王の影
「これまでも、陛下に驚かされることは多々あったが、今日ほどそのお心が分からないと思ったことはない」
城内を歩きながら、ガルシアはぶつぶつと文句を言っていた。大股の彼の歩みに、シャーニは半歩遅れてついていく。
「夢で見ただと? 馬鹿馬鹿しい。どうしてこんな男を信じられるのか」
じろりと睨まれ、シャーニはむっとした。王の弟だからと自制していたが、そもそも敵意には敵意で返すのがシャーニの性格である。
「王が信じるというものを疑うなんて、不敬なんじゃねぇの」
「何だと?」
ガルシアの額に青筋が浮かぶ。
「おや、聞こえましたか。頭に血が上って何も聞こえないかと。独り言です。お気になさらず」
ぞんざいに手を振って、シャーニはそっぽを向いた。ガルシアが足を止める。つられて立ち止まったシャーニを、鋭い瞳がじろりと見やった。
「ああなったら、陛下は梃子でも意見を変えん。非常に不本意だが、お前は俺の部下ということになる。その生意気な態度は後々躾てやるとして、まずは仕事だ。使い物になるというところを見せてみろ」
「その話、あんたと陛下だけでどんどん進めちまって、俺はまったくついていけてねぇんだけどな。あんたの部下って何? 何すりゃいいの?」
シャーニは開き直った。生意気な態度は後々躾てくださるらしい。今から敬っておく必要はなさそうだ。
ガルシアは眉間に皺を寄せたが、何も言わなかった。青い瞳が辺りを見回す。
日はとうに上っていた。召使い達が働き出していてもいい時間だが、辺りに人影はなかった。お忍びで動き回っていた兄と同様に、弟も人気のない道を通っているらしい。
誰もいないのを確認して、ガルシアはシャーニに向き直った。睨んでばかりだった瞳が、その時は怖いほど真剣にシャーニを見つめた。窓から差し込んだ光が、彼らを照らしている。そして、彼は声を低めて厳かに告げた。
「今この時より、お前は王の影となる」
シャーニは言葉もなく、王弟を見上げた。真剣な瞳と目が合う。無意識の内に背筋が伸びた。
「王の、影──」
部下の呟きに、ガルシアは頷きを返す。
「陛下には今、俺を含め四人の密偵がいる。お前はその五人目になるんだ。陛下の目となり耳となり、公には出来ないような問題を処理する」
ガルシアは歩き出した。シャーニは後を追う。
「それじゃあ、俺達の仕事は、シェーン砦の情報を取り戻すことか」
シャーニの問いに、ガルシアは鼻を鳴らした。
「なるほど、馬鹿ではないらしいな。その通りだ。あれが盗まれたと知れれば、国中大混乱になる。盗まれたことを公には出来ない。知っているのは、陛下と俺達、情報が保管されていた文書保管所の見張りと、数人の大臣達、それから──」
ガルシアの瞳がまたシャーニを睨む。
「お前だ。一体どうやって知った」
「だから、夢で見たんだって。予言者の体質なんだ」
「そんなものは御伽噺の中の話だろう。嘘ならもう少しマシに吐け。こっちはお前を拷問して吐かせることも出来るんだぞ」
「いや、出来ないね。陛下がお許しにならない。仮にも俺は、陛下の命の恩人だ」
ガルシアは嫌そうな顔でシャーニを見下ろした。だが、反論しないところをみるとシャーニの読みは当たっているらしい。
「忌々しい男だな。そのうち化けの皮を剥いでやる」
「剥いだところで何も出てきやしないさ。俺は正直な男なんでね」
シャーニは肩を竦めて言ったが、ガルシアは相手にしなかった。通路は暗く、狭くなってきていた。入る時にも通った道だ。程なく、二人は狭い通用口から城の庭に出た。
「お前は元々、オリバーを狙ってバークレインまで来たそうだな?」
五百ギールの賞金首の名が確かオリバーだった。シャーニは頷く。
「あぁ」
「ならば、奴を捕まえろ。情報は既に他の者に渡っている可能性が高いが、誰に渡したかは奴に直接聞くのが一番早い」
「他の奴に渡ってるなんて、どうしてわかる」
「城の文書保管所に潜入し、国の重要機密を盗むなどという芸当を、一人でこなせるとは思えん。協力者が近くにいたはずだ。盗まれてから、それが発覚するまで一晩の間があった。すぐに手配を掛けたから、オリバー本人はそう遠くに逃げられなかったはずだが、その場合は協力者に情報を託したと考えるのが妥当だろう。俺達はその協力者の方を探っている。お前はオリバーを追え。だが──」
ガルシアはシャーニの胸に指を突きつけ、端正な顔をぐいと近づけた。
「妙な真似はするな。俺はお前を信用したわけではない。お前が何か怪しい動きをしたとなれば、どこから矢が飛んでくるか分からんぞ。心しておけ」
「何だって?」
「王の影の他に、俺には協力者達がいる。このバークレイン中にだ。彼らにお前を監視するよう命じておこう。わかったら、さっさと去れ。仕事に取りかかるんだ」
言うだけ言うと、ガルシアは踵を返し、城の中に戻って行ってしまった。城の裏手側、目立たぬ植え込みの側にシャーニは一人取り残された。
黒い髪を掻き上げ、彼は肺中の空気を吐き出すようなため息をついた。
「なんてこった」