事件。
「はぁ、床固い、冷たい。」
入学式の真っ最中だから誰も来るはずもなく、図書室のドアの前で座り込んでからもう30分くらいが経過していた。
「後どれくらいだろ…。もう帰りたい。」
このまま引き帰ってもよかったものの、さすがに初日の出席確認からいないとなるとまずい。
こんなことになるなら、ちょっと遅れてでも入学式に出ておいた方がよかったんだろうか。
「さっきの人たち…、あの時間だと確実に遅刻だったよね…。」
遅れたら目立つから、とかそんな理由じゃなくてただめんどくさくてさぼりなんだろうな。
そんなことを考えていたら、すぐ近くの階段の下の方が、ざわざわと騒がしくなった。
「え、こっちから上がってくるの…?」
1年生にせよ2年生にせよ、ここにいることがばれたらまずい。
私は急いで立ち上がって、廊下の少し先にあった女子トイレに駆け込んだ。
教室からは離れた所にあったから油断していた。
最初に先生の声がして、その後から生徒達の声がする。他の教室の位置まで説明してから、教室に戻る予定だったんだろう。
「高校生にもなって校舎案内とか…。かんっぜんに油断した…。」
私は、廊下のざわざわが収まってから、そっとそれについていくように小走りした。
これならきっと、教室に入るときも目立たずにすみそうだ。
その前に、ここに来るまでは一生懸命だったから何も思わなかったが、ここから教室まで戻る道がわからないのだ。
これについていかないと、多分遅刻どころかHR中の1番気まずいときに入らないといけなくなってしまう。
「…それだけは絶対避けないと…。」
幸い、生徒達が騒いでくれたから、私は見失うこともなく教室に戻って来ることができた。
出席番号1番のくせにいなかったせいか、何人かの生徒は私のことに気づいているみたいだった。
「はぁー…、はやく帰りたい。」
私といえば、教室について荷物を置き、席に着いた途端机に伏せて狸寝入り状態。
話しかけられるのを避けるにはこれが1番効果的なのだ。
「ほら、早くこいよみんな座ってんじゃん。」
「待ってよ司くんー、はやいー。」
私の席の前を、ふわっと甘い香りが通った。
「あっ司くん私の後ろー、やったねぇ。」
「そりゃお前苗字近いんだから当たり前だろ。」
「司くんが後ろにいればぁ、安心かなぁと思ってー。」
「うっせえはやく座れ。」
仲がいいのか悪いのか、私には判断できなかった。
あんな風に言い合える相手が、今までいたことないっていうより、あんな風に人に何かを言えたことが今まで1度もない。
ガラッとドアが開く音がして、今までどこかに行っていたであろう先生の声がした。
私は仕方なく体勢を起こして、視線を下に落とした。
「えー、1年間担任をする向井です。教科は数学、よろしくなー。」
数学、ときいた途端、周りの空気が少し曇ったのがわかった。
国語よりずっと簡単なのにな、数学。
私は昔から、なぜか国語だけは苦手らしくできなくて、中学のときも先生になぜか心配されたくらいだった。
「あー、高校生だし、自己紹介とかははぶくぞ。必要最低限のものだけ配って、今日は解散なー。」
この先生も早く帰りたいと思っているんだろうか。そうだとするなら仲間だな、と私はそんなことを考えていた。
本当は1時間弱くらいの予定だったHRは、たった30分でおわって、あっという間に今日は解散になった。
私は、はやく帰ろうと荷物をまとめて、早歩きで教室を出ようとした。
「っと…、わり。」
「いった…、あっ…。」
いきなり目の前に現れた大きな影。
一瞬で誰かとぶつかってしまったのだとわかった。
「すみません。」その一言が言えなくて、私は顔も見ずにその場を走り去った。
「…どうしよう、謝れなかった…。」
一瞬きこえた低い声にはなぜか聞き覚えがあったのに誰かはわからなかった。
他クラスなんだし大丈夫だろう、そう思えればいいのに家に帰る頃にはどうして謝れなかったんだろう、という後悔ばかりが募っていた。