序章
特殊犯罪対策課の課長、木村浩文は、自分の机で書類の整理をしながら眉間にしわを寄せていた。
事件の特殊性から公に捜査できない事件に当たるように警察管内に設置されたこの部署であるが、そんな特殊犯罪が起こることなどそうそうなく、というよりこの課ができてから今のところ一度だってそんな事件が起こったこともなく、この課に属している者が主にやっているのは他の部署の応援、そして課長である浩文が行っているのは全国から集められた未解決事件の情報の整理ばかりだった。全国から集められた未解決事件の整理といっても、まともな事件の情報がここに送られてくることはなく、ここに送られてくるのは家出人の捜索届け出した家族が○○が家出するわけがない神隠しに遭ったんだって言ってるだとか、どこそこの山の山火事は何かの仕業だから調査しろとか爺さんが言ってるとか、そんな妄言と思われるようなものばかりで、それにいちいち目を通さなくてはいけないと言うことが浩文には憂鬱だった。そもそも事件の特殊性から公にできない事件って何だよと思う。何年か前に関わったある一件を機に、それ以前にはなかったはずの特殊犯罪対策課という課がさも以前からあったかのように存在し、当たり前のように自分が課長になっていたが、浩文にはいったいこの部署がどういう働きをすれば良いのか解らなかった。課内で状況を一番理解していそうな杉村涼花は、課長は浩文さんなんですから頑張って下さいね、なんて猫を被った淑やかな笑顔で面倒な事を全部人に押しつけて自分は指示の元動いているだけの下っ端に徹しているし、他の構成員の村上俊樹・香澄の兄妹もマイペースに好き勝手やっているしで、浩文は常々自分達はこれでいいのか?と思っていた。
「お疲れ様。コーヒー淹れたから飲んで。」
そう声が掛けられて顔を上げると、そこにコーヒーのカップを持った香澄が立っていて、浩文はお礼を言ってカップを受け取り一口すすって、その香りと味に癒やされた。本当にこいつの淹れるコーヒーは旨いなと思って、さすが高校生の時バイト先の喫茶店でマスターに教わっていただけのことはあるなと思って、浩文は今はないその喫茶店を思い出し、そこで過ごした時間を懐かしく思った。あの時のことは今でも本当に夢でも見ていた気がする。それくらいあまりにも非現実的でありえないことが目の前で起きていた。でも、今自分を取り巻く現状がその頃のことが夢でなかったと物語っている。それがなければこの課は存在しないし、この課に集められた面々と自分は出会っていないと思うし、超能力の存在や不老長寿の肉体を持った人達の存在など今でも信じていなかったと思う。
「本当、お前の淹れるコーヒーは旨いな。」
しみじみとそう言うと、香澄が、だってわたし浩文さんに振り向いて欲しくて高校生の頃いっぱい練習したんだもんと言ってきて、浩文は苦笑した。
「わたし、浩文さん好みのコーヒー淹れることならマスターにも負けないよ。あの頃、本当に浩文さんに振り向いて欲しくて頑張ってたのにさ、浩文さん全然本気にしてくれなかったからな。わたしの告白断って、何言ってんだとか、大人をからかって遊ぶなとかそんなことばっか言われて、わたし結構傷ついたんだからね。」
顔を覗き込まれてそう言われて、浩文はあれを本気にしろとか無理だろと思いつつ、悪かったよと謝った。あの頃懐かれてる感じはしてたけどさ、自分より九つも年下の高校一年生だったガキに、こんな美少女のわたしが浩文さんのためにコーヒー淹れてあげたよ、とかさ、浩文さん安月給だし浩文さんいつも頑張ってるみたいだから今日はわたしが奢ってあげようかとか笑いながら言われてそこに恋愛感情があるって思うか、普通。告白っぽいこと言われて切り捨てたって、こんな美少女の告白断るとかありえないって頬膨らませてた感じだしさ。どう考えても俺に女っ気なさそうだからからかってるだけだと思うだろ。浩文はそんなことを考えつつ、結局それでも最後は押しに負けて今は俺の恋人だもんなと思いながら香澄を眺めた。
「香澄。いくら自分の彼氏だからって職場では上司なんだから敬語使えよ。ってか、職場でイチャつくな。」
「わたし達全員に招集をかけるって何かあったんですか?」
そう声がして、他の部署への応援から帰ってきた俊樹と涼花を確認し、浩文は用意していた資料を三人に渡した。資料に目を通し怪訝そうな顔をする涼花と不思議そうな顔をしている香澄に対し、俊樹だけは何かを考え込むように難しい顔で資料を眺めていた。
「これがどうかしたの?いつもみたいにわたしがちょろっと調べて終わりじゃないの?わざわざお兄ちゃん達まで集める必要あるのかな?」
そう言う香澄を一瞥し、浩文の方を見て俊樹が口を開いた。
「課長。もしかしてこれは清水がらみの事件ですか?」
その俊樹の言葉に女性二人が驚いたような顔をし、浩文は解らないがお前もそう思うかと呟いた。
「俊樹も同じように思うって事は俺の勘違いじゃなさそうだな。清水家が崩壊に至ったあの件の時に一度目を通しただけだから自信がなかったんだが、この行方不明者リストが清水が保管してた異能者の血縁者リストと被る気がして、どこかにまだ隠された研究施設が残ってて、再起を図ってまた何かしてるんじゃないかとか考えな。例えば、普通の奴より異能への順応が高いであろうこいつらを集めて、超能力を植え付けて洗脳して、自分達の兵隊にしようとかな。そうやって自分達の権力を取り戻すための戦争の準備をしてるとか。物騒な話しだがあいつらならやりかねないだろ。清水の主要人物達は皆あの時死んでるとはいえ、同じ思想の奴が残ってないとも限らないしな。」
清水家。それはかつてこの国を裏で操っていたといっても過言ではない家だった。かつて医療研究の分野で国内随一の勢力を持ち、数多くの病院や研究施設を保有していた清水家は、裏で国の後ろ盾を元に数々の非人道的な研究を行っていた。その一つが兵器としての超能力者開発。清水家は伝説に謳われるような人物や人外の者、異能家系と呼ばれる家系を基に研究を行い、生まれつきの超能力者の開発や超能力を持たない者への超能力の植え付け実験を行い、実用段階まで研究を完成させていた。結果それが敵に回してはいけない存在を敵に回すこととなり、清水家はその全てを失うこととなったのだが、いくら清水の保有する施設を全て潰しそこにあった資料や機材の一切合切を破壊しつくしたところで、また職員が個人で持っていたコンピュータも含め清水の保有するコンピュータ全てのデータをデリートしたところで、取りこぼしが全くないとは言い切れない。もし取りこぼしがあったのなら、清水の残党は今でも研究を続けていることだろう。
「もし清水の残党が残ってて何かを企てているならそれを阻止するのが俺たちの仕事だ。杞憂かもしれないが心して当たってくれ。」
かつて清水の超能力者研究の完成品として研究所で生まれた村上香澄。清水家の闇を暴こうと画策し幼かった香澄を研究所から盗み出した父親に彼女を押しつけられて、嫌々ながらも父親の仕事を手伝いながら、香澄と共に清水の陰謀と戦った村上俊樹。清水がかつて不老長寿の研究の検体として保管していた人間と人外の間の子供の遺体の残りが少なくなり、その代わりとなるべく作られたその子供のクローンである杉村涼花。何も知らずにただ目の前にある理不尽から涼花を救おうとし、清水崩壊の騒動に巻き込まれ奮闘した木村浩文。特殊犯罪対策課とは、清水家崩壊の折に奮闘した面々が集められ作られた組織。世間から忘れ去られた同じ秘密を共有した仲間の集まりだった。
「香澄ちゃん。楓に連絡してこの件を伝えてこの資料も送っておいてもらえる?」
涼花のその言葉に香澄が二つ返事で了承し、自分の端末をいじり始めた。
「楓さんに連絡したら、わたしいつもみたいにこの人達が行方不明になったときの状況とか調べてみるね。ただ発生場所がド田舎だから、監視カメラとかの情報は期待できないかも。この人達の個人端末の情報追ってある程度行方や行動が割り出せないかやってみる。」
香澄のその言葉に頼むと応え、浩文は他の二人に視線を向けた。
「二人は現地に飛んでこの件を調べて来てもらえないか?」
その問いかけに俊樹が俺だけでいいと答えた。
「涼花は目立つし、あいつらの残党が残ってるとしたらあいつらの重要な検体だった涼花は初期捜査には向かない。」
「いや、俊樹一人じゃ危ないでしょ。清水の超能力者がいたとしたらこの中で対応できるのはわたしだけだよ。ろくに戦えもしないくせに何言ってるの。わたしも行く。」
そう言う涼花を一瞥して俊樹が足手まといだと言った。
「戦闘になればお前の力が必要だろうが、調査だけなら俺だけの方がやりやすい。離れてても香澄の援護は受けられるし、泥棒してた時の俺たち兄妹のやり方でやるのが一番だ。香澄、お前の仕事量が増えて負担を掛けるができるな?」
そう言われて香澄がもちろん任せておいてと親指を立てて笑った。
「お前が来ても無駄な戦闘になるリスクが高くなるだけだ。もしもの時は任せるからお前はここで待機してろよ。」
そう言うと俊樹は涼花の肩を叩いて頼りにしてると言った。それを聞いて涼花が一つ溜め息を吐く。
「しかたがないから今回は俊樹の言う通りにしてあげる。」
そう言って涼花は俊樹の頬をつねった。
「痛っ。何すんだよ。」
「人のこと足手まとい扱いするし、何か腹が立ったから。」
そう言うと涼花は浩文の方を見て、これでいいかしらと確認を取った。
「ああ問題ない。現地には俊樹が飛んで、残りはここで待機し情報収集と援護を頼む。何かあれば涼花にもすぐ飛んでもらうから、いつでも飛べるように準備だけはしておいてくれ。」
浩文のその言葉を受けて、それぞれが自分の仕事に取りかかった。