フィリ
予言者という存在がいる。過去や未来を見る能力を持ち、王や英雄達に助言や忠告をもたらす人物だ。妖精やドラゴンなどと同じように、御伽噺の中だけの存在だと誰もが思っている。
だが、シャーニは彼らが実在したことを信じていた。他ならぬ彼自身、その能力があるのだから、かつて同じ能力を持っていた人物がいたことを疑いはしない。
アルハンド王はその能力を無敵だと言った。だが、そうではないとシャーニは思う。思い通りにならない能力だ。好きな時に好きなように見ることは出来ないし、見たものが過去か未来か判断出来ないことも多い。起きている時に見ることもあれば、夢として見ることもある。ただの夢か、そうではないのか分からないことも多い。
疑われる危険を冒してまでオリバーの犯した罪を知ろうとしたのは、それをただの夢だと思いたかったからだ。シェーン砦の情報が盗まれるということがどれほど危険か、この国の人間なら誰もが知っている。
シェーン砦はシェーン山脈にある。王国の西、帝国と境を接する山脈に建造された難攻不落の砦である。造られてから五百年の間、一度も落とされたことはない。
帝国は大陸の西の端まで征服した。次は東に狙いを定めるだろう。そうなれば、真っ先に狙われるのはこの国だ。帝国はこの国の南北にある国とも境を接しているが、長い戦で疲弊した兵力を回復させるために、必ずここを狙う。この国は小国だが、良質の鉄鉱石が採れる鉱山を持っている。帝国にしてみれば、喉から手が出るほど欲しい国だ。これまでは、険しい山脈と強固な砦のおかげで守られてきたが、その砦の情報が帝国に渡り、攻め込まれたら持ちこたえられるか分からない。砦が落とされたらこの国は終わりだ。そしてこの国が征服されたら、良質な鉄鉱石のおかげで帝国の兵力は増大する。周辺他国もただでは済まない。
国を、そして大陸自体をも揺るがす大事件だ。それを解決出来るかどうかが、たった五人の王の影達の手に掛かっている。そして自分は、その一員なのだ。シャーニは目眩がしそうだった。
ルクラの木を植えている家は少なかった。畑を狙う獣達には有効だが、扱いが難しいため、木の柵を立てたり、他の木を植える家の方が多かったのだ。おかげで狙いはだいぶ絞れた。
シャーニとバーグは一軒の家に近づく。他の数軒は空振りだった。ここが最後の一軒だ。
シャーニは自分の手が湿っていることに気づいた。柄にもなく緊張しているらしい。
「……行くぞ」
「おう」
無関係かもしれない善良な農民の家の戸を、蹴破ることなど出来ない。シャーニは紳士的に扉をノックした。応答はない。もう一度ノックしてみる。やはり応答はない。二人は顔を見合わせた。
「留守か?」
バーグの言葉に、わからないと首と振って、シャーニは扉を押した。扉は抵抗なく開いた。シャーニは足を踏み入れる。
「おい……!」
不法侵入を咎めるようにバーグが声をあげたが、シャーニは取り合わなかった。渋々といった態度で、大男も後に続く。
昼間なのに家の中は薄暗かった。分厚い布が窓に掛けられているからだ。まるで外から中を覗かれるのを警戒しているようだった。
「シャーニ」
声を潜めたバーグが、部屋の一角を指差した。小麦の袋などが置かれている一角に、一際大きな袋が一緒に置かれている。その袋がぴくりと動いた。
シャーニとバーグは顔を見合わせ、頷き合った。バーグが袋に近づき、その口を開く。その様子を見守っていたシャーニの耳に、その時、背後で床板の軋む音が聞こえた。反射的に剣を抜き放ち、振り返る。どこに隠れていたのか、男が背後から忍び寄り、剣を振りかざしていた。剣を受け止める。間近で合わせた顔はあの手配書のものとそっくりだ。
「随分探したぜ、オリバーさんよぉ。こっちはこんなに会いたかったってのに、つれねぇなぁ」
シャーニはニヤリと笑ったが、オリバーは軽口に付き合うような性格ではないらしい。飛び退いて剣を引くと、構え直して向かってくる。
「シャーニ!」
二撃目を受け止めながら、シャーニはちらりとバーグを振り返った。心配そうにこちらを見る大男の手に支えられ、中年の女性が震えている。バーグが外したのだろうが、猿轡の跡と縛られた跡が見て取れた。
「ご婦人を縛って袋に詰めるなんて、いい趣味だな。お望みなら、おんなじようにして国王の元まで引きずってってやるぜ?」
ギリギリと鍔迫り合いをする相手は、シャーニの言葉に反応しない。シャーニは相手の腹部を蹴りつけると、やれやれと肩をすくめた。
「つまんねぇ男だ。女にはモテそうにねぇな」
咳き込むオリバーにゆっくりと近づく。神経質そうな細面の顔が憎々しげにシャーニを見上げた。ふらつく足取りで剣を構え、再び向かってくる。
「厄介なのは、殺しちゃいけねぇってことだよな」
シャーニは一人ごちた。何撃か剣を受け止め、手首を返す一閃で相手の剣を弾き飛ばす。武器を失ったオリバーは荒い息を吐きながら、威嚇する猫のようにシャーニを睨んでいた。シャーニは殊更ゆっくりと剣を鞘に収め、右手を握り締めて、思い切りオリバーの左頬を殴りつけた。五百ギールの賞金首は地面に倒れ、意識を失った。
背後から拍手の音がした。振り向くと、バーグがにやにや笑いながらシャーニを見ている。
「さっすが、シャーニ! お前は出来る男だよ」
「お前ほどじゃないさ。こいつを縛って、袋に詰めて、城まで担いで行くなんて、俺にはとても出来ないね」
「何だって?」
バーグのボサボサの眉が跳ね上がる。シャーニは相棒に、にやにや笑ってみせた。
「役人に突き出さなきゃならねぇだろう? お前にも二百五十ギール分働いてもらわなきゃな」
「あぁ、分かったよ!」
舌打ちして、頭をガリガリ掻くと、バーグは仕事に取りかかった。
「あの、ありがとうございます」
弱々しい声が二人に掛けられる。賞金首に家を乗っ取られ、監禁されていた女性が、まだ震えながら二人を見上げていた。二人は顔を見合わせる。言われ慣れない言葉に、二人とも照れくさそう笑った。