王弟
うすうす感づいていたこととはいえ、実際に目にすると衝撃は一塩だった。
シャーニは一瞬、目の前が真っ白になり、琥珀色の瞳を見てハッと我に返った。慌てて跪く。
「知らぬこととはいえ、大変なご無礼を。陛下」
「よせ。礼を尽くすのは私の方だ。危ないところを助けてもらったのだからな」
「もったいないお言葉です、陛下」
王はシャーニを立ち上がらせた。黒髪の男が鼻で笑う。
「最低限の礼儀はわきまえているらしいな」
「ガルシア、そう突っかかるな」
王は男を困り顔で見やった。それからシャーニに向き直り、男を手で示す。
「シャーニ、これは私の弟だ。ガルシアという」
「陛下!」
王の紹介に、男が慌てたように声を上げた。
「弟……?」
シャーニは首を傾げる。確か王に兄弟はいないはずである。
「母親が違う。所謂、異母弟というやつでね。公にはなっていない庶出の王弟だ」
アルハンド王はそう補足した。隣で王弟ガルシアが、額を押さえてため息を吐く。
「陛下、こんな得体の知れない男に、なんてことを」
王は弟にニヤリと笑ってみせた。悪戯を企む子供の顔だ。ガルシアは眉間に皺を寄せた。
「ガルシア、お前、戦える人材を欲しがっていたな?」
ガルシアの眉間の皺が深くなる。王はシャーニの肩を引き寄せた。
「この黒猫はどうだ? 腕は私が保証しよう」
「陛下! 何を考えているんですか!? 敵の間者かもしれないんですよ!?」
ガルシアが王に食ってかかる。凶暴な犬が吠えたてているような剣幕だが、アルハンド王はどこ吹く風だ。
「でも、もうお前のことを知ってしまったしな。そのまま帰すわけにもいかないだろう?」
「……それが狙いですか」
一国の王に向けてはいけないような憎々しげな表情を浮かべ、王弟は兄を睨んだ。
「それに、過去や未来を見る力なんて素晴らしいじゃないか。ほとんど無敵だ」
弟とは対照的に、王は朗らかに笑う。
「信じるんですか? そんな胡散臭い話」
ガルシアはじろりとシャーニを睨んだ。だが、王のこの発言には、シャーニ自身も驚いていた。
「彼は私の命の恩人だ。あそこで助けに入ってくれなければ、私は背中から斬りつけられていた」
王はシャーニに微笑みかける。シャーニは呆然と彼の瞳を見つめ返す。
「それとこれとは話が別でしょう。そもそも──」
ガルシアの鋭い視線が王を射抜く。それまで平然としていた王が、その瞬間たじろいだ。話の矛先が変わったことに気づいたのだ。
「どうして護衛がいなかったんですか。陛下、私におっしゃいましたよね? 帰りは護衛がいるから大丈夫だと。だから私は別行動を取ったんですよ」
「いや、それは、その……」
王の目が泳ぐ。弟の視線が鋭さを増す。
「陛下?」
地を這うような声が答えを要求した。
「……せっかくのお忍びなのに、護衛なんて物々しいもの、付けたくないじゃないか。自分の身くらい自分で守れる」
「守れてないですよね? だからこんな事態になったんです」
ガルシアのつま先が苛立たしげに床を叩く。太陽王と讃えられる偉大な王は、叱られる子供のように首を竦めた。
「その件については、後ほどゆっくりと」
殊更恐ろしげに言い放ち、ガルシアはシャーニを顎で指す。
「とりあえず、そいつは連れて行きますよ。いいですね?」
「あぁ」
「それでは、失礼します」
消沈した王に颯爽と告げて、ガルシアは部屋を出て行った。扉を開けたところで振り返り、シャーニを睨む。
「何してる。早く来い」
シャーニは慌てて王に頭を下げ、王弟を追った。