす街にやって来た男に母が騙され関係を持ち自分を孕んだのだと。自分を堕ろせと言われた母がそれに断固反対し、家出をして自分を産んだのだと。そして母は一人で自分を育ててきた。中学卒業を間近に控えた少女だった母がたった一人で自分を抱え生きるのはどれだけ大変だっただろう。自分を産んで育てるために母はいったい何をしてきて、どれだけの苦労をしてきたのだろう。まともな職業に就けるはずがない。当時から発育が良く大人びていたという母が、年齢を偽って身体を売るようなことをしてきたにちがいないという祖父母の暴言を聞きながら、祥子の目には涙が溢れた。母は自分が生まれるまでは父が寄り添ってくれていたのだと、生活基盤が安定するまではちゃんと父が傍にいたのだと言っていたがそれは嘘だった。父親は何処の誰とも知らないろくでなしだった。言われてみればそうだ。父のことは母の話しでしか知らない。自分が物心つく前は一緒に居たと母は言っていたけれど、一枚だって父の写真はない。赤ん坊の頃の自分やそれに寄り添う母の写真はあるのに、父が写った写真は一枚もない。それは寄り添ってくれていた父親なんて最初から存在していなかったからなのだ。だから写真がなかったのだ。そう妙に納得して。そりゃそうか、高校生の自分の母親がまだ三十代前半なんて父親がまともな男の訳がないじゃんなんて考えて、自分なんて生まれてこなければと思って、祥子は絶望した。

 母に絶縁を迫り相続放棄の念書を書かせた祖父母が去ると、母はいつも通り穏やかに笑いながら、怖い思いをさせてごめんねと祥子を抱きしめた。自分の頭を優しく撫でる母の温もりを感じながら、祥子は涙が溢れて止まらなかった。


 「祥子ちゃん。お父さんが生きているのに死んだなんてずっと嘘をついていたことは謝るわ。本当にごめんなさい。でも、あなたのお父さんは本当に事情があって一緒にいられないだけで、いつだってわたし達のことを想ってくれてる。いつだって見守っていてくれているのよ。ろくでなしなんかではないし、無責任な人でもないわ。どちらかというと責任感が強すぎるくらいの真面目な人よ。」

 そう言われて祥子はバカみたいと吐き捨てた。

 「何言われたんだか知らないけど、そんな幻想信じ込んで今でも一途にそんな男のこと想ってさ、本当バカみたい。事情って何?一緒にいられなくたって今でもお母さんと結婚してない時点でおかしいでしょ。そもそもどんな事情があったって未成年だったお母さんに手出してわたしのこと作ったのは間違いないじゃん。それのどこが無責任じゃないって言うの?そんな男に騙されて、今でもそんな人のこと信じ込んで、お母さん本当バカ。本当はお母さんは自分が騙されただけだって信じたくないだけなんじゃないの?それでそんな幻想にしがみついてさ、その幻想を壊さないようにわたし育てるのに一生懸命になってきただけなんじゃないの?わたしを育てる事に自分の青春全部つぎ込んできたとか本当バカ。そんなことで家族も友達も全部捨てて逃げてさ、自分の人生めちゃくちゃにするとか本当バカみたい。お祖父ちゃんとかに言われた通りわたしなんて堕ろしちゃえばよかったのに。わたしのことなんか産まなきゃ良かったのに。」

 そう言った瞬間頬を叩かれて、はっとしたところを祥子は母親に抱きしめられた。

 「バカな事言わないの。祥子ちゃん。あなたが生まれてわたしがどれだけ幸せだったか解る?わたしがどれだけあなたを愛してるか解る?祥子ちゃんの言うことも解るわ。お母さんは祥子ちゃんに怒られてもしかたがないって思う。でもね、自分を産まなきゃ良かったなんて言わないで。お母さんがずっと嘘をついてきたから、もうお母さんの話は何も信じてくれないの?それとも祥子ちゃんから見たわたしはいつもそんなに不幸に見えた?お母さん、本当にあなたが生まれてきてくれて、本当に幸せなのよ。祥子ちゃん、愛してるわ。」

 そう言って母は困ったような顔で祥子の顔を覗き込んだ。

 「お父さんは一緒に暮らそうって言ってくれたの。それであなたが産まれるまでお父さんの所に身を寄せていたわ。でも色々事情があって、よく話し合って、それで今のこういう生活をすることにしたの。お母さんとお父さんの抱えている事情は本当に複雑なのよ。」

 そう言って母は祥子の頬を優しく撫でた。

 「でも、あなたももう幼い子供ではないのだから、わたし達の秘密を打ち明けるべきなのかもしれないわね。でないといくらわたしが何と言ったって、祥子ちゃんが納得できるわけがないものね。今度お父さんも交えてちゃんと話しをしましょう。来てくれるように頼んでおくから。」

 そう言って優しく笑いかけられて、祥子は胸が苦しくなった。お母さんの言うお父さんは幻想じゃなくて本当に居るの?そのお父さんに会えるの?一度だって会いに来たことのない人なのに、今更会ったってどうしたらいいの。そんな簡単に会えるような人ならもっと前から顔を見せてくれたって良かったはずなのに、どうして今までは会えなかったの。そんな事が頭に仲をぐるぐる回って、期待のような不安のような、苛立ちのような安堵のようなよく解らない感情に縛られて、祥子は顔を伏せ深く俯いた。


         ○                    ○


 「ねぇねぇ、祥子。あの人めちゃくちゃ格好良くない?絶対都会の人だよ。こんな田舎に何の用だろ?ちょっと声かけてみない?」

 歩いている道の少し先に立っている大学生風の男性を目にした友達にそう言われて、祥子は眉根を寄せた。

 「よく知らない人に声かけるの止めなよ。変な人だったらどうするの?最近この辺も物騒な噂が多いし、よそ者なんかに関わらない方が良いよ。」

 そう言って祥子は友達に、田舎の年寄りみたいなこと言ってると笑われた。笑い事じゃないって。あんないかにも都会に住んでそうな人がこんな何もない辺鄙なド田舎に来るとか絶対何かあるって。それこそお母さんみたいにさ、甘い言葉で騙されて変なことするだけされてさようならってこともあるかもしれないじゃん。それにさ、この近隣の村々で最近やたらと行方不明になる人多いし。この辺の人達がそうそう遭難とかありえないのに山に入って帰ってこないとか、夜出掛けたらそのまま帰ってこなかったとか、そんな人が沢山いるなんて絶対おかしいよ。こんな田舎さっさと出て行きたいって言ってる若い人多いけどさ、でもだからってそんな唐突に消えるってありえないって。皆が噂してるみたいに、本当に異常者が山に住み着いてて誘拐されたり殺されたりしてるのかもしれないじゃん。もしかしたらあの人もそういう悪い人で、どっかに連れ去られて殺されちゃうかもしれないじゃん。知らない人なんかと関わらない方が良いに決まってる。そんなことを思って、祥子は友達に咎めるような視線を向けた。

 「笑い事じゃないって。見た目が良いからって良い人とは限らないんだよ。見た目に騙されて変な人に引っかかったりしたら大変なんだから。危ない目にあったらどうするの。」

 そう言う祥子を笑いながら友達は、話しかけるくらい大丈夫だって、変な人なら逃げればいいんだしと全く気にした様子もなく、憮然とする祥子を連れ立って、男性に近付き声をかけた。

 「お兄さん、見ない顔だね。観光ですか?」

 そう言う友達に、声を掛けられた男性はこの村に来た目的をフィールドワークだと答えて、村上(むらかみ)俊樹(としき)と名乗った。

 「この村には鬼鎮祭って変わった祭りがあるって聞いて、それを卒論の題材にできないかと思って来たんだ。良かったら少し話しを聞かせてもらえると助かるんだけど、暇?」

 そう言われて目を輝かせて、暇です、話しなら喜んでと言う友達の横で祥子は胡乱げな視線を俊樹に向け、それに気が付いた彼に苦笑された。

 「お祭りのことが知りたかったらあの山の頂上に神社があるから、そこの神主さんにでも話し聞きに行けば?」

 険のある声で祥子がそう言うと俊樹が、いなかったと呟いた。一瞬だったがそう呟いた俊樹の顔が深刻そうに強張ったのを見てしまい、祥子はなんだか怖くなった。

 「最初に訪ねてみたんだけど、留守だったんだ。後でまた訪ねてようと思うんだけど、何時頃ならいるんだ?」

 そう訊ねられ、友達がいつも居るのにねと同意を求めてきて、祥子は、はっとして、うんそうだね、どっか出掛けてるのかな、としどろもどろに答えた。

 「祥子、何か変だよ?大丈夫?」

 友達に顔を覗き込まれて祥子は大丈夫と言って笑った。きゃっきゃと楽しそうに俊樹と話す友達を横目に、祥子は自分の中に生まれた良く解らない不安が早く消えてくれないか祈っていた。

俊樹と分かれ、いつもの分かれ道で友達とも分かれて祥子が歩いていると、近所に住んでいる幼馴染みの豊中(とよなか)(あゆむ)に声を掛けられた。

 「祥子ちゃん一人?最近ここら辺も物騒な噂があるし、家まで一緒に行こうか?」

 そう言われて祥子は、うんざりした視線を豊中に向けた。

 「そう言って豊中さん、うちのお母さんに会いたいだけでしょ。」

 そう言うと、バレたかと言って豊中が笑って、祥子も一緒に笑った。

 「最近、お母さんとどう?まだぎくしゃくしたままなの?」

 そう言われて、祥子は俯いて、うんと言った。

 「お祖父ちゃんお祖母ちゃんって言う人が来てからさ、わたし上手く感情がコントロールできなくて。なんか、お母さんに酷いことばっか言っちゃってさ。この間なんかわたしのこと産まなきゃよかったのにって言って叩かれちゃった。」

 そう言うと豊中はそっかと言って遠くを見た。

 「寄り道してく?祥子ちゃんの好きなアイスクリーム奢ってあげるよ。」

 そう言われて祥子はうんと一つ頷いた。

 「わたしに媚び売ってもお母さん懐柔するのは無理だからね。」

 「そんなこと解ってるよ。今の君にはお母さん以外の話し相手が必要だろ?」

 そう言って笑顔を向けられて、祥子は小さく笑った。大学行ってなんか垢抜けちゃって全然違う人みたいに見えて、何か自分みたいな芋娘が気軽に馴れ馴れしくして良いのかなとか思っちゃって、長期休暇で帰省したアユ兄になんか話しかけられなくって避けてるうちに、アユ兄が大学卒業して村に戻ってきて、アユ兄のこと豊中さんとか良く解らない距離空けて呼ぶようになっちゃったけど、アユ兄はアユ兄のまま、優しくて、面倒見が良くて、頼りになるお兄さんのままで、ほっとする。そんなことを考えながら、祥子は豊中とこの村に唯一ある喫茶店に向かった。

 喫茶店で豊中とテーブルを挟みながら、祥子は母と喧嘩したときのことを話した。

 「それで、祥子ちゃんはお父さんに会いたいの?会いたくないの?」

 そう訊かれて、祥子は解らないと答えた。

 「正直ついて行けない。急にお父さんも呼ぶからちゃんと話をしようとか言われたってさ、そんな心の準備できないよ。わたしのお祖父ちゃんお祖母ちゃんだって言う人達が来てからさ、お父さんが生きてた事だけじゃなくて、お母さんの言うお父さんの存在自体全部嘘つられてたんだって思ってたのに。わたしのお父さんはちゃんとした人じゃなくて、お母さんの言うようなお父さんなんていないと思ってたのにさ。呼べるってことはそんな変な人じゃないの、とかさ。死んだって事以外はお母さん本当のこと言ってたのかなとかさ。でも、お母さんの言うようなお父さんがいたとして、じゃあ何で今まで顔見せてくれたことないのとかさ。事情ってどんな事情があるのとか。まぁ、そういう話しをちゃんとするって言われてるのはわかってるんだけど、それ聞いたからって自分の中で色々納得できるとは思わないし。良く解らない。」

 そう言って祥子はテーブルに顔を突っ伏して唸った。

 「もしもだよ。もしも本当にお母さんの言う通りだったとしてもだよ。それでも、わたしのお父さんってさ、中学三年生だったお母さんに手出してわたし作ったのは事実じゃん。絶対ろくな人じゃないって。ロリコンの変態じゃない?嫌だよそんな変態がお父さんとか。本当、最悪。会ったらまず話し聞く前に怒鳴っちゃいそう。無理。会いたくない。でも、ちょっと会ってみたい。どんな人なのか気になるっていうのはちょっとある。ちょっとだけ、お父さんに幻想持ってるのもあるんだ。ずっとお母さんの惚気話し聞かされて育ったせいでさ、絶対まともな人じゃないって思ってるのに、お父さんの存在にちょっと期待しちゃってる自分がいて嫌だ。」

 そう言って祥子は机に突っ伏したまま顔だけ上げて豊中を見た。

 「豊中さんがお父さんだったら良かったのに。優しいし、頼りになるし。豊中さんなら喜んでお父さんにしてあげるからもっと頑張ってよ。大学出た後こんな田舎に戻ってきたの、お母さんがいたからでしょ?昔からお母さんにデレデレだったし、今だって色々家のこと気に掛けてくれるのお母さんに気があるからだって解ってるんだから。」

 そう言われて豊中は参ったなと言って苦笑した。

 「ほら、何か甘い物おかわりする?」

 そう言ってメニューを渡されて祥子は難しい顔をした。

 「わたしを餌付けしたってお母さんは振り向いてくれないからね。」

 そう言いつつ祥子は遠慮なくホットケーキを追加で注文した。そんな祥子を見つめながら豊中は小さな溜め息を吐いた。

 「美晴(みはる)さんは美人だし。穏やかで優しくて。確かに昔は憧れてた時もあったけどさ、今は別に恋愛感情とかないよ。それに俺、君との方が年が近いんだけど。なのにお父さんはないんじゃない?」

 そう言われて祥子は疑問符を浮かべた。

 「こんな田舎嫌だって出てく奴多くてさ、この村の若者離れ酷いじゃん。でも俺はこの村好きだし、過疎化どうにかできないかなって思って、色々勉強する為に大学に行ったの。大学で地域開発とか勉強して戻ってきたものの、まだ成果出せるようなことできてないけどさ。別に美晴さんがいたから戻ってきたわけじゃなくて、元々俺はここに戻るつもりだっただけだから。」

 そう言って豊中は祥子を真っ直ぐ見た。

 「祥子ちゃんが色々辛いのは解るけど。愚痴ならいくらでも聞くし、俺で手助けできる事ならなんでもするけど。でも、自分がお父さんと向き合うのが怖いからって、そうやって俺使って逃げようとするのは止めて。いつもは笑って流すけど、今日はちょっとしつこいよ。俺、別に美晴さんと付き合いたいとか思ってないし、正直そういう冗談言われるの嫌だから。それとも祥子ちゃん、冗談じゃなくて本当に俺にお父さんになって欲しいとか思ってるの?」

 真面目な顔でそう言われて、祥子はごめんなさいと呟いた。分かってくれればいいんだと言って優しく笑い掛けられて胸が痛くなる。

 「お父さんに会うのが怖いとかさ、そう言う不安ちゃんとお母さんに話した?今俺に言ったみたいなことさ、ちゃんとお母さんにも話しなよ。そういう胸の内をちゃんと話してさ、お父さんに会う前にお母さんともっとよく話し合った方が良いんじゃない?今のまま逃げてたら、決心がつかないままある日急にお父さんと対面になっちゃって、本当にお父さんに思ってないようなこと怒鳴り散らして終わりになっちゃうよ。怒鳴りたくないから会いたくないんでしょ?本当は会って、ちゃんと話しがしてみたいんでしょ?」

 優しくそう諭されて、祥子は少しの間目を瞑って考えた。そうしていると、大丈夫、祥子ちゃんならできるよ、と声がふってきて、祥子は目を開けて、小さくありがとうと呟いた。

 「祥子ちゃんはさ、高校卒業したらどうするの?」

 そう問いかけられて、祥子は解らないと答えた。

 「まだ考えてない。お母さんは、何か勉強したいことがあるなら進学してもいいって言ってるけどさ、これと言ってやりたいこととかないし。うち、そんな裕福でもないのに勉強したいこともないのに進学するのはお金がもったいないなって。奨学金ってようは借金じゃん。借金してまでしたい勉強なんてないし。でも、働くこと考えたら進学した方が良いのかなって。どっちにしろこの田舎じゃろくに働き口ないから、公務員狙いが一番かな。安定してるし。あ。お母さんみたいにコンピューター使って在宅でできる仕事とかちょっと憧れるかも。でもわたしにそんなスキルないや。ならやっぱそう言う系の勉強するべきかな?」

 「ってことは、祥子ちゃんはこの村出てく気はないの?」

 「今のところないよ。わたしここ好きだし。わたし友達にも田舎の年寄りみたいって言われちゃうくらい田舎娘だから、ここ以外で生活できる気しないし。」

 そう言うと、じゃあここから通える大学や短大も専門学校すらないから進学は無理だねと言って笑われて、祥子もそうだねと言って一緒に声を立てて笑った。

 「じゃあさ、高校卒業したら俺がやってる村おこし事業の手伝いしない?大した給料は払えないけど、この村で生活する分には充分なくらいは払えるから。」

 存外真剣な目で豊中に見つめられそう言われて、祥子は考えておくと答えた。

 「そろそろ帰ろっか。あまり遅くなると美晴さん心配するだろうし。」

 そう促されて、祥子は豊中と喫茶店を後にした。

 「俺さ、これでも学生時代は彼女いてさ。入学当初から卒業したら田舎に戻って村おこし事業するんだって言ってたし、付き合ってたときは彼女もそれに対して応援するようなこと言ってて、卒業したらついてくるようなこと言ってたんだけどさ。卒業が近くなって卒業後の話しになった時、本当にあんな何もないところなんかについてくわけないでしょって、あんなド田舎ムリとかバカにされてさ、なんだかんだ言ってこっちに残って就職するんだと思ってたからとかなんとか色々言われて結局フラれたんだよね。ショックだったけど、ここで育った奴らも似たようなこと言って皆出てくし、しかたがないのかなって、そりゃそうだよなって思った。だから自然と祥子ちゃんもこの村出てくんだろうなって思ってたんだけどさ、ここが好きだって、ここ出てく気がないって言ってもらえて嬉しかった。」

 帰り道を歩きながら豊中がぽつりぽつりとそんな話しをし始めて、それを聞き流していると、急に止まって名前を呼ばれて、祥子は驚いて豊中を見上げた。

 「俺、祥子ちゃんが好きだよ。」

 そう告白されて、祥子は一瞬何を言われたか認識ができなくて間抜けな顔をしてしまった。

 「俺は祥子ちゃんが好きだ。俺と付き合って欲しい。今は祥子ちゃん色々それどころじゃないだろうから、返事はすぐにじゃなくていいけど。考えてくれる?」

 改めてそう言われて、祥子は顔が熱くなった。

 「なんならさ、家のことで色々辛かったら家出して俺の所に逃げてきてもいいし。」

 そう言って豊中が笑って、それを見て祥子も笑った。

 「何それ。わたしの弱みにつけ込む気?」

 「うん。祥子ちゃんが弱ってるところにつけ込んで、俺の所に来てくれないかなって期待してるの。ずるいかな?」

 「わたしなんかタイプじゃないくせに。豊中さんのタイプは、お母さんみたいなおっとり系美人でしょ。」

 「好みのタイプとさ、実際に好きになるのは別だよ。祥子ちゃんは気が強くてさ、小さい頃からしっかりしてたけど、本当はそんなに強くないじゃない。いつも気張って意地張って頑張っててさ、昔からほっとけなかった。元々はかわいい妹みたいな存在だったけど、大学卒業して戻ってきて、すっかり大人っぽくなった祥子ちゃん見て、心が奪われちゃったんだよね。それで子供の時と同じように俺に心許して甘えてくるんだもん。それでさ、村出る気がないとか。もうさ、期待するなって方が無理でしょ。」

 笑ってそう言って豊中は真っ直ぐ祥子を見つめた。

 「返事は後でもいいからさ、とりあえずその豊中さんってよそよそしい呼び方止めない?なんか大学卒業して戻ってきたら急にそんな呼び方してくるようになったけどさ、昔みたいにアユ兄って呼ぶか、歩って呼び捨てにしてよ。」

 そう言われて、祥子は俯いて少し迷って、小さな声で歩と呼んでみた。そう口に出してみるとなんだか凄く恥ずかしくなってきて、祥子は顔を背けて、遅くなるとお母さん心配するからと言って、早足で帰路を進んだ。

 「何その反応、めちゃくちゃかわいいんだけど。」

 「うるさいな。アユ兄がそんなたらしだったなんて知らなかった。なんかその熟れた感じ凄く嫌だ。」

 「何?さっきは歩って呼んだのにアユ兄にしちゃうの?せっかくだし歩って呼んでよ。」

 そう言われて祥子は顔を真っ赤にして振り向いた。

 「アユ兄と違ってわたしそうゆうの慣れてないの。告白とかされたの初めてだし、男の人とお付き合いしたこともないし。バカ。」

 そう怒鳴って、笑われて、祥子は深く俯いた。そうすると笑いながら謝られて、祥子は豊中を睨み付けた。

 「だからごめんって。そんなに怒らないでよ。悪かったから。祥子ちゃんがあまりにもかわいい反応するからついさ。」

 「そういうのが嫌。」

 「すいません。」

 そんなやりとりをして、なんだかおかしくなってお互いに笑い合った。そんなことをしているといつの間にか家の前に着ていて、祥子は豊中に送ってくれてありがとうと声を掛けた。

 「じゃあ、ちゃんとお母さんと話ししなよ。」

 そう言って自分の家の方へ歩いて行く豊中の背中を見送って、祥子は家に入った。

 「お帰りなさい。遅かったわね。どこか寄ってたの?」

 母にそう声を掛けられて、祥子は別にと言っていた。

 「もう子供じゃないんだし、どこ寄ってたっていいでしょ。」

 そんな言葉を続けてしまい、困ったように笑う母の姿を見て祥子は胸が苦しくなった。

 「祥子ちゃん、こっちにおいで。」

 母に優しい声でそう言われて、祥子は黙って母の所に行った。

 「祥子ちゃんがもう小さな子供でないことは解ってるわ。ちゃんと自分のことは自分でできるって。でもね、それでも心配はするのよ。いくつになったってそれは変わらないの。あなたはわたしの大切な娘なんだから。」

 そう言って優しく頭を撫でられて、祥子はごめんなさいと呟いた。目を瞑って、お母さんとちゃんと話しなよと言った豊中の姿を思い出して、拳を握って、祥子は母を真っ直ぐ見た。

 「お母さん。ごめんね。その、色々と酷いこと沢山言っちゃって。わたし怖いの。お父さんと会うの。お父さんのこと知るのも。一度も会ったことないし、色々思うこともあって。急に会って話しするって言っても、心の準備ができてなくて。それで・・・。」

 そう言葉を詰まらす祥子の言葉を母は優しい声で、それで?と続きを促した。

 「まずはお母さんからちゃんと話しを聞きたい。お父さんに会う前に、ちゃんと。お父さんが一緒にいられない理由とか、どうしてお父さんとお母さんが結婚できないのかとか。お父さんがどこの誰で、どんな人なのかとか。そう言う話しをちゃんと詳しくお母さんから聞きたい。」

 そう言う祥子を抱きしめて、母は困ったようにそうねと呟いた。

 「あまりにも現実離れした話しだから、祥子ちゃん信じてくれるかしら?でも、そうよね。わたしが祥子ちゃんに信じてもらえないんじゃないかって怖いのと同じように、祥子ちゃんはいきなり会ったこともないお父さんに会うのが怖いのよね。わたしは祥子ちゃんと話すとき(かく)が傍にいてくれればって思ったけど、祥子ちゃんにとっては逆なのね。祥子ちゃんはまずわたしと二人で話しがしたかったのね。」

 そう言って母はごめんなさいと呟いて祥子の頭を撫で、そっと祥子の身体を離した。

 「お茶でも飲みながら話しましょうか。」

 そう言われ、促されるままにテーブルに着いて、祥子は母が淹れてくれたお茶を眺めていた。

 「どこから、話すべきなのかしら。」

 そう言って心底何から話すべきか迷ってる様子の母に、祥子はお父さんとはどこで出会ったのと訊いていた。それを聞いた母が、少し困ったように考えるような仕草をして、前世でって言ったら信じてくれる?なんて言ってきて、そんな突拍子もないことを言う母親の目が存外真剣なのを見て、祥子は否定も肯定もせず話しを促した。

 「お母さん、この身体に生まれる前は天上界の天帝の娘で、それで天上界と仙人界の友好の証として、仙人界の主要人物と交換の形で仙人界で過ごしていたの。お父さんは仙人で、そこで出会って、それで恋をして、恋人になった。恋人といってもそういう事情があったから、傍にいて心を通じ合わせていただけで当時は深い関係になることはなかったわ。でも、もし許されるなら一緒になりたかった。お互いにそう思ってた。もう四千年近く前になるのかしら、仙人界で人間界をも巻き込む大きな戦争があったの。その戦争は天上界の人物が後ろで操っていて、天上界を治める天帝の責任としてそれを止めようとしたお父様は、その人に魂を蝕まれ狂わされてしまったわ。それで、わたしはお父様の魂を救うためにお父様と心中したの。少しの間のお別れだって、全部終わったらあの人の所に帰るって約束してたのに、わたし約束破ってあの人を残して死んじゃったの。それで、魂の還る場所で輪廻転生を司る神様に会った。神様と話をして、特別に記憶を流さないまま人間に生まれ変わらせてもらった。それで人間として生きながら、大人になって自由に旅ができるようになったら、あの人に会いに行こうと思って過ごしてた。でも、自分はもうあの人の知ってるわたしじゃないから、気付いてもらえるかしらって、わたしが春麗(しゅんれい)だって信じてもらえるかしらって不安で、もし信じてもらえなかったらどうしようって怖かった。自分が死んでから随分と時間が経っているから、もしかしたらあの人の隣にはもう別の誰かがいるかもしれないって思って怖かった。もし、会いに行って気付いてもらえなかったら、信じてもらえなかったら、あの人の傍に別の誰かがいたら、あの人のことは諦めて人間の普通の娘として生きていこうと思ってた。」

 そこまで話して、母は一口お茶を口にした。

 「そんな時にね、街中であの人を見かけたの。一目見て解った。そっくりな別人じゃなくて郭だって。でも、海を渡った大陸の山奥にある、人間界と切り離された仙人界にいるはずの彼がどうしてこんな所にいるんだろうって思った。会えた嬉しさと、気付いてもらえなかったらどうしようって気持ちがこんがらがって、声を掛けられなかった。でもね、一瞬目が合った彼がわたしに気が付いてくれた気がしたの。家に帰って、自分の部屋で悶々としてて、それでいても立ってもいられなくなって、わたし彼を探しに出てた。それで、泣いてる彼を見つけた。わたしのこと想って、どうして勝手に死んだんだって、どうしてそんな大切なこと一人で決めたんだって、わたしと一緒にいたかったって、死ぬなら一緒に死にたかったって、どうして俺を置いて逝ったんだって、泣き叫んでるあの人を見つけて、わたし彼のこと抱きしめてた。抱きしめた後で怖くなった。こんなことして知らない人だと思われたらどうしようって。それで、間抜けだと思うけど、ただいまって、わたしが解るって声を掛けてた。郭は姿形が変わってもわたしだってすぐ解ってくれたわ。わたしだって信じてくれた。嬉しかった。わたしが死んで随分と永い時間が経っていたのに、彼がまだわたしを想ってくれていて。それで、わたしのこと気が付いてくれて。嬉しくて、嬉しくて。心の奥底から彼への愛が溢れてきて、彼への想いが止められなくて、彼のことを求めてた。お互いに求め合ってた。それで、あなたを授かった。」

 そう言って母は本当に愛おしそうに祥子の頬を撫でた。

 「軽率だったとは思うわ。でも後悔はしてない。あなたを授かって本当に嬉しかった。だってわたしずっと彼との子供が欲しかったもの。なのに、当たり前だけど家族には酷く怒られて、堕ろせって言われて、そんなの絶対に嫌でわたし家を飛び出したの。郭とは再会したその時だけで、自分一人で自由にどこでも行けるようになったら彼の所に行くって約束をして分かれてたから、彼は子供ができたことも何も知らなくて。彼の所に行くにもお金もパスポートもないしどうしようってあの時は思ったわ。」

 そう言って母は楽しそうに笑った。

 「何か感じる物ってあるのね。その時たまたま郭がわたしのことが気になったって様子をみに来てくれて、それでわたし彼の胸に飛び込んでたの。事情を説明したら、あの人凄く吃驚してたけど、子供ができたことはとても喜んでくれたわ。それで一度仙人界に行ってあなたを産んだの。あなたが産まれたとき本当に嬉しかった。あの人も本当に喜んでて、抱いてみる?って訊いたら、俺なんかが抱いて良いのかななんて戸惑ってて、あなたがお父さんなんだから抱いて良いに決まってるでしょって言ったら、そうかなんて言って、おっかなびっくりあなたのこと抱いて、小さいなって本当に愛おしそうにあなたのこと見つめながら呟いてた。幸せだったわ。」

 本当に幸せそうに目を細めてそう言う母を見て、祥子はあぁ本当に自分は愛されて生まれてきたんだなと思って、なんだか胸が暖かくなった。しかし、困ったような顔で母が、でもね、問題があったのと続けて、祥子は胸がざわついた。

 「仙人って言うのはね、人間が不老長寿の肉体と人ならざる力を手に入れた存在なの。前世のわたしは天上界の生まれで、彼らと同じように不老長寿の肉体を持っていたけれど、今のわたしはただの人間だから、同じ時は生きられない。そして、かつての大きな戦争の際に、仙人界から不老長寿の技法も失われ、今はもう人間が仙人に昇華する術は技法が失われる以前に作られた丸薬一つを残すのみになってしまっているの。人間のわたしと元人間の郭の間の子であるあなたは、人間にしては霊力がとても強いという事を除いてただの人間だったわ。でもわたしかあなたのどちらかしか不老長寿にはなれない。それで、どうすることが一番良いだろうって話し合ったの。それで、あなたを人間界で育てて、あなたが独り立ちしたら、わたしは事故か何かに見せかけて死んだことにして、それから丸薬を飲んで彼と永遠に近い時を生きようって決めたの。年をとらない彼が頻繁にあなたに会いに来てたらおかしく思われるでしょ?だから会えなかった。存在しないはずの存在である彼が一緒に写真に写ることもできなかった。でも、あなたのお父さんはずっとあなたの成長を見守っていてくれてるのよ。いつだって陰で支えてくれているの。」

 そうして母の話が終わって、祥子は黙り込んだ。不安そうにやっぱりこんな話し信じられない?なんて訊いてくる母に、祥子は首を横に振って答えた。

 「信じるとか信じないとか、それ以前に突拍子のない話しすぎて受け止めきれない。でも、お母さんが嘘ついてるとは思わないよ。だからといって受け入れるにはちょっと現実感がなさ過ぎて。ちょっと時間が欲しいかも。」

 そう言う祥子に母は優しく笑いかけて解ったと一言言った。

 「あのさ、お母さん。」

 「なあに?」

 「わたしさ、今日、アユ兄に告白されちゃった。」

 そう言うと母は驚いたような顔をしてあらと言った、

 「わたし、アユ兄はお母さんのこと好きだと思ってたから吃驚しちゃって。ほら、アユ兄が中学生の時とかさ、アユ兄お母さん見て鼻の下伸ばしちゃってさ。美晴さんていいよな、美晴さんみたいな彼女欲しいとか言っちゃってさ。お母さんがいると妙にうきうきしちゃって、やたら手伝いとか申し出ちゃってさ。お母さんにはいつもそんなんだったのに、わたしに対してそんなの今までなかったしさ。」

 そんなことを言う祥子を見て母は微笑んだ。

 「訳がわからないよ。アユ兄が大学行ってた時に彼女がいたのも知らなかったし。なんかさ、よく知ってるはずのアユ兄が全然知らない人みたいだったの。なんかサラッとさ。なんか熟れた感じでさ。告白してきてもアユ兄は涼しい顔しちゃってさ。わたしの知らないところでアユ兄は色々恋愛してきたんだろうなって思ったら、なんか悔しくて。告白されたわたしの方がしどろもどろになっちゃってさ、アユ兄はいつも通りだし。なんかか悔しい。本当になんかよくわからないけど凄く悔しいの。悔しくて、何かもやもやする。お母さん、わたしどうしたら良いと思う?」

 そう言って母親に助言を求めると、そのままを歩君に話してみれば?と言われて、祥子はふて腐れたような顔をして机に突っ伏した。

 「祥子ちゃんは歩君のことが好き?答えは祥子ちゃんの中にしかないんだから、自分が歩君のことどう思ってるのか自分の心とよく向き合ってみて。それで答えを見つけたら、その答えを伝えれば良いと思うわ。歩君は良い子だし、祥子ちゃんが歩君とお付き合いしたいって言うなら、お母さんは賛成よ。」

 そう言う母に優しく頭を撫でられて、祥子は考えてみると呟いた。


         ○                    ○


 「アユ兄いる?」

 そう言って豊中の村おこし事業の事務所になっているプレハブ小屋を祥子が訪ねると、驚いた顔をして豊中が振り向いた。

 「祥子ちゃん?今日平日だよ。なんでこんな時間にここにいるの。学校は?」

 そう言われて、祥子は開校記念日と答えた。あがってもいいか訊くと、もちろんと答えが返ってきて、今お茶淹れるからそこら辺に座っててと促されて、祥子は適当に椅子に座った。

 「急に訪ねてきてどうしたの?」

 お茶の入ったカップを差し出しながら豊中がそう訊ねてきて、祥子はカップを受け取って視線を落とした。

 「アユ兄がわたしが高校卒業したら事業手伝って欲しいって言うから、どんなことやってるのか見に来ただけ。わたしに手伝えるか解らないし。今のうちからさ、ちょっと見学くらいしとこうかと思って。」

 「ってことは、卒業したら手伝ってくれるつもりなんだ。」

 「まだ解らないよ。本当にわたしができるか解らないし。だから見に来たんだし。」

 「でも、できそうなら来てくれるんでしょ。」

 そう言って笑顔を向けられて祥子はできそうならねと呟いた。

 「できるよ、祥子ちゃんなら。俺教えるし。今はまだ整備の段階で人を増やせないけど、軌道に乗ってきたら人も増やすつもりだし、適材適所でできる事を頑張ってくれればいいんだから。」

 そう言う豊中にちょっとやってみる?とコンピュータの前に座らされて祥子は固まった。

 「祥子ちゃんはどんくらいコンピューターできる?」

 「学校で教わったくらい。文章打ち込んだりとか、簡単なグラフ作るくらいならできるけど、ホームページ作ったりとかそういうのはできないよ。」

 「充分。じゃあ、このファイル開いて、この書類のこの部分がここね、で、これはここ。こんな感じでこれ全部打ち込んでくれる?」

 そう言われて祥子は解ったと言って打ち込みを始めた。

 「助かるよ。ただ写すだけなんだけどこれが地味にキツくてさ。やってるとだんだんどこまで打ったか解らなくなってきたり、入力する場所間違えててやり直しとかね。こまめに保存しとかないとせっかく打ったのにパーになることもあるから気をつけて。」

 笑いながらそんなことを言って豊中も自分の仕事を始めて、暫く二人は黙々と作業していた。

 「アユ兄、できたよ。」

 そう声を掛けると、豊中が驚いたような顔をして顔を上げた。

 「早っ。もうできたの?」

 そんなことを言いながらコンピュータの画面を確認して、豊中が感嘆の声を上げた。

 「完璧。こんな短時間で打ち込みって終わるもんなんだ。じゃあさ、他のもお願いしていい?」

 そんなことを言って、豊中が書類の束を渡してきて祥子は抗議の視線を向けた。

 「アユ兄、もう完全にわたしのこと使う気でしょ。」

 「バレた?俺がやるより早そうなんだもん。バイト代として昼飯奢るからさ。お願い。」

 笑いながら手を合わせて豊中がそんなことを言ってきて、祥子はしょうがないなと言って笑った。

 「祥子ちゃん、凄いね。」

 打ち込みをする祥子を眺めながら心底感心したように豊中が呟いて、祥子はタイピングだけはねと言って笑った。

 「ほら、お母さんがコンピューター使って在宅で仕事してるじゃん。お母さんがブラインドタッチでコンピューター操作して仕事してる姿見てさ、ちっちゃい頃それが凄くかっこよく見えて、自分もできるようになりたいって言って、お母さんにタイピングソフト買ってもらってひたすらやってたことがあってさ。タイピングの早さと正確性だけは自信あるんだ。」

 「祥子ちゃん、即戦力じゃん。書類形式とか色々基礎的なこと教えるから、事務処理全般やってくれたら本当助かる。そしたらそれだけ俺は外回りとか他のことに時間割けるし。」

 「事務処理って多いの?仕事大変?」

 「毎月の会計報告とか色々ね。事業計画書とか事業報告書とかその辺は俺がやるけど、補助金もらうのに役所に出さなきゃいけない書類もあるし、結構事務仕事多いよ。なんかするにも企画書作って売り込んだりとかさ、交渉とかしなきゃいけないし、大変って言えば大変かな。村おこしの計画立てて村の皆がやる気になってくれても役場が動いてくれなきゃダメなことも多いし、逆に役場がこういうことしたいって言うのを村民の方が渋ったりとかさ。村を活性化させたいって気持ちはあるけど、そのために村が根底から変わっちゃうのは嫌だって言うか、今の生活を崩したくないとかさ、まぁ色々あって、書類仕事だけじゃなくて結構あっちこっち頭下げに回ることも多いよ。最初の頃なんて怒鳴られて追い出されることも多かったし。最近は協力してくれる人も増えて、村のネット環境の整備もだいぶすすんだし、いくつかの企画の許可が村民と役場両方からようやく出て、ようやく本格的に始められるかなって感じだけど。実際上手くいくかもわからないし、前途多難かな。」

 そんなことを言いながら豊中が楽しそうに笑って、祥子もつられて笑った。

 「祥子ちゃんが手伝ってくれたら本当に助かるけど。こんな感じで全然安定もしてないし、将来の保証なんてできないからさ。祥子ちゃんがもっと安定したところに勤めたいって言うなら無理してうち来なくても良いよ。祥子ちゃんが来てくれたら俺が楽ってだけで、どうにもできないわけじゃないからさ。」

 そう言われて、祥子は手伝ってあげると言っていた。

 「その代わりここが潰れたら責任とって、アユ兄、ちゃんとした所に勤めに出てわたしのこと養ってね。」

 そう言って祥子は伏し目がちに豊中を見上げた。

 「祥子ちゃん、それてってさ・・・。」

 そう言われて、一気に恥ずかしくなって、祥子は視線を逸らしてコンピュータの画面に集中するふりをした。そんな祥子を見て豊中が笑う。

 「それが終わったら、ちゃんとその言葉の意味を聞かせてくれる?俺からの告白受けといて、冗談じゃ済まさないからね。」

 そう言って自分の仕事に戻っていく豊中を横目で見て、祥子はなんとなく腹が立った。結局わたしの方がドキドキしててさ。アユ兄余裕ぶっこいちゃってさ。何がそれが終わったらちゃんとその言葉の意味を聞かせてくれる?よ。冗談じゃ済まさないとか、そんなサラッと涼しい顔でいつも通りの調子で言っちゃってさ、わたしばっかドキドキして、緊張して、恥ずかしくて、バカみたい。そんなにいつも通りでいられるとか、本当はわたしのこと大して好きとか思ってないんじゃないの?わたしが恋愛経験ないからってさ、甘いこと言えば軽く引っかかるとか思ってるんじゃないの。アユ兄はそんな人じゃないと思うけど、でもさ、もう少しさ、わたしが好きって言うならわたしのこと好きそうな反応したっていいのに。そんなことを考えて、祥子はアユ兄のバカと小さな声で呟いた。

 仕事が一段落して、豊中に捕まって対面させられ、じゃあちゃんと聞かせてくれる?なんて言われて、祥子は顔が熱くなって深く俯いた。

 「ここが潰れたらちゃんとした所に勤めて養えってさ、それって俺と結婚を前提に付き合ってもいいってこと?」

 そう言われて、祥子は結婚を前提になんて考えてなかったと思って、自分が言ったことってそういうことなんだと思って、余計恥ずかしくなって更に顔が熱くなった。

 「結婚を前提とかそんなの考えてなかった。」

 「じゃあ、俺と付き合うのは?俺と恋人同士になってくれる?」

 そう問われて、祥子はアユ兄はさと叫んでいた。

 「そうやって涼しい顔でいつも通りの話しするみたいにさらっとそんなこと言ってきてさ、わたしのこと好きとか言っておきながら全然そんな感じじゃないじゃん。わたしばっかアユ兄に言われたこと考えてドキドキしてさ、訳わからなくなって、なんか恥ずかしいし、変な感じするし、緊張してさ。アユ兄は全然いつも通りじゃん。アユ兄はわたしの知らないところでいっぱい恋愛してきてさ、彼女作ってイチャイチャして、そういうの慣れてるのかもしれないけどさ。そうやって女の子に告白したり、お付き合いしたりなんだり気軽にできるのかもしれないけどさ。わたしにとったらそんな気軽じゃないから。そんな涼しい顔してさらっとできるようなことでも、そんないつも通りに振る舞えるような事でもないから。アユ兄が告白してきたのに、わたしばっかこんなんでさ。凄く悔しい。昔からお母さんにはデレデレしちゃってさ、うきうきしながら色々話しかけたりさ、緩んだ顔して美晴さんっていいよなとか言ってたりしてたのにさ、お母さんに襟とか直してもらって顔赤くしてたくせに、わたしにはそういうの全然ないじゃん。昔から何かあるといつもすぐ気が付いてくれて、助けてくれて。わたしの前ではずっと頼りになるお兄さんで、わたしのことはずっと子供扱いだったじゃん。アユ兄はさ、村に残るつもりの年頃の女の子がわたしくらいしかいないから、わたしに告白したんじゃないの?本当はわたしのことそこまで好きでも何でもないんじゃないの?なのにさ、わたしばっか、わたしばっかこんななって悔しい。アユ兄に好きって言われて、付き合って欲しいって言われて、こんな浮かれちゃってさ、わたしバカみたいだし、凄く悔しい。悔しくて悔しくてしょうがないの。」

 そう捲し立てて、祥子は一呼吸ついて荒くなった息を整えた。顔を上げて豊中を見ると、顔を両手で押さえて蹲る豊中の姿が見えて祥子は疑問符を浮かべた。

 「アユ兄?」

 そう声を掛けると、豊中が唸るように、もうムリと呟いた。

 「祥子ちゃん。俺がそんな余裕そうに見えてたの?本当に、俺が村に残るつもりの女の子が祥子ちゃんくらいしかいないから、大して好きでもないのに告白したなんて思ってるの?」

 そう言う豊中に引っ張られて、祥子は抱きしめられていた。

 「解る?俺がどれだけ我慢していつも通りを繕ってたか。余裕ないのバレたら格好悪いと思ってさ、大人ぶって格好付けてただけだって。もうさ、祥子ちゃんずるいよ。そんなこと言われたら俺もうムリだから。抑えられないから。」

 そう言う豊中にキスをされて祥子は頭の中が真っ白になった。

 「好きだよ祥子ちゃん。本当かわいい。」

 そう言われ、何をされたのかようやく頭が追いついて、祥子は顔が熱くなり訳がわからなくなった。そのまま押し倒され、今度は深くキスをされ、祥子は驚いて豊中の身体を引き離そうと手に力を込め思いっきり押したが、豊中の身体はびくともしなくて、ただされるがまま口内を貪られて、そのうち頭がぼーっとしてきて抵抗する力も抜けて、祥子はぼんやりとそれを受け入れていた。唇を離されて、どこか曖昧ではっきりしない視界で自分の上に跨がり自分を抑え付ける豊中を見つめながら、祥子は呆然とアユ兄は男の人なんだなと思った。そのまままたキスをされて、気が付くと豊中の手が服の中に入ってきて祥子は身を固くした。豊中の熱い息を肌に感じて、指で身体をなぞられ、愛撫され、祥子は何が起きているのか訳がわからなくなった。これは何?アユ兄?何か変。何かおかしい。何してるの?わたし何されてるの?そして自分の身体を弄っていた豊中の手が股の間にのびてきて、祥子は思わずヤダと叫んでいた。一回そう声を上げると全身を恐怖が包んで身体が震えた。

 「アユ兄。怖い。止めて。アユ兄、お願い。こんなの嫌だよ。」

 目に涙を溢れさせてそう懇願する祥子を無視して豊中は行為を続け、また深くキスをした。そうされるとまた意識がはっきりしなくなってきて、このままわたしアユ兄としちゃうのかな、アユ兄となら別にいいかななんて考えがぼんやりと頭に浮かんできて、唇を離して自分を見下ろす豊中を祥子はぼんやりと見上げていた。そして横から凄い勢いでトラックに突っ込まれたかのように豊中が吹っ飛んで自分の上からいなくなり、祥子はいったい何が起きたのか認識できなかった。

 「祥子ちゃん、逃げなさい。」

 そう声がして声の方を見ると、普段のおっとりとした様子が消え険しい表情をした母がそこにいた。

 「お母さん?」

 「祥子ちゃん。しゃきっとして。できるだけ遠くへ逃げるのよ。」

 「アユ兄は?」

 ぼんやりとした様子でそう呟く祥子に、母は悲しそうな視線を向けた。

 「祥子ちゃん、歩君は死んだのよ。だから、歩君の幻を見ても騙されてはいけないわ。」

 アユ兄が死んだ?さっきまでここにいたのに。ここに・・・。そう思って、祥子は自分が今居る場所が豊中の事務所ではないことに気が付いた。

 「ここどこ?」

 「神社がある山の中よ。お父さんが向かってきてくれてる。麓に下りて家を目指しなさい。」

 「お母さんは?」

 「あの化け物をどうにかするわ。」

 そう言う母が視線を向けていた先に祥子も視線を向けると、そこには人の形をした何か恐ろしい者が立っていた。それに向かって母がなかなか縁というものは切れないものねと呟いたのを聞いて、祥子は疑問符を浮かべた。

 「人の形をしていてもあなたはもう鬼なのね。もう言葉も通じないのかしら。」

 そう言いながら母が何かをしているように感じて、祥子は漠然と母を見ていた。そして母が何かを唱えると、白い閃光が化け物めがけて放たれ、祥子は母に引っ張られた。

 「祥子ちゃん。混乱するのは解るけど、しっかりして。気をしっかり持つのよ。現実を受け入れなくても良いから、夢を見ているのだと思って良いから、今はちゃんと立って。必死になって逃げなさい。」

 そう言って母は祥子を強く抱きしめた。

 「祥子ちゃん、愛してるわ。」

 母にいつものように優しい笑顔を向けられて、優しく頬を撫でられて、祥子は嫌な予感がした、

 「お母さんも一緒に逃げよう。」

 そう言うと母は優しく微笑んで、祥子ちゃん一人で逃げるのよと言った。

 「もう小さな子供ではないのだから、ちゃんとできるわね。お母さんなら大丈夫。こう見えてお母さんとても強いのよ。なんとかして見せるわ。」

 そう言うと母は厳しい声で叱りつけるように、行きなさいと叫んだ。その声に背中を押されるように祥子は駆けだした。背中で激しい戦闘が繰り広げられる音がする。訳がわからない。何が起きたのか、何が起きてるのか全く解らない。それでも祥子は母に言われたとおり、必死に走り続け、山を駆け下り、自分の家に向かった。訳もわからず涙が溢れた、そのうち嗚咽も漏れてきて、祥子は叫び声を上げながら、ただひたすらに走っていた。

 気が付くと祥子は自分の部屋で横になっていた。

 「目が覚めたか?」

 そう声を掛けられ、ほっとしたような顔をしている男性と目が合い、そこに自分の面影を見つけて、祥子はお父さん?と呟いていた。それを聞いた男性は一瞬驚いたような顔をしてから優しく微笑んで、あぁそうだよと言って祥子の頭を撫でた。

 「大変だったな。もう大丈夫だから、お前はゆっくり休んでいなさい。」

 そう言われ、祥子はお母さんは?と呟いた。

 「大丈夫よ。春麗の所には清廉賢母(せいれんけんぼ)が行ったから。」

 父の後ろからそう声がして、驚いたように父がそちらの方を向いて、淑英(しゅくえい)と呟いた。

 「全く、大した準備もしないで飛び出すんだから。バカじゃないの。」

 そう言って仁王立ちする女性の姿が自分とよく似ていて、祥子はなんだか不思議な気分がした。

 「ちゃんと(けん)(じん)連れて出ただろ。」

 「堅仁連れて何の役に立つのよ。今の春麗はまともに戦えないのよ。誰が春麗の援護に行くの?それとも何?この子を一人ここに置いて戦闘に出る気だったの?家の周りに結界張って安全を確保したってね、こんな状態でこんな所に独り置いてかれたらこの子がどれだけ怖い思いすると思ってるのよ。堅仁置いてくつもりだったとしたら、どうやって春麗の居場所掴む気だったの?あんた戦うしか能がないでしょ。それに、あんたが父親なんだからあんたが付き添ってあげなさいよ。」

 「ちゃんと薬盛って寝かしつけてから出るつもりだったから問題ないだろ。」

 「そういう問題じゃなくて。もう、本当信じらんない。本当バカじゃないの。あんたなんて父親失格よ。」

 そう喧嘩を始める父と女性にうんざりしたような視線を向けながら二人の横をすり抜けて男性が祥子の傍にやって来た。

 「気が滅入ってるとこ悪いな、嬢ちゃん。あんたの父親と叔母さんは昔からあんなんだから許してやってくれ。俺はあんたの親父の友達で正蔵磁生(まさくらじせい)。こんなでも一応医者だ。ちょっと診させてもらうぞ。」

 そう言う磁生に促されるまま診察を受けながら祥子はぼんやりと今日あった事を思い出していた。今日は開校記念日で学校が休みだったから、色々考えてアユ兄の所へ行った。訪ねて行ったものの、何を話せば良いのか解らなくて、卒業したら仕事を手伝ってって言ってたから見学にきたのだと言っていた。それで、仕事を手伝って、告白の返事を迫るアユ兄に怒鳴っちゃって・・・。


 「祥子ちゃん。俺がそんな余裕そうに見えてたの?本当に俺が村に残るつもりの女の子が祥子ちゃんくらいしかいないから、大して好きでもないのに告白したなんて思ってるの?」

 そう言われて祥子は違うの?と言って、違うよ、違うに決まってるじゃんと豊中に嘆かれた。

 「解る?俺がどれだけ我慢していつも通りを繕ってたか。余裕ないのバレたら格好悪いと思ってさ、大人ぶって格好付けてただけだって。もうさ、祥子ちゃんずるいよ。そんなこと言われたら俺もうムリだから。抑えられないから。もうそれさ、俺のこと大好きって言ってるようなもんじゃん。そのくせ俺の好意は信じられないとか酷すぎるから。」

 そして豊中に、本当祥子ちゃん鈍感すぎて嫌だと言われた。

 「俺がどうしていつも祥子ちゃんに声かけてたと思ってるの。どうして祥子ちゃんの好きな物奢って愚痴聞いてたと思ってるの。祥子ちゃんのことが好きだからでしょ。そんでもって、ちょっとでも好きな子と一緒にいたかったからだから。どこの世界に好きでもない子の愚痴を率先して聞いて、しかも色々奢る奴がいるんだよ。俺、そこまでお人好しじゃないからね。もう完全に下心だから。祥子ちゃんにはいつも元気でいて欲しかったし、俺のこと頼って甘えて欲しかっただけだから。」

 そう言って豊中は溜め息を吐いた。

 「けっこう前から好きだったけど、祥子ちゃんもいつかは村出てくと思ってたから、怖くて好きだって言えなかったんだよ。それで、祥子ちゃんから告白してきてくれないかなってちょっと期待してた。だって祥子ちゃん、他の奴の前じゃけっこうつんけんしてるのにさ、俺には弱み見せて甘えてくんじゃん。俺といるときいつも楽しそうに笑ってくれるしさ。俺のこと好きなんだと思うじゃん。だから俺が言わなくてもそのうち祥子ちゃんから言ってくるかなとか思ってたのにさ、なのに、いつも奢らされて愚痴聞かされるだけで、全然何にもなくてさ。なんかやたら美晴さん狙いで祥子ちゃんに近づいてるみたいなこと言ってくるし。解る、俺の気持ち?俺がどんだけいつもヤキモキしてたと思うの。好きな子にあんな無防備な姿目の前にさらされてさ、どんだけ自分抑えるの必死だったか解る?何回誘惑に負けて、頭撫でたり手握ったりしそうになったか解んないよ。あと、抱きしめたりキスとかしたい衝動をさ、マジでどんだけ我慢してたと思うの。そうやって必死こいて自分抑えてたらさ、祥子ちゃん村出てく気ないって言うじゃん。あの時俺がどんだけ嬉しかったか解る?それがあるから勇気が出せなかったのに、そんなこと言われてもう我慢なんかできるわけないだろ。でも今回は本当に祥子ちゃん深刻に悩んでたのも解ってたからさ、なんかあのタイミングっていうのにちょっと後ろめたくなったりして・・・。」

 そう言って、豊中はもう本当嫌だと言って一回両手で顔を押さえて、それから手を下げて祥子を見て、祥子ちゃん、顔真っ赤。何それ本当ずるいと言って笑った。

 「好きだよ祥子ちゃん。本当かわいい。」

 そう言われて、祥子は恥ずかしくて豊中の顔が見れなくて俯いた。

 「アユ兄、わたしがアイス好きだと思ってるけど、わたし別にそこまでアイス好きじゃないから。」

 何故かそんな言葉が出てきて、祥子は自分がおかしくなった。

 「昔わたしが虐められてた時、アユ兄が助けてくれてその後アイス奢ってくれたの。それで、落ち込んでるときとか、元気が出ないときアイス食べるとその時のこと思い出してちょっと元気になれるから。だから、アイスが好きなんじゃなくて、わたしアユ兄が好きなの。ずっとアユ兄が好きだったの。」

 そう言って、アユ兄じゃなくて歩にしない、と言われて、祥子は歩と呟いてみた。

 「わたし、歩が好き。」

 「俺も祥子ちゃんが好きだよ。」

 そう言い合って、キスをした。そしてなんとなく二人で神社にお参りに行った。

 「俺たち付き合い始めましたよって報告に行くのか?」

 「じゃあ、何かお願いする?歩の事業が成功しますようにとか。」

 「無事に祥子ちゃんが高校卒業できますようにとか?」

 「わたし、別にそんな単位危なくないよ。」

 「じゃあ、祥子ちゃんの気が変わって村を出てくとか言い出しませんようにとか。」

 「何それ・・・。」

 そんな他愛のない話をして笑い合った。そして・・・。


 「神社に何かいた。恐ろしい何かが神社にいて、歩はいらないって、わたしだけ欲しいって、歩の首が飛んでった・・・。」

 そんな言葉が口から漏れて目に涙が溢れ、磁生に口に何かを突っ込まれて、祥子はそれを飲み込んだ。

 「大した怪我はないが、とんだもん背負っちまったな。怖い夢見たと思って忘れるって言うのも一つの手だぞ。」

 そう言う磁生の声が酷く優しい響きで遠くに聞こえた。

 「俺は立ち直るまで云千年もかかっちまったが、あんたにはそんな時間はないからさ。忘れたきゃ忘れちまえ。あんたが忘れたいと思ったら忘れさせてくれるように頼んどくから。」

 いったい磁生が何を言っているのか意味が解らなかった。ただ、酷い睡魔に襲われて、祥子はその意識を手放した。


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