出立
もう日が暮れてから、ガルシアの使いがシャーニを訪ねてきた。
オリバーを目当てに王都に来ていた者達がいなくなったため、白い猪の店の客室は空きができ、シャーニはそこに部屋を取っていた。昼間のうちに研ぎに出していた剣を、蝋燭の灯りの元で点検していたところに訪問者はやって来たのだ。
「今から?」
シャーニは不機嫌そうに使いを見下ろした。まだ少年と呼んでも差し支えのない年頃の小姓は、縮こまりながらこくりと頷いた。
「ガルシア様が、すぐに、と」
シャーニはため息を吐いた。小姓が不安げに彼を見上げる。
「分かった。すぐに行く。あの裏手の小屋だろう? 行き方は分かるから、あんたはもう帰っていい」
少年は明らかにほっとした顔になり、失礼しますと頭を下げて帰って行った。その背中を見送って、シャーニはもう一度ため息を吐く。
「ったく、自分が来いよ」
ぶつぶつ文句を言いながら、蝋燭の火をカンテラに移し、それを持って部屋を出た。階段を下りると、一階の店では酔った客達が騒いでいる。
「よぉ、シャーニ! これからお楽しみか?」
バーグの大声が聞こえた。首を巡らせてその姿を探すと、酔っ払い客の輪の中で赤い顔をして笑っている。
「なんにも楽しくない所に行くんだよ」
何が楽しいのか、バーグはゲラゲラ笑った。シャーニはため息を吐いて、そのまま店を出ようとした。
「そういや、お前またなんかやるんだってなぁ。せっかく金が入ったんだから、もっと楽しめばいいのに。俺達みたいに」
その言葉にバーグの仲間達が笑う。シャーニは思わず足を止めていた。仲間と一緒になって笑っているバーグを見やる。
「なんかやるって、なんでわかる?」
「昼間、お前と組むって野郎が来たのさ。お前のこと教えろってな。お前が俺以外と組むなんて珍しいじゃねぇか」
「……それ、どんな男だった?」
「背の高い奴だったなぁ。黒い髪に青い目をしてた」
シャーニは舌打ちした。思い当たるのは一人しかいない。
「あの野郎、こそこそ嗅ぎ回りやがって。……で? お前、なんて答えたんだよ」
「出会った頃のことを話してやった。お前にまだ可愛げがあった頃の話をな」
バーグはゲラゲラ笑い出し、シャーニは酔っ払いを心底嫌そうに見やった。頭を軽く振って、今度こそ店を出る。
今夜は満月だった。月明かりと星々の明かりで、白い王城の姿がぼんやり浮かんで見えている。シャーニはその姿をじっと睨み据え、カンテラの明かりを頼りに歩き出した。
城門に着くと、二人の門番がそこを守っていた。一方が厳しい誰何の声をあげ、もう一方が持っていた明かりでシャーニの顔を照らし出す。その瞬間、二人がぎょっとしたのをシャーニは見逃さなかった。暗がりで人と出くわすと、大体同じような反応をされる。暗闇の中、金の瞳はより一層不気味さを増して、妖しく輝くらしい。
「……ガルシア様の客か」
一方が低い声で言った。ガルシアから何か聞かされていたのだろう。シャーニは口の端で笑ってみせた。
「客なんていう、大層な扱い受けたことないけどな」
「……入れ」
「どうも」
城の裏手に回り、打ち捨てられたようにポツンと佇む小屋に入る。床下の扉を開け、階段を下りると、黒髪青目の王弟が不機嫌そうに待っていた。
「遅い」
「あんたはそれしか言えないのか?」
シャーニはエリシダの席であるガルシアの向かいに座った。彼のための椅子はまだ用意されていない。
「で? オリバーから何か聞き出せたか?」
「オリバーは死んだ」
吐き捨てるようにガルシアは言った。シャーニは目を丸くし、次いで疑うように上司を見やった。
「……何だって?」
「衛兵の隙を突いて武器を奪い、自ら命を絶ったそうだ」
「それで、協力者の情報は?」
「名前と居場所は聞き出せた」
シャーニは拍子抜けしたようにガルシアを見やり、椅子の背もたれに深く寄りかかった。
「なんだ。じゃあ、何の問題もないじゃないか」
青い瞳がシャーニをじろりと睨む。
「奴に指示を出した主人の正体を聞き出せなかった」
「あぁ」
シャーニは納得して頷いた。
「でも、ランドルフが調べてるだろ? 確かに直接聞き出すより時間は掛かるだろうが、そんな気にすることか?」
「オリバーの言質が取れれば、今後、帝国と交渉するときに切り札に出来た」
イライラとガルシアはテーブルを指で叩く。シャーニは肩を竦めた。そういう政治的な問題には関わっていられない。
「居場所が分かったってことは、すぐ出発か?」
シャーニが話を切り替えると、ガルシアは指の動きを止めて頷いた。
「明日の夜明け前に出る。南門に来い」
「了解。それで、目的地は?」
「アズール」
アズールは王国の南の国境沿いにある街だ。そこから半日ほどで隣国アルトレントに入れる。
「ってことは、アルトレント経由で帝国に入る計画だったみたいだな」
「オリバーが捕まったことが既に耳に入っているかもしれん。そうなれば奴はさっさと国に戻ろうとするだろう。奴が帝国に入る前に捕まえる。王国と、我らが王の為に──分かっているな?」
ガルシアが真剣な目でシャーニを見つめる。青い瞳に飲まれたように彼を見つめ返し、シャーニは頷いた。